黒いローブの男

「みんな、大丈夫か?!」 「先生!」


彼らの前に現れたのは、先生であるアレイラ・ベラスティンだった。アレイラはアリアのところに駆け寄り、彼女を抱え上げて後ろに走り出した。


「ニール、君もついてきて!」

「はい!」


モォォォ!


彼らが全力で逃げている間に、ミノタウロスは力を入れて一瞬で鎖を引きちぎり、彼らに向かって突進してきた。


『このまま入口まで走るのは危険だ。』


今、他の生徒たちは入口付近で待っているはずだ。彼らには他の先生を連れてくるように頼んでおいたので、今頃はもう他の先生も到着しているかもしれない。だが、このままミノタウロスを入口へ連れて行けば、他の生徒たちに危険が及ぶ可能性がある。 生徒たちは皆貴族なので、彼らが傷つけば学校に与える損害も大きいだろう。


アレイラはアリアを地面に降ろし、ミノタウロスが突進してくる方向に向けて杖を構えた。


「ニール。」

「はい!」

「私が行こうとしていた方へ真っすぐ行けば入口がある。入口付近に先生がいらっしゃったら、すぐにここに来るよう伝えてくれ。」

「で……でも、私たちだけ行くと、ミノタウロスを先生が一人で……。」


アレイラは歯を食いしばった。


「先生たちが学校にいるのは、君たちを教えるためだけじゃなく、君たちを守るためでもあるんだ。」 「先生……」

「君たちが早く先生を連れてくれば、その分私が助かる可能性も高くなるから、できるだけ急いでくれ。」


ニールはうなずいて気を失っているアリアを背負った。


「分かりました!」


そして入口に向かって走り出した。


ドン、ドン。


ミノタウロスの足音が大きくなり、その姿が見え始める。いくら強力な魔法使いでも、上級モンスターと1対1で戦うのは無謀だ。しかし、今はやるしかない。


アレイラは深呼吸をした。感覚が研ぎ澄まされ、空中に漂うマナ一つ一つが彼の体に感じられる。


モォォォ!


木をなぎ倒しながら目の前に現れるミノタウロス。アレイラは杖を振りかざし呪文を唱えた。


「サンダーライトニング!」


彼の前に巨大な黄色の魔法陣が発動し、その中から雷鳴とともに、空から落ちてくるような強力な稲妻が放たれた。


ズドン!


サンダーライトニングを浴びたミノタウロスが一瞬動きを止める。サンダーライトニングは強力な内傷を与えると同時に、体を麻痺させる魔法だ。少しでもダメージを与えるのが目的ではあるが、この魔法を使った主な理由は、奴の動きを封じて時間を稼ぐためだった。 だが、奴は予想外の行動を見せた。


バキッ。


麻痺した体を無理やり動かしている。 まさか、奴は——。


『麻痺していない……』


サンダーライトニングは中級魔法の一つだ。どんなに強力なミノタウロスであっても、強力な電撃を浴びれば、生物である以上麻痺するはずなのに、なぜ奴は平然としているのか。


『魔法探知。』


目が輝き、視界が少し暗くなる。そしてミノタウロスを見つめた。


『あれは……アンチエフェクト……。』


状態異常を無効化する魔法、アンチエフェクト。それが今、ミノタウロスにかかっている。ミノタウロスの中には呪術師がいることもあるため、魔法がかかっているのはおかしくはない。しかし、それはあくまでミノタウロスの呪術師が近くにいる場合の話だ。


『ミノタウロスの呪術師が近くにいるのか?』


森の中にミノタウロスが二体もいるなんて。いったいどこから入ってきたんだ。


『今はそんなことを考えている場合じゃない。』


奴にアンチエフェクトがかかっている以上、状態異常で奴を拘束することはできない。ならば圧倒的な火力で奴の体を消し去るしかない。


フンッ。


ミノタウロスの鼻から強い息が漏れ、奴が突進してくる。アレイラは身を投げ出してかわし、走りながら呪文を唱える。


「ファイアアロー!」


赤い魔法陣と共に飛んでいく数十発の火炎の矢。それは奴に突き刺さらず、そのまま空中で粉になって消えた。突進してきたミノタウロスが方向を変え、再び彼に向かって突っ込んでくる。


アレイラはなんとか身を投げ出して避け、距離を取った。


『くそっ……』


下級魔法とは異なり、上級魔法は強力である分、マナを集め集中する詠唱時間が必要だ。しかし、この状態で奴が突進し続けるなら、上級魔法を使うことは不可能だ。


『誰かが来てくれさえすれば……来てくれさえ……。』


共に戦ってくれる人がいれば、奴を十分に……。


シュパッ。


アレイラは目を見開いてミノタウロスを見つめた。


「どうなっているんだ?」


ミノタウロスの腕から血が流れ落ちている。何かが掠めたのかと見ると、ミノタウロスの後ろの木に鋭い刃の短剣が突き刺さっていた。そして、一人の男がゆっくりと彼を通り過ぎ、ミノタウロスの前に立った。


