第2話
「ちょっと連載の相談に乗って欲しくてね」
そう言って、作家先生は机の上の機械を指差す。レトロな文机の上には、執筆専用の機械が置いてある。机のまわりは手書きの原稿用紙が散らばっていて、想像する文豪のごとき様相だ。手書きの原稿は長編用、この機械は連載用に使っていることは何となくわかってきた。連載に使う文章は、どうやらもうほとんど完成しているらしい。
「私がイタリアにちょっとの間住んでいたのは前も話したことあると思うけれど、その話を書こうと思ってね」
作家先生はたまに、イタリアに住んでいた時の話をする。大学を卒業した後、イタリアに住む友人宅に住んでいた時期があるそうだ。
「今までも散々エッセイとかで書いていたじゃないですか。なんでまた?」
僕は素直な疑問を声に出す。
「いや、特別なことは無いんだ。ただ、ちょっと書きたいだけでね」
「はぁ、ネタ不足とかではなく?」
二人の間を天使が通る。そのあと、作家先生は乾いた笑い声をあげた。やっぱりそうじゃねぇか。心の中で呟く。
「それはともかく、私の思い出話をちょっと聞いてくれないか」
そう言うと、作家先生は胡坐を崩して立膝になった。
この先の話は、僕も初めて聞くところがある。
作家先生が小説を書き始めたのは中学生の時から。先生の家庭は少々複雑な事情があり、先生自体は父方の祖父の家に住んでいた。その祖父の家に「書庫」と呼ばれる部屋があり、そこにある本を読む日々の中で作家になることを夢見たという。デビューのきっかけは、大学の講義に来ていた人が出版社の人だったところから。その人が彼女の書き溜めた小説をひょんなことで見つけ、運よく編集者に繋がったことでデビューに繋がったそうだ。
とは言え、小説はすごく売れたわけではない。そのため、作家業をしながら会社で働いていたそう。会社で働くも、その生活がなかなか向いておらず体を壊してしまった。それをきっかけに退職をし、専業作家になったという。
そのタイミングでイタリアに住む友人から、イタリアに来ることを打診された。作家先生の気質的にイタリアはとても不安だったそうだが、環境を変えてみるために思い切って行ってみたとのこと。
「友人がとてもいいやつでね。そのおかげか、彼女の周りの人たちにすごく良くしてくれてさ。かなり良い日々を過ごさせてもらったよ」
作家先生は何かを思い出すように、目を閉じている。口角はわずかに上がっていて、なんだか幸せそうな表情をしている。
もうすでにバレているが、僕は作家先生のエッセイを何度か読んでいる。しかし、先生は社会人経験の話を一度も書いていなかったと思う。何があったかは聞かないが、想像がつかなくて驚いた。
「ま、ここから先が肝心なんだ」
そう前置きをして、彼女はニヤリと笑った。わがままを言うときのいつもの表情である。
イタリア生活の中で、一番最初に食べて美味しかった甘味があるという。今回はそれの話を書こうとしているそうだ。
「最近も流行っているだろう、イタリアンプリンというやつ。それを作って欲しいんだ」
イタリアンプリン、と言われて少し拍子抜けする。てっきりもっと小難しい伝統的なお菓子を要求されるものだと思っていたから。
「イタリアンプリンと言ったら、コンビニでも買えますよ?うちの近所には売ってるコンビニがないけど……」
「いやいや、作って欲しいのさ」
頼むよ、と僕の肩を軽く叩かれる。いつものようなわがままとは違うが、まぁプリンはお店でも出せそう。そう思って、僕は作ることを了承した。
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