誘拐
人々の顔には活気が溢れている。
こんな場所でどこにも行かず、自分の思うままに一生を過ごせたらどんなに良いだろうか。
まだ休みの期間もたっぷり残っているというのに、去らなければならないと思うだけで、余命宣告を受けたかのように胸が苦しい。
「あと3年半か…」
魔法学校は、20歳になる年に成人式とともに卒業することになっている。
その時まで耐え抜けば、この平和な村で普通の生活を思う存分楽しむことができるだろう。
時折、父が結婚しろとプレッシャーをかけてくるだろうが、結婚なんて父が決めた相手とするか、別の女性と出会うかの違いでしかない。
それを除けば、自分の思うままにこの村で暮らせるはずだ。
しばらく周囲の店を見て回った。
黒檀の杖を手に入れたものの、今それを使うのは賭けと同じこと。
マホガニー製の杖が修理されるまで使える杖を探すために村中を歩き回ったが、やはり杖を売る人は見当たらない。
「待つしかないか…」
日が沈みかけているのを見ると、このまま森に向かっても着く頃にはすっかり日が暮れてしまい、また家に戻ることになる。
結局、舌打ちをして屋敷へ向かうことにした。
「まあ、大変!どうしましょう!」
「これは一体何事なの?」
殺人事件でも起きたのか、通りには人が集まり、何かを見つめている。
「こちらに来ないでください!皆さん、散らばってください!」
警備の声が聞こえる。
「何があったんだ?」
人々の間を抜けて中に入ると、警備がそれ以上入れないように道を塞いでいる。
「何が起きたんですか?」
近づいて警備に尋ねると、警備が私に敬礼する。
「坊ちゃん、ここにいらしたのですね。」
「はい。何があったんですか?」
「それが…」
人々が私が見るのを望むように道を開ける。数人の男性たちが倒れていた。
アルセルの警備隊員ではなく、一度も見たことのないデザインの鎧を身に着けた男たちだ。
「…?!」
剣が地面に転がっている。
兜をつけていない首から血が流れ出し、地面に小さな池を作っている。
別の人物の左胸、心臓部分には鉄の鎧を貫いて深い傷が見える。
「どういう状況ですか?」
「よく分かりませんが、目撃者によれば、何者かが突然現れ、この人たちを襲撃したとのことです。」
「襲撃…したと?」
彼らは一体何者で、なぜここで襲われたのだろうか。
「身元は確認されましたか?」
「それが…」
私に知られてはいけない事情でもあるのか。
警備が言葉を濁した後、慎重に話し始める。
「今、屋敷に滞在されている貴族の女性…いらっしゃいますよね?」
「はい。」
「この方々はその女性が連れてきた護衛の方々です。」
今、屋敷に滞在している貴族の女性といえばシャルロットしかいない。
つまり、これらの人々はシャルロット先輩が連れてきた護衛であり、その護衛たちがここで殺されているということは…。
不安が頭をよぎる。
そして、その不安は警備の言葉によって現実のものとなり、全身を駆け巡る。
「まさか…」
「ええ…ご一緒にいらした貴族の女性が、この人たちを殺害した者たちに連れ去られたようです。」
&&&
夜まで休むことなく村中を探し回った。
幼い頃、村の地理を把握しようと、ほとんどの場所を回っていたことが役立ったが、それでも村の中を全て探し回ったものの、シャルロットの姿は見当たらない。
ひょっとして警備が勘違いしているのではと思い、屋敷中の部屋を探した。
部屋には彼女が使っていた細剣だけが壁に寂しく立て掛けられているだけだった。
その持ち主であるシャルロット先輩の姿はなかった。
「山賊…じゃないだろう。」
アーセル周辺には山賊なんていない。
そもそも山賊が出没できる村ではない。
森の中にはさまざまなモンスターが生息していて、そんな場所で山賊稼業をするなら、片時も休むことなく森のモンスターと戦う羽目になるだろう。
それに、もし森に山賊がいたとしたら、父が村を拡張するために森を開墾する際に討伐しているはずだ。
「一体誰が…!」
どんな奴が貴族を、それも公爵家の令嬢を誘拐したのか。
ある集団が頭をよぎる。
カオスウェイブ。