何も浮かんでいない夜空のような漆黒のローブ。そして、その隙間から見える虎の仮面。

学校で一度も見たことのない男だった。アレイラはすぐに距離を取り、その男に杖を向けた。


「お前は誰だ?」


ローブの男は一瞬彼を見つめた後、周りを見渡し、ゆっくりとミノタウロスを通り過ぎて後ろにある短剣のところまで歩いていった。 彼が短剣を掴んで木から抜いた瞬間、ミノタウロスが叫び声を上げながら彼に向かって斧を振り下ろした。


バキッ。


木が粉砕され、地面に倒れ込む。しかし、その木には血痕のようなものはない。


トンッ。


どうやったのか、さっきまで地面にいた男がミノタウロスの斧の上に座っている。ミノタウロスは斧を振り回し、彼を地面に落とそうとし、さらに斧を振り続ける。


男は後ろにジャンプしてかろうじてかわす。いや、彼はぎりぎりでかわしているのではなく、完全に距離を計り、必要以上の力を使っていないだけだった。


『今は見ている場合じゃない。』


男が注意を引きつけている間に、アレイラはすぐに目を閉じ、集中し始めた。通常の魔法とは違って、彼が目を閉じて集中する時間が長くなるほど、アレイラが立っている地面の周囲に赤い魔法陣がどんどん拡大していく。


モォォォ!


怪しい気配を感じ取ったのか、ミノタウロスがアレイラに向かって走ろうとした。その瞬間、男がミノタウロスの体を切りつけて注意を引きつけ、怒ったミノタウロスが男を殺そうと斧を無差別に振り回し始めた。


どんどん拡大していく魔法陣。そしてしばらくして、魔法陣が一定の大きさに達した時、アレイラはミノタウロスに向かって杖を構え、呪文を唱えた。


「ヘルファイア!」


ドォォォン!


空中の空気さえも焦げるような音がするほど強烈な炎が地面を突き破り、ミノタウロスを飲み込みながら空高く燃え上がる。


パチパチ……。


炎の柱が鎮まり、周囲は灰となって地面に積もっている。


「はぁ……はぁ……」


体内のほとんどのマナを使い果たし、もうこれ以上魔法を使えない状況。しかし。


モォォォ……。


まだ死んでいないミノタウロスがふらふらと立ち上がり、斧を持ったままアレイラに近づいてくる。


ドン、ドン。


動くことすらできないアレイラは、その様子をただ見つめることしかできなかった。 目の前に到達したミノタウロスが斧を振り上げた。奴をヘルファイアで仕留められなかったその瞬間、死を覚悟した。 もう少し攻撃できていれば倒せたかもしれないと思ったが、仕方がない。


生徒たちが避難しただけでも彼の役割は終わったのだ。


モォォォ!


パンッ。


空気が破裂する音が聞こえ、アレイラの顔に温かい血が飛び散る。アレイラは目を大きく開き、ミノタウロスを見つめた。正確に心臓を貫かれている。ミノタウロスの左胸が穿たれており、持ち上げた斧の重さでミノタウロスが後ろに倒れ、後ろにいた男の姿が目に入った。


彼の手に握られていたのは赤い杖だった。


「魔法……使い?」


短剣を使う方法や身のこなしから、確かに暗殺者系の能力を磨いている人物だと思っていた。しかし、魔法とは。一体どうして魔法使いがあんな動きをできるのだろうか。


身元不明の男は背を向けて歩き出す。


「ま、待って……。」


アレイラはふらつきながら立ち上がり、男に問いかけた。


「あなたは……誰ですか……。」


かすれた声を絞り出して問いかけたが、彼は答えずにただ一度振り返っただけだった。


「アレイラ先生!」


後ろから聞こえてくる声。彼の傍に駆け寄ってきたミューゼルや他の先生たちがアレイラの視線の先を見つめる。


「お前は誰だ!?」


ミューゼルが杖を取り出して彼に向ける。まるで逃げ出すように走り出す仮面の男。


「待て……!」


ミューゼルが走り出そうとするのを、アレイラが腕で制止した。


「あの人は私を助け、ミノタウロスを倒してくれた方です……追う必要はありません。」

「でも、もしもあの人が黒幕だったら……。」

「黒幕だったら、ミノタウロスではなく私を攻撃していたはずです。」


ミューゼルは遠ざかる男とアレイラを交互に見つめた後、杖を下ろした。


「分かりました。信じます。」

「ありがとうございます。」


アレイラはまだ残っている木の幹に寄りかかり、荒い息をついた。


「生徒たちは無事ですか?」

「はい、先生がミノタウロスを引き止めてくださったおかげで、生徒たちに被害はありませんでした。」


髪を後ろで結んだ中年の男性が、満足そうな笑みを浮かべて見つめていた。彼は氷系の魔法を教える教師の一人、カメル・ドライス。


「よかった……。」

「それにしても、ずいぶんと激しく戦いましたね。」


長い髪を上に丸くまとめて束ねた、紫のローブを纏った20代半ばの女性が彼の隣に座った。彼女がアレイラの負傷した部位に手を置くと、明るい光と共に傷が徐々に癒え始めた。


