黄金暁研究会

ラブリンスの入口にある検問所では、様々な商人や冒険者たちが行き交い、衛兵たちが荷馬車を検査している。


「おお、これはいい剣だな。」


衛兵が荷馬車の中にあった剣を撫でながらつぶやく。

すると、商人がにやりと笑いながら答える。


「いやぁ、ガード様、お目が高い!この剣と言えば、トロールの牙と、硬いことで有名な黒鉄を混ぜ合わせて作られた逸品でして……」


衛兵が商人に気を取られているその隙に、ぼろ布をまとった少女が素早く衛兵の横をすり抜け、街の中へと入り込む。そして、誰もいない路地裏へと駆け込んだ。


「はぁ…はぁ…」


緊張のあまり瞳孔が開いていた少女は、安心したように深く息をついた。

ぼろ布の間から見える少女の細い手。

その手には白い虎の仮面が握られている。


「確かここに……」


少女がラブリンスに来た理由。

それは、自分を助けてくれた人物に会うためだった。


&&&


「もう寮のベッドの方が快適だなんてな……」


人間は順応する生き物なのか、16年間過ごした屋敷よりも、半年しかいないここがもっと快適に感じる。


「はぁ……」


家が雷に打たれて壊れてしまってからというもの、家族の雰囲気も悪くなり、逃げるようにして寮へと戻ってきた。

計画通りにはいかなかったのは少し残念だが、休暇中、何もしなかったわけではない。


『それじゃあ……家で学んできた技を試してみるか……』


目を閉じ、マホガニー製のワンドを手に取り、呪文を唱えた。


「サイレント・ヴィジランサー。」


ワンドが震え、目の前に陽炎のようなものが立ち上る。

その陽炎の下から、透明な物体が降りてくる。

他の人には見えないだろうが、私の目には見える。


ぐにゃり、ぐにゃり。


スライムのようにぷくぷくしたり、薄い紙のように平らになったりと姿を変えるヤツ。

サイレント・ヴィジランサー(Silent Vigilancer)。

詠唱者の周囲を誰にも気づかれずに監視する、闇属性の魔法だ。


『これを見る限り、私の体には間違いなくマナがあるはずだ……』


これも立派な魔法。

マナがあるからこそ使えるものだが、それなのにどうして私のマナはこの学校の属性感知オーブで検出されないのか。


『いや、もしかしてこれもマナを使ったわけじゃないのかも……』


もしマナではないなら、一体何を使って召喚したのか。

生命力……ではないだろう。

召喚した後に体が痛くなったり、目眩を感じたりしたことは一度もないからだ。


「いや、生命力を少しずつ吸い取られている可能性もある……」


「焼け石に水」という言葉のように、ほんの少しだけ生命力が失われているため、自分で気づけていないだけかもしれない。


『だからと言って、使える魔法を使わないわけにもいかないし……』


原因が全くつかめない問題を考え続けていると、軽い頭痛を感じた。

とりあえず召喚したのだから、複雑な思考は頭の中から追い出すことにした。


私は足元でうごめきながら、犬や猫のように私のふくらはぎに頭をすり寄せているヤツに命令を下した。


「この学校全体を、誰にも見つからないように巡回して、怪しい人や学校に危険が迫ったら報告して。」


私の命令に従い、ヤツは小さな欠片に分裂し、扉の隙間を抜けて外へと消えていった。


『これで何か起きた時にはすぐに分かるはずだ……』


いつヤツらが戻ってくるか分からない。

来る途中、特に人の気配を感じたり、私を監視しているような気配を受けたりすることはなかったが、私の感知範囲外で監視している可能性もあるので、さらに注意を払わなければならない。