今回の誘拐事件の主犯がカオスウェイブだという確証はないが、これまで奴らが学校を襲撃してきたことを考えると、奴らの狙いは学校にあるはずだ。
特に、生徒が多い場所を狙ってきた奴らの行動を思い出すと、人を狙っているという意味だろう。
奴らの狙いがシャルロット先輩である可能性が高い。
何と言っても、学校で最も強く、最も高位の爵位を持つ人物がシャルロット先輩なのだから。
「それよりも今はどこへ行ったのかを知る必要がある。」
誰が連れ去ったのかは犯人を見つければすぐに分かる。
今重要なのは、奴らがどこへ行ったのかだ。
村で見つからなかった以上、村の外、森へ行ったのは確実だろう。
では、森のどこへ連れて行かれたのかということだが、この広い森を全て探し回るのは非効率だ。
そもそも奴ら全員がシャルロットだけを連れ去って逃げたわけではないはずだ。
必ず村の動きを監視している奴がいるだろう。
自分たちを探していると気付かれれば、休んでいた奴らが再び動き始めるだろうし、見つかればシャルロット先輩を取り戻すのがさらに難しくなるかもしれない。
「奴らの痕跡を見つけなければ…」
正々堂々としていない奴らだ。
きっと警備兵が守っている村の入り口を通って出入りしたのではないだろう。
恐らく、まだ防壁が完成していない柵を越えて入ってきたのだろう。
そうであれば、今確認すべきは柵の近く。
幸いなことに、数日前の雨で地面はまだ湿っている。
必ず痕跡が残っているはずで、その痕跡は奴らの足跡に違いない。
「俺の平和な生活を邪魔するとどうなるか…しっかりと思い知らせてやる。」
俺の普通の生活を邪魔する者は誰であろうと許せない。
&&&
明るい月が出ているにもかかわらず、木々が生い茂る森は暗い。
しかし、その森の中でも明るい光が漏れている場所があった。
「うっ…!」
洞窟の中から女性の小さなうめき声が響く。
「やめておけ。どれだけ足掻いても解けるはずがないからな。」
シャルロットがもがく様子を見た男が、にやりと笑みを浮かべて眺める。
彼女の手足を縛っているのは、他でもない魔法だった。
光の輪が後ろ手に縛った彼女の両手首よりも小さく絞られ、ほどくことはできない。
もし剣があれば、こんなものは簡単に切り裂けたのに。
アルセルが安全だと判断して部屋に置いてきたのが軽率だった。
「やっぱり公爵家の娘だな。言葉が通じないらしい。」
くつくつと笑う男。
赤いローブの中から見える褐色の肌。
深く被ったローブのフードで目はよく見えないが、顔の輪郭は四角く、唇はかなり分厚い。
彼はしゃがんでシャルロットの顎を持ち上げ、あれこれと眺め回す。
「惜しいものだ。こんな女をそのまま連れて行くだけとはな。」
「せっかくですし、一度どうです? どうせばれないんですから。」
男は顎から手を離した。
「馬鹿なことを言うな。その女は、俺が触れたかどうか全部わかるんだ。俺は早死にする気はない。」
「そうですか、それは残念ですね。」
洞窟の中では薪がぱちぱちと燃えている。
男は枝に刺して焼いたキノコを手に取り、むしゃむしゃと食べた。
甘さは一切なく、苦味で満たされたキノコの風味が口いっぱいに広がる。
「この辺りのものは、どうして全部こんな調子なんだ?」
「それにしても、周囲を見ても獣のようなものは、モンスターに食い尽くされたのか見当たりませんね…」
「教祖様や他の幹部も、こういう生活を一度味わってみるべきだな。」
「上の連中がこんな生活をするわけがない。現場に出て働くのは、俺たちみたいな下っ端だけだ。」
男は食べ終えた枝を地面に投げた。
すると、その枝が石を突き破って地面に刺さる。
「村の動きはどうだ?」
男の隣にいた赤いローブの者が目を見開いた。
彼の目から薄い光が漏れ出し、それはすぐに消えた。
「森を探す気配は見られません。おそらく明日になって兵士を連れて森の外を探し始めるつもりのようです。」
「ハハ! まったく、馬鹿な奴らだ! 人を誘拐しておいて、村の中にいると思うなんてな!」
「本当ですね。もし私だったら、村には5人だけ捜索させて、残りは全員外に向かわせるのに。」
バシッ!