「ありがとうございます、ナガイア先生。」

「お礼なんていいですよ。それにしてもどうでしたか?」

「え?」

「久しぶりに上級魔法を使った気分は。」

「あ……。」


アレイラは空を見上げて、ふっと笑った。


「特に良い気分でもなかったですね。」


上級魔法を使うことなんて、冒険者を引退した後にはもう二度とないと思っていた。


「羨ましいなあ。私も上級魔法を使ってみたいのに。」 「使わないほうがいいですよ。」


大量のマナを消費する上級魔法を使うということは、それだけ自分が今、生死の境に立っているという意味でもあり、上級魔法を使うことが必ずしも良いことばかりではなかった。


「とりあえず傷の治療は大まかに終わりましたし……行きましょうか?校長先生のところへ。」


アレイラは立ち上がり、背伸びをしながらため息をついて頷いた。


「ええ……」


「久しぶりに体を動かすと気持ちいいね!」


やっぱり人間は体を動かさないといけない。久しぶりに体を動かすと、凝り固まっていた感じも全部吹き飛んで、爽快だ。ただ、一つ心配なのは……


「誰にも気づかれてないよな?」


とりあえずローブと仮面を着けていたから、俺の顔を見た人はいないはずだ。もし見られていたら、俺が逃げた時に名前を呼ばれていただろう。


「もしものことも考えて……」


先生が別に呼び出してきたら……その時は覚悟を決めるしかない。


「エドワード!」


ナルメリアの森の入り口に向かうと、ニルが俺の方に駆け寄ってくる。秘密は漏らしちゃいけないから、こいつにも話さないほうがいいな。


「どこに行ってたんだよ?今頃来るなんて。」

「ちょっと寮で寝てたんだよ。どうせ来てもやることなかっただろうし。」

「そうか……はあ、良かった。」


「何かあったのか?」

「ナルメリアの森にミノタウロスが出たんだ。」

「ミノタウロス?」


既に知っているけど、当然驚いたふりをするべきだ。


「どうなったんだ?」

「とりあえず先生たちが入って討伐したみたいだ。」


先生たちが手を打ってくれたのか、森に入る入口が塞がれている。しばらくの間、ナルメリアの森を通ってラビリンスの中心部に行くのは難しそうだ。


『仕方ないな……』


しばらくはここに留まるしかなさそうだ。


「ところでアリアは?まだ出てきてないのか?」

「それが……」


ニルが困ったように後ろ頭をかきながら言った。


「用事があるとかで先に寮に戻ったよ。」

「そうか。あいつなら爪を噛みながらでも入りたがると思ったのに……」


俺の言葉に何か問題があったのか、奴の顔が暗くなる。


「俺たちもミノタウロスに遭遇したんだ。」

「お前たちも?」

「ああ……」


奴が両手をぎゅっと握りしめる。


「めちゃくちゃ強かった。アリアのファイアボールにも全然効かなかったんだ……」


攻撃したけど通用しなかった。それで自尊心が傷ついて帰ってしまったのか。


「それは当然だろう。お前もアリアも、俺も、みんな学校に入ったばかりの新入生だからな。」

「時間が経って卒業する頃には……俺たちもミノタウロスを倒せるようになるのかな?」

「それは……今考えても意味がないよ。」


人によって成長の速度も違うし、適性も異なる。誰かは学校を卒業する前に倒せるだろうし、誰かは卒業しても倒せないかもしれない。ただ、一つ確かなことがある。俺たちはまだ入学したばかりで、力が落ちることはなく、成長するしかないということだ。


俺の言うことが理解できたのか、奴はふっと笑う。


「そうだよな。今考えても気分が悪くなるだけだ。」

「それはそうと……これからどうするんだ?」

「次の授業もあるし、教室に戻らないといけないんじゃないか?」

「こんな状況でも授業をするなんて、本当に厳しいよな、あの先生。」


ミノタウロスを倒して体力を使い果たしたのに、また授業をしようとするなんて。強いのか、それともただ厳しいのか。よく分からない。


「次の授業はアレイラ先生じゃないだろ?」

「そうだったか?まあ、どっちにしても。こんな事件が起きたのに授業を続ける必要なんてないんじゃないか?」

「勉強を続ければ、俺たちも強い魔法が使えるようになるんじゃないか?」

「ミノタウロスに会って、実力の差を感じたから今そう言ってるのか?」

「あ、ああ……いや、違うよ!」

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