森に現れたミノタウロス

くねくねと動く音が聞こえる。よく来ているので慣れ親しんだナルメリアの森の風景の中に、見慣れないスライムがうごめきながらこちらに近づいてくる。


「ファイアボール!」


アリアの呪文と共に飛んでいった火の玉がスライムに当たって爆発する。


「おお、アリア!前よりもファイアボールが強くなってない?」

「当然よ!これくらいできないと、セルリマ家の一員とは言えないでしょ?」

「やっぱりセルリマ家ってすごいんだね。」


二人が仲良く先頭を歩き、今、僕は荷物持ちのように彼らの後ろをついていく。


『はあ……』


今すぐ寮に走って、新しく買った高級な杖を持って来て使いたいけど、それを使ったら即退学だ。 今手に持っているこの安物の杖で魔法を使ったら、また何も出せずに壊れてしまうだろう。 もちろん以前、外でたくさん買ってきたけど、無計画に使って杖を全部壊してしまったら、もう杖を買うお金もなく、他の魔法の練習もできずに指をしゃぶって過ごすしかない。


『他の魔法が使えるかどうか分からないけど……』


ファイアボールも出せないのに、他の魔法がうまくいくとは思えないけど、でももしかしたらってこともあるかも。 ファイアボールだけがうまくいかなくて、他は上手くいくかも。


「エドワード。」


ニールが振り返って僕を見ている。


「なんだ?」

「君も一回やってみてよ。」


前に僕が魔法を使ったのを横で見てたのに、またやれっていうのか、こいつは。


「前の実習訓練の時に、何も出なかったの見てただろ?」

「その時と今とで違うかもしれないじゃないか?」

「そうかもしれないけど……」


あれ以来、杖が壊れるのが怖くて練習はおろか、ファイアボールの「ファ」の字も口に出してないけど、果たしてうまくいくのか。 いや、うまくいかないだろうな。


『でも、もしかしたら……もしかしたらね。』


今回もうまくいかなければ、ファイアボールはきっぱり諦めよう。 他の魔法を狙ってみよう。


「あそこにスライムがいる。」


ニールが木の下でうねうねと這い回っているスライムを指差す。


「よし、一度やってみるか。」

「また貴重な杖が一つ壊れそうだね。」

「縁起でもないことを言うなよ、アリア。」

「事実を言っただけなのに?」


あのアリアめ。 絶対に成功させて鼻を明かしてやる。


「ふう……」


深呼吸をしてスライムに向かって杖を構える。 そして呪文を唱えた。


「ファイアボール!」


ブイーン―


杖から振動が伝わってきて、そして、


バキッ。


「くそっ!」


なんでこうなるんだ、いったい!


「やっぱりね。男爵家なんかがどんな魔法を使おうっていうの?〜ファイアボール!」


アリアが僕をからかいながら素早く呪文を唱えてスライムを攻撃して仕留める。


「ア、アリア、そんなこと言わないでくれ。」

「何よ?事実を言っただけなんだから。」

「はあ……」


僕は壊れた杖を見つめた。 今回もきれいに縦に真っ二つに割れている。 なぜこんなことが起こるのだろう。 魔法を使うときに緊張して、僕が強く握りすぎたせいなのか? それなら高級杖を握って魔法を使ったときはなぜ壊れなかったんだ? そして、なぜそのときは魔法が出たのか。


「ニール。」

「ん?」

「僕、寮に行って杖をもう一本持ってくるよ。」

「分かった。」

「杖倉庫でも新しく作ったのかな?迷わないように他の人に借りて来るんだよ。」


拳がうずく。 本当に走っていって、あの高級な杖を持ってきて魔法を見せつけてやろうか? いや、あの伯爵家のお嬢様には僕が外でこっそり杖を買ってきたのがバレたら、即座に先生にちくるに違いない。 あの子には絶対にバレるわけにはいかない。


