誘拐(2)

短剣とガントレットがぶつかり合う音が響いた。

地面に横たわっていたシャルロットは、体を捻りながら二人が戦う様子を見つめた。


自分を誘拐した赤いローブを纏った男。

以前、自分と剣を交えた黒いローブを纏った男。


生まれて初めて見る光景だった。

赤いローブの男が拳を繰り出すたびに壁が崩れ、黒いローブの男が短剣を振るうたびに、強力な一撃が赤いローブの男に傷を負わせる。


「このネズミ野郎が!」


赤いローブの男が腕を振り上げ、黒いローブの男に拳を放った。

避けようとした黒いローブの男は、避けきれないと判断し、すぐに短剣を持ち上げて拳を防いだ。

その勢いで吹き飛ばされる黒いローブの男。


彼は腰からもう一本の短剣を取り出し、手に握った。

赤いローブの男が構えを取る。


「お前、本当に魔法使いなのか?」


黒いローブの男が再び構え直す間に、赤いローブの男が問いかけた。


「俺はアヴァンチェ・ドリグナルだ。お前の名前はなんだ?」


黒いローブの男はその問いを無視し、赤いローブの男に短剣を投げた。

勢いよく飛んでいく短剣は、アヴァンチェが振り上げた拳に防がれた。

だが、それこそが黒いローブの男の狙いだった。


右腕を振り上げたのを確認すると、黒いローブの男は素早い動きで赤いローブの男の右側に回り込み、腰に短剣を突き刺した。


ズブッ。


「ぐっ…」


アヴァンチェが顔を歪め、振り上げた腕を黒いローブの男に振り払った。


ドガン!


黒いローブの男はそのまま吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて崩れ落ちる。

アヴァンチェが腰に刺さった短剣を引き抜くと、脇腹から血が流れ落ちた。


「聞いていた通り、妙な奴だな。」


黒いローブの男がふらつきながら立ち上がる。

アヴァンチェは疑問を感じていた。

本当に彼は魔法使いなのだろうか?

どう考えても、その動きは魔法使いのものではなかった。


少なくとも熟練した暗殺者、いや、暗殺者の中でも相当な腕を持つ者の動きだ。

これまで戦ってきた様子からしても、彼は自分と剣を交えるだけで、魔法を一度も使っていなかった。


カンッ!