「それじゃあ……」


まだ休暇は一週間ほど残っている。

私は私服に着替え、外出の準備をした。


向かうのはラブリンスの中、ヒューズテラ氏がいるエル・ハウンド最大の魔法研究所「黄金の暁研究会」だ。


信用できない人物だ。

出会ったのはたった一日だけだし、何よりエル・ハウンドの中でもかなりの高位の人物だからだ。

私の魔法について話したら、彼が私に何をするか分からない。

だが、今の私には彼の助け……いや、知識が必要だ。

ヒューズテラ氏の信頼を得て、こっそり情報を引き出す。


『長年使い続けてきたやり方だもの。』


北方で北方党員の位置を把握する際に頻繁に使っていた技術。

これをうまく活用すれば、どんなヒューズテラ氏でも私の意のままに知っていることを話すだろう。


『ヒューズテラ氏は今、アプロニア公爵領にいるだろうか……』


今は学校の休暇期間。

彼の愛する娘と一緒に過ごすため、自身の領地であるアプロニア公爵領へ帰った可能性が高い。


「それならどうしよう……」


休暇が終わってから来たら、おそらく会うのは難しいだろう。

ヒューズテラ氏にも仕事があるだろうし、私もこっそり抜け出して彼に話すのは厄介な事態になりかねない。


『まだ起きてもいないことを考えても頭が痛くなるだけだ。』


とりあえず黄金の暁研究会に行って、いなかったらその時考えよう。

もしかしたら、領地に戻らず、研究会に残って研究を続けているかもしれないし。


&&&


「なんて煌びやかなんだ。」


巨大な建物の上にそびえる高い塔。

その塔の開いた窓からは無数の旗が掲げられており、最上部の旗には魔法の帽子と天秤が描かれた一枚が風にたなびいている。


『天秤?』


天秤といえば、取引の際に使う道具だ。

どうしてそんなものが黄金の暁研究会の最上部の旗に描かれているのだろう。


『まあ、特に気にすることでもないか。』


私は入口の方へ歩き出した。


タタタタッ!


「わあっ!」


何も考えずにあくびをしながら歩いていた背後から、何か重たいものが突進してきてぶつかった。


「うげっ!」


奇妙な声が聞こえる。

積み上げられた本の山をどけて、目の前の人物を見た。


茶色い縁のメガネに、しばらく手入れしていないのかべったりと固まった髪。

それに、体に合わないほど大きな白いガウンと茶色のズボンを履いている少年。


彼は本にぶつけた額をさすりながら、謝るように頭を下げた。


「す、すみません!」


素早く立ち上がり、頭を下げて謝る少年。

そして自分に覆いかぶさった本を、一つ一つ地面に積み上げていく。


私は本を払いのけ、立ち上がって、少年が落とした本を拾い上げて手渡した。


「ありがとうございます。」

「運ぶの、手伝おうか?」

「い、いえ、大丈夫です!僕の失敗なので、自分で片付けます!」

「断る必要はないさ。」


どうせ中に入るつもりだったし、特に黄金の暁研究会の会長であるヒューズテラ氏に会いに来たと言ったら、入口で止められる可能性が高い。

だから、まず中に入ることが優先だ。


「すごい……」


1列に積んであった本を2列に積み替えると、私の身長を超える2つの本の山ができた。

これを1つにまとめたら私の身長の2倍はありそうだが、この小さな少年がどうやって運んでいたのか不思議でならない。


「本当に大丈夫なのに……」

「相手が好意を示してくれる時は、素直に受け取らないと相手が困るよ。」


私は慎重に本を手に取った。


「うっ……」


かなりの重さだ。

運動をしてきた私でもこれだけ重さを感じるのだから、この子は……


「よいしょっと。」


軽々と持ち上げてしまった。


「分かりました。では先生のご厚意を受けさせていただきます。こちらへどうぞ。」

「あ、ああ……」


少年は何事もなかったかのように、黄金の暁研究会の建物へ歩いていく。

一体どれだけの力を持っているのか。

これだけの力があるなら、研究者ではなく戦士になった方がいいのではないか?


&&&


「はぁ……はぁ……めっちゃ重かった……」


息を切らした。

少年について、特に問題なく黄金の暁研究会の建物の中に入れたのは良かったが、かなり奥深くまで来てしまった。


「本を一緒に運んでいただき、ありがとうございます。」

「あ、ああ……」

「これをどうぞ。」


少年が私にカップを差し出す。

カップの中を覗き込むと、赤い液体が入っていた。


「これは何?」

「私たち黄金の暁研究会で研究している体力回復薬です。」

「体力回復薬って……ポーションのこと?」

「冒険者の間ではポーションと呼ばれることが多いですね。一応正式名称は体力回復薬ですが……」


少年が照れくさそうに笑う。


「ふーん……」


体力回復薬をぐいっと飲み干した。

チェリーのような、ストロベリーのような、不思議な果実の香りが口の中に広がる。


「おお。」


体力の回復効果は確かなようで、さっきまで本を運んでいたせいで痛んでいた腕の痛みが消えていく。


『ここが……』


周囲を見渡しながら建物の内部を観察した。

たくさんの本や、ビーカーやフラスコのようなもの。

アルコールランプのような道具も見えるし、中央には巨大な魔法陣の上に実験台のようなものが置かれている。


各種の紙や書類、本が散らばり、研究室内は整頓されていないが、私が想像していた研究所の姿そのものだった。


「ここで研究してるの?」

「はい。ここが私の研究室です。」

「個人研究室?」


少年が頷く。


「はい。本来なら個人研究室は10年目を迎えてから申請してもなかなか許可が下りないのですが、私はまだ6年目なのにヒューズテラ様のご厚意でこうして個人研究室を使わせていただいています。」