&&&


「そこまでしなくても良かったじゃないか。」

「しなくても良い?自分の立場も分からず、ずっとこのアリアに逆らってたんだから、これくらいされても当然よ。」

「でも、家のことを持ち出してまでそんなことは……」

「じゃあ、あなたにもやってあげようか?」


アリアが悪意のある笑みを浮かべてニールに言うと、ニールが首を横に振る。


「いや、結構だ。」

「なら、黙ってなさい。あ、あそこにもう一匹スライムがいるわ!」

「今回は僕が仕留めるよ。」


ニールが杖を取り出してスライムに向ける。 しかし、魔法を発動するのは別の人、アリアだった。


「ファイアボール!」


彼女の大きな声が森に響き渡り、大きな爆音と共にスライムが爆発する。


「やった、また一匹!」

「僕がやるって言ったのに……」

「君は後でいいわ。私が全部仕留めて興味を失ったらね。」


それはつまり、今日は倒せないということ。 ニールは深いため息をついた。


『エドワードはいつ戻ってくるのかな……』


エドワードが戻ってこないまま、かなりの時間が経っていた。もしかして、道に迷ったのではないだろうか。


「さて、もう少し……」


ドシン、ドシン。


アリアとニールは足を止めた。


ドシン、ドシン。


一定の間隔で振動とともに森を震わせる大きな音が聞こえる。こんな規則的な音を出しているものが何か、二人にはわかっていた。


それは足音にほかならない。しかし、大地を揺るがすほどの足音を立てる人間などいるはずがない。つまり、これはスライムではない何かがいるということだ。


「アリア、戻ろう……」


ニールは怯えた表情で音のする方向を見つめている。その一方で、アリアは微笑みを浮かべていた。


「いいえ、これは絶好のチャンスよ」


あれほど大きな足音を立てるモンスターなら、相当強いに違いない。今行ってあのモンスターを倒せば、学校で表彰されるのは間違いないし、セルリマ家の長女である姉のアドネア・ド・セルリマを超え、父に認められるかもしれない。


「アリア、僕たちじゃあのモンスターは倒せないよ……使えるのはファイアボールだけじゃないか!」


「あなたには無理でしょうね。でも、ファイアボールをマスターした私には、あの程度のモンスターなんて朝飯前よ」


自信、いや、慢心だった。


ドシン、ドシン。


足音がますます近づいてくる中、アリアは杖を構え、音のする方向に向けて詠唱を始めた。


「ファイアボール!」


彼女の体ほどもある巨大な魔法陣が空中に浮かび、魔法陣の中から巨大な火の玉が現れて彼女の示す方向へと勢いよく飛んでいく。やがて爆発音とともに煙が立ち上る。


『これで倒せたはずよ』


かなりの魔力を込めたファイアボールだった。並のモンスターなら一撃で倒れるはずだ。だから、目の前にいるモンスターも当然死んでいるだろう――そう思った。しかし、それはただの慢心に過ぎなかった。


ドシン、ドシン、ドシン、ドシン。 バキッ。


目の前のものが木々を押しのけ、二人に向かって突進してくる。そして、ついにそれが彼らの前にある木をへし折った瞬間、ニールとアリアはその正体を目の当たりにする。


それは――ミノタウロスだった。


&&&


「うーん……」


私は手にした杖を見つめていた。持ってくるかどうか、何度も悩んでいたのだ。そうして持ってきたのは、学校で支給されるような一般的な杖だった。


あの高価な杖を持ってきて、あいつの鼻をへし折るくらいなら構わない。でも、いくら考えても、その後のことを思えば、あいつをやり込めて得られる満足感よりも失うもののほうが大きい気がしたのだ。