彼は弾き飛ばされていた短剣を拾い、アヴァンチェに向かって駆け出し短剣を振るった。

アヴァンチェは腕を振り払い、彼との距離を広げた。


これまで彼が魔法を使わない理由は二つのどちらかだった。

今、彼は何らかの理由で魔法を使えないのか。

それとも自分を侮っているのか。


これまで聞いていた話では、彼はどの戦いでも一度は魔法を使っていたらしい。

おそらく前者ではない。

そうなると…


「俺を侮っているというのか…!」


自分を相手に魔法を一度も使っていないのは、魔法を使えないのではなく、自分を軽んじているからだ。


アヴァンチェはその結論に至り、怒りが頭のてっぺんまで湧き上がった。


「このクソ野郎がぁぁ!」


怒りに満ちた声が洞窟内に響き渡る。

彼は腰に下げていた長剣を抜き、黒いローブの男に向かって駆け寄り振り下ろした。


ズバッ。


男は防ぐのではなく体を動かし、アヴァンチェの長剣を避けた。

長剣は洞窟内にあった岩を豆腐のように切り裂いた。


「ハッ!目の良さだけはいい奴だな。」


岩さえも切り裂くほどの質の良い剣であれば、黒いローブの男の短剣くらい容易に切り裂くだろう。

彼はそれに気づき、体を避けたのだ。


「やはり…魔法使いの勘ではないな…」


何度も振り下ろしながら黒いローブの男を壁際まで追い詰めたアヴァンチェは、肩に剣を乗せて片方の口角を上げた。


「どうした?俺の剣にビビったのか?」


黒いローブの男が短剣を下ろした。

武器を下ろすというのは、負けを認めた時にする行動だ。

だが、彼が武器を下ろした姿は、負けを認める人間のものではなかった。

作戦を立て、頭の中でシミュレーションを行っているのか、指がピクリピクリと動く。


「今からでも跪いて命乞いをするなら、見逃してやるぞ。」

「寝言はやめろ。」


若い男の声が仮面を通して漏れ出た。

作戦の構想が終わり、短剣を再び握りしめた黒いローブの男が素早く動き出す。


「無駄だ!」


アヴァンチェが男の進む方向に走り寄り、接近して剣を横に振るう。

走り寄る黒いローブの男はわずかに体を後ろに反らし、ギリギリで避けると、剣が通り過ぎた瞬間、再び前に体を倒しアヴァンチェの懐に潜り込んだ。


「この野郎!」


アヴァンチェが剣を上に持ち上げ、黒いローブの男に向けて振り下ろした。

しかし、その剣は黒いローブの男に届かなかった。


ズバリッ。


黒いローブの男の短剣がアヴァンチェの右胸を切り裂き、肌に突き刺さる。


「ぐはっ…」


アヴァンチェがふらつきながら後ずさる。

巨体が後ろに倒れ込み、黒いローブの男が荒い息をつきながら見下ろした。


「た…助けて…」


アヴァンチェが手を伸ばしながら命乞いをする。

男は右胸に刺さった短剣を引き抜いた。

そして、倒れたアヴァンチェの体の上に乗り、短剣の刃を下に向けた。


シャルロットは顔を背け、視線を逸らした。


ギャキン!