「そうなんだ。」


『相当な実力者のようだな……』


それだけのことなら、ヒューズテラ氏の寵愛を受けていると言えるのではないか。


『なら、ヒューズテラ氏がどこにいるか知っているんじゃないか?』


どうせ学校では会えないだろうし。

とりあえず今日は仲良くしても構わないだろう。


「俺はエステール男爵家の長男、エドワード・エステールだ。」

「私は侯爵、ジェラール・ル・ブレネッツです。」

「あ、そう……侯爵?」


侯爵といえば……

確か男爵の次が子爵で……その次が伯爵……そして伯爵の次が……


「侯爵?!」


「ええ、そうです……」


ジェラールが首を傾げる。


『男爵が侯爵にタメ口をきいてたってことだよな……この人は気にしないのか?』


自分よりも下の位の者がタメ口で話すなんて。

それも伯爵ではなく男爵がだ。


「あ、いや……なんでもない……です……」


私の反応を見て、ジェラールは腕を組んで何かを考え込むような仕草をした後、納得したような表情で笑った。


「大丈夫ですよ。私は爵位なんて特に気にしませんから。」

「あ……そうですか……」


知らなかった時は気にならなかったが、もう知ってしまった以上、適当に振る舞うわけにはいかない。


ジェラードは本の山から一冊を取り出した。


「どんなに若い人でも、初対面の時は敬語を使う方が良いですよ。顔を見ただけでは、その人の爵位がわかりませんからね。」

「参考にします。」


年下の人から社会性を学ぶとは、年長者としてこれほど恥ずかしいことはない。


「では、もうお帰りいただけますか?」


ジェラードは手に持っていた本を広げる。


「これから研究を始めるので。」

「あ、えっと···」


私は頬をかきながらぎこちなく笑った。


「お願いしてもいいですか?」

「お願いですか?」

「はい。」


申し訳なさそうに、ジェラードは開いた本をまた置いた。


「お話しください。」

「ヒューズテラさんに会いに来たのですが、こちらにいらっしゃいますか?」

「ヒューズテラ研究会会長のことですか?」

「はい。」


ジェラードが少し考え込み、私をじっと見つめる。


「ヒューズテラさんの知り合いですか?」

「ヒューズテラさんの知り合いというよりは···娘さんと知り合い···という感じでしょうか。」


学園祭で一緒に踊り、休暇中には遊びに来たので、知人程度ではあるだろう。


「もちろん休暇中には良い経験はなかったけど···」


「シャルロットさんと知り合い···ということは···」


瞬間、ジェラードの目が輝いた。


「ナルメリス魔法学園の学生なのか?!」


うわ、びっくりした。

急に大声を出したかと思えば、手まで握ってくる。


「あ、ごめん、ごめん。学園の後輩を見たら、つい嬉しくなって。」

「学園の後輩ですか?」

「そうだよ。俺も昔はナルメリス魔法学園に通ってたんだ。」

「本当ですか?」


顔や体からして10代前半、多めに見積もっても14歳程度に見える。

それなら去年卒業したとしても10歳以下だったということだが···


『早期入学かな?』


それが一番現実的だ。

でも学園に早期入学の制度があっただろうか?


「学園はどうだ?まだ先生たちは元気にしてるか?」

「ええ、まあ···」

「アレイラ先生はまだ学生をよくからかってる?」

「いつもからかわれてますよ。」

「そうか。アレイラ先生がお前を気に入ったんだな。アレイラ先生は特に気に入った生徒にはもっとひどくからかうからな。」


今までからかわれたのが全部気に入られていたからだとしたら···気に入られたくないんだけど?


「じゃあ、ミューゼル先生やカラムベル先生は?元気にしてる?ミューゼル先生はアレイラ先生に···」


一度話し始めると、息もつかずに喋り続ける。

このまま相槌を打ち続けていると、一日中学園の話を聞かされる羽目になりそうだ。


『そろそろ話を切り上げるか···』


私はジェラードが話している途中で、話を遮った。


「あの···学園の話をするのはいいんですが、ちょっと忙しいので。」

「あ···俺のことを気にするな。」


ジェラードは照れくさそうに笑いながら頭を掻いた。


「ヒューズテラさんに会えるようお願いしてもいいですか?」

「昨日戻ってきたばかりだけど、多分公爵領からここまで来るのに疲れていて、面会を断るかもしれない。」


『それでもいるにはいるんだな。』


「大丈夫です。お疲れなら、明日か明後日に約束を取ってまた来ますから。」


「わかった。ちょっと待って。」


ジェラードは研究室の隅へと歩いて行った。

少しの間、隅で何か独り言を言っているようだったが、やがて笑顔で私の元に戻ってきた。


「何をしていたんですか?」

「あ、ヒューズテラさんと連絡を取ってた。上がって来いってさ。」

「おお。」


幸い、無駄足ではなかったようだ。


「ついてきて。」

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