「後で必ず鼻をへし折ってやる…」


父からお金をもらって好きなだけ杖を買えるようになったら、何百回でも何千回でも練習して、あいつの鼻を完全に叩き潰してやろう。


「何だ?」


ざわめきが森の入り口から聞こえる。まだ授業終了の時間ではないはず。なのに、今、子どもたちが入り口に集まっている。


「どうしたの?」


集まっている生徒たちに尋ねると、怯えた表情で話し始めた。


「あ……あの、中にスライム以外のモンスターがいるんだ」

「中に?」

「う、うん、見たって言ってたやつによると、ミノタウロス……って言ってたけど……」

「ミノタウロスって……」


本で読んだことがある。頭は牛で、胴体は人間のような姿。手には巨大な棍棒や斧のようなものを持ち、人間を襲うモンスター。


『ボス級のモンスターだったか?』


多分、そうだろう。でも、本で読んだ内容と違う点がある。ミノタウロスという存在は確か、ダンジョン内にのみ出現すると書かれていたはずだ。なのに、なぜこんな学校の森にいるんだろう。


『僕が読んだ本が古かったのか?』


ともあれ、そんなモンスターは、先生であるアレイラがきっと対処してくれるだろう。姿が見えないところをみると、既に中に入ったのかもしれない。


『ニールとアリアも出てきたのかな?』


私は二人を探すために生徒たちを見回してみた。しかし、姿が見当たらない。


『まだ出てこられていないのか?』


一体、あいつらは何をしているんだろうか。ミノタウロスが現れたのにまだ森の中にいるなんて、この森がそんなに広いわけでもないのに。


『まさか……』


ミノタウロスにやられてしまったのではないだろうか。


『どうするべきだ……』


普通の生徒ならここで先生を待つのが普通だろうけど、先生がどんなに優れた人物だとしても、全員を救い出すのは難しいだろう。今からでも中に飛び込んで二人を助けたいが、今の私の武器はダガーでも、高級杖でもなく、支給された一般的な杖だけだ。このまま飛び込んでしまえば、私自身が危険に晒されることになるだろう。しかし、今あそこにはニールとアリアがいるんだ。前世のように仲間を、友達を失いたくはない。


『でも、このままでは確実に引き止められてしまう』


中で先生に見つかってしまえば、強制的に森の外へ追い出されてしまうだろう。


『遅れるかもしれないけど……』


私が取れる方法は一つだけ。この前、ラブリンスの服飾店で買ったローブと仮面。それがあれば、十分に正体を隠せるだ。


&&&


ドシン、ドシン。


足音が聞こえる。大きな足音が聞こえる。


「……ひぃ……っ」


人が数人入れるくらいの大きさの木に開いた穴。その中でニールとアリアは息を殺して隠れていた。


あの巨大な足音の主。せいぜいオーク程度だろうと思っていた。オークでなければアルファトードくらい。だが、それはミノタウロスだった。ミノタウロス。ダンジョン内に出現する上級モンスター。そんなモンスターがなぜ学校内の森に現れるというのか。


ドシン、ドシン。


次第に近づく足音に、二人は何も言わず息を潜める。どうか通り過ぎてほしいと切に願いながら。しかし、それはあくまで二人の願望に過ぎなかった。


クンクン。


ミノタウロスが鼻を鳴らす音が耳に届き、やがて黒い影が彼らの隠れている木の入り口を覆った。


「モォオオォォ!」


巨大な咆哮を上げ、奴が手にした斧で木を叩き割る。たった一撃で吹き飛ばされる木。アリアとニールは外へ飛び出し、アリアは奴に向かって杖を向けた。


「ファイアボール!」


魔法陣から放たれたファイアボールがミノタウロスの頭にぶつかり爆発する。しかし、入学したばかりの者が放つファイアボールなど、ダンジョンの上級モンスターには通じるはずもなかった。


「モォオオォォ!」


一度の咆哮でアリアとニールの耳から血が流れ出す。アリアは地面にへたり込み、制服のスカートが染まっていく。


「た……助けて……助けてく……」


ゆっくりと頭上に斧を振り上げるミノタウロス。それがアリアに向かって振り下ろされる。


「フッ!」


「チェイン・リストリクション!」


呪文を唱える声が響き、ミノタウロスが立っている地面から鎖が飛び出し、奴の身体をぐるぐると縛り上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る