肌を貫いたとは思えない軽快な音が洞窟内に響き渡る。

黒いローブを纏った男が立ち上がると、アヴァンチェの顔の横に突き刺さった短剣が目に入った。


『外れた…?』


彼が気絶したせいだろうか。

シャルロットの手足を縛っていた魔法が解け、彼女は手首と足首をさすり始めた。


「ちょっと待って!」


シャルロットが去ろうとする黒いローブの男に呼びかけると、男が振り返り彼女を見つめた。

戦いで負ったのだろうか、ひび割れた仮面の隙間から血が流れ落ちていた。


「あなた…誰?」


その問いはアレイラに報告するためのものではなかった。

ただ、知りたかったのだ。

その隠された素顔も気にならなくはなかったが、それ以上に彼女にとって知りたかったのは彼の動きだった。

これまで見てきた誰よりも速く、そして正確だった。

普通の実力ではない、彼女が知る限りの誰よりも、いや、自分以上に何手も先を行くその正体が気になったのだ。

そして、どうして自分を助けたのか、その理由も聞きたかった。


「教えて。あなたが何者なのか…」


男はシャルロットをじっと見つめるだけで答えなかった。

しばらくすると、男は周囲を見回し、地面に落ちていた短剣を拾い上げて彼女に歩み寄った。

シャルロットは唾を飲み込みながら、彼を睨みつけた。


カシャン。


男がシャルロットに短剣を差し出した。


「これは…」


シャルロットが短剣を受け取る。

今回の戦いでそうなったのか、あるいは元々なのか、短剣の刃はところどころ欠けていた。


「何も聞かずにそのまま外に出ろ。」


若い男の中低音の声が仮面越しに漏れる。

これ以上聞けば、命を脅かすということだろうか。

結局、シャルロットはそれ以上聞かず、刃が欠けた短剣をしっかり握りしめて洞窟の外へと歩き出した。


静まり返った洞窟。

黒いローブの男が振り返り、シャルロットが消えたことを確認すると、慎重に仮面を外した。


「ふぅ!久しぶりに思いっきり動いたな。」


&&&


「申し訳ありません、シャルロット様。もっと気を配ってお守りすべきでした!」


父が頭を下げて謝罪する。


「いいえ、ヒギンス卿。私がもう少し警戒心を持ち、剣を持ち歩いていればこんなことにはならなかったはずです。」

「うっ!」


父が頭を下げると、横にいる私の頭までも力を込めて押し付ける。

なぜ私まで謝らなければならないのか。


シャルロット先輩は村の出口にある白く豪華な馬車に乗り込む。


「行かれるのですか?」

「ええ。学期が始まるまであと数週間しかないし、ここに居続けるのも迷惑だから。」

「それもそうですね…」


私がため息をつくと、シャルロットが微笑む。

そして私の顔をじっと見つめた。


「エドワード。」

「はい?」

「その顔の傷…」

「傷?」


右の頬を触ってみる。

昨日の戦いで切られた傷に貼った絆創膏が指に触れる。


「ああ、これのことですか…」

「どうしてできたのか教えてくれる?」

「昨日、シャルロット先輩を探しに森に行ったらゴブリンに出くわしたんです。」

「ゴブリン…?」

「ええ。どうかしました?」


シャルロット先輩が首を横に振る。


「なんでもないわ。それじゃ、行くわね。」

「はい、先輩。休暇が終わったら学校で会いましょう。」

「ありがとう、エドワード。」


シャルロットが乗った馬車が出発し、次第に遠ざかっていく。


『なんだか嫌な予感がするな…』


シャルロット先輩の反応がどこかおかしい。

まさか自分を助けたのが私だと気づいたのでは…


「まさかね。」


あの決闘であれほど惨敗したのに、自分があの男だと予想することはないだろう。


「さてと…」


シャルロット先輩も無事に公爵領へ戻ったことだし、今からは自分の自由時間だ。

もっともその前にやるべきことはやらないといけないけれど。


私は邸宅の扉を開けて中に入った。


&&&


暗い地下室。

邸宅を建てる際、父が秘密裏に作らせた地下室。

中には牢屋といくつかの拷問器具がある。

これまで犯罪らしいことがなかったため使われることはなかったが、昨日私が触ったため、一部の器具には手形が残っている。


「ううっ…」

「目が覚めたか?」


牢屋の中から聞こえる男の声。

こいつは昨日私が捕らえた奴だ。


「これを解け!」

「解くつもりならここに連れて来ないさ。」


私はハサミをいじりながら奴を見つめた。

完全に縛られ、身動きできない奴がもがきながらこちらに顔を向ける。


「俺を捕まえて無事で済むと思っているのか?!」

「お前はここに捕らわれているのに俺を脅して無事で済むと思うのか?」


私の言葉に押し黙る奴。


「お前の望みはなんだ?」

「お前もわかっているだろう。俺が何を求めているのか。」


奴は舌打ちをした。


「お前が属する『カオスウェーブ』。お前らの拠点の場所と目的。学校に潜む奴らが何人いるか。」

「情報を吐けば解放してくれるのか?」

「それはお前が話す情報の価値次第だな。」

「はあ…」


奴は真剣な目で私を見つめる。


「いいだろう。俺が知っていることは全部話してやる。」

「おいおい、太っ腹だな。知っていること全部だなんて。」

「ただし、俺は末端だから詳しいことは知らない。」

「構わない。どうせあまり期待していないし。」


私は前に置かれていたムチを手に取り、にやりと笑った。


「じゃあ…さっそく喋ってもらおうか。お前が知っていることを全部。」


&&&


馬車の蹄の音が響く。


「ふふっ…」


シャルロットがこぼれそうになる笑いを堪えた。


「気づかないと思っているのかしら。」


以前、彼女がダンジョンで毒によって気絶した際、連れ出したのがエドワードだった。

その時、エドワードはボス部屋に向かうまで多くのゴブリンと遭遇したはずだが、顔には一切傷がなかった。

そんな彼が森でゴブリンに出会い、顔に傷を負うなど起こり得ないことだろう。


『隠さなきゃいけない理由があるんでしょうね…』


わざわざ正体を隠しているのには訳があるはずだ。

恐らく正体が明らかになれば危険な目に遭うようなことをエドワードはしているのだろう。


『私に何かできることはないかしら…』


正体を隠している彼に直接尋ねるわけにはいかない。

ならば父に頼んで魔法に関する面で手助けをするのはどうだろう。


『お父様に相談してみよう。』


シャルロットは馬車の窓の外を眺めた。

暖かな陽光が降り注ぎ、彼女は馬車にもたれながら目を閉じた。

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男爵家の無属性魔法は世界一 極東エビ @arcadia9909

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