「痛っ!」
洞窟に響く頭を叩く音。
「おい、この馬鹿野郎。5人でどうするつもりだ? せめて30人は必要だろうが、俺たちを相手にするにはな。」
男はくすっと笑い、低くそびえた岩を枕代わりに横になった。
「明け方に出発する。誰か来たら起こせ。」
「了解です。」
静かになった洞窟。
焚き火の音と男のいびきだけが聞こえる洞窟で、赤いローブをまとった者が身動きするシャルロットを見つめる。
そして、横で眠っている男をちらりと見て様子を伺い、男が深い眠りに落ちたのを確認すると、静かに立ち上がりシャルロットの隣に近寄る。
シャルロットの視線が彼に向き、彼がにやりと笑った。
「シーッ」
&&&
ざくざくと草を踏む音が耳を打つ。
俺は左手に持ったゴブリンの頭を放り投げ、地面を見つめた。
全速力で走りながら柵の辺りをくまなく探した。
そして、ようやく見つけることができた。
奴らのものと思われる足跡を。
その痕跡を追って数十分。
ゴブリンを何匹か倒しながら進んだ俺の目の前に、ついに現れた。
光が漏れている洞窟だ。
入口へと近づくと、立っていた2人の男が武器を手にする。
「何者だ?」
赤いローブをまとった奴ら。
カオスウェーブの連中だ。
顔を布のマスクで覆った奴らが目を大きく見開き、俺を睨む。
「あいつは…」
「早くアバンチェ様に知らせろ!」
1人が中へと駆け込み、もう1人が緊張した面持ちで短剣を握り締めながら俺に向かって歩いてくる。
俺は短剣を構え直し、奴に向かって走りながら振り下ろした。
シュッ。
目線を合わせていた奴の視線がゆっくりと下に落ち、噴き出した血が俺の仮面を濡らす。
目を閉じることもなく首を切られた奴の頭を掴み、そのままゆっくりと洞窟の中へと進んだ。
四方八方から雑魚どもが押し寄せてくる。
1匹は首を刈り、もう1匹は心臓を突き刺す。
怯えた別の1匹は、顎に短剣を突き立てられた。
目を見開き、血を吐きながら地面に崩れ落ちる。
目の前に死体が積み重なる様子を見て、俺の手がわずかに震えた。
「感情とは、乾いた藁に投げ込まれた火の付いたマッチのようなものだ。」
前世で教官が、俺たち仲間に感情を捨てろと教えながら言った言葉だ。
乾いた藁に火の付いたマッチを投げ込めば、一瞬で火が燃え広がるように、感情も一度火がつけば手が付けられなくなる。
特に怒りと恐怖。
この2つは、暗殺任務に赴く俺たちにとって絶対にあってはならない感情だと言われた。
他の感情を捨てられなくても、この2つだけは必ず捨てろと。
だが、人の感情というものは、訓練をしたところで完全に消えるわけではない。
前世で兵士たちを殺していた時は、こんな震えはなかった。
だが、この世界で幸せな家庭に生まれ、10年以上もの時間を家族と共に過ごしたことで、消えたはずの怒りと恐怖が再びじわじわと蘇っている。
わずかに震える腕を押さえた。
俺は感情を抑え、ゆっくりと前に進んだ。
パチパチと燃える焚火の前に男が座り、火かき棒で焚火を弄っている。
「随分と派手にやってくれたな。」
眠っていたのか、男が焚火の前で伸びをした。
シャルロットはどこにいるのかと辺りを見回すと、手足を縛られた状態で別の男と共にいるのが見えた。
口を塞がれたシャルロットの視線が俺に向かう。
俺は焚火に向かって持ってきた頭を投げた。
目を見開いたまま死んでいる部下の頭を見た男は、笑いながら俺を見据えた。
「ありがたいねぇ。わざわざ部下まで親切に連れてきてくれてよ。」
ゆっくりと立ち上がった男は、ローブのフードを取った。
灰白色の乱れた長髪。
ローブの隙間から見える鉄板を張り付けた革鎧。
手にはガントレット、腰にはワンドと地面に届きそうな長剣を装備した、2メートルを超える巨漢の男だった。
「俺たちの間ではお前の名声は広まっているぜ。
何か仕事をしようとすれば、仮面を被った奴が現れて邪魔をするってな。」
男が拳を鳴らし、不敵な笑みを浮かべる。
「戦ってみたかったんだよ。お前と。」
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