第10話:女皇イリス・アストリア

マンテスター男爵家の宣戦布告から数日が経過した。この間に情報は、波紋の如く瞬く間に広がり、現在帝国全土でホットな話題となっていた。近隣を治める貴族は飛び火を食らわぬよう、念のため防衛線を張り、その他の貴族は警戒度を高めつつ、傍観に徹した。


もちろんこの情報は、アストリア帝国の頂点に君臨する女皇の耳にも届いた。


「イリス陛下。只今、マンテスター男爵家がアードレン男爵家に宣戦布告したとの情報が入りました」

「アードレン……最近代替わりした男爵家か。新男爵はかなり若かったような気がするのだが」

「はい。現在の当主は十四歳のリュウ・アードレンでございます」


「宰相よ。此度の戦、其方はどう見る?」

女皇は、横に控えている宰相に問う。


「個人的にはマンテスターの勝利が堅いかと」

「ほう。その理由は?」

「アードレンは先代から徐々に衰退の一途を辿っております。そして負債を遺したまま、不慮の事故により当主の座を譲り渡しました。両者の詳しい戦力は存じ上げませんが、マンテスター男爵がこのタイミングで宣戦布告したのは、何かしら勝機を見出してのことでしょう。以上の理由から、私を含めほとんどの国民がマンテスターを推していると考えられます」


「其方にはそう見えているのか」

「……もしや陛下には別のお考えが?」

「うむ」

「よろしければ、お聞かせ願いたく」


「余には、リュウ・アードレンがマンテスター男爵の企みに勘付き、無能な前当主を排除したように思える。そして短期間で準備を整え、万全な状態で迎え撃つ。そのくらいの余裕まで見て取れる。まぁどのような理由で勘付き、どのような方法で排除し、またどのような戦術で迎え撃つつもりなのかは不明だがな」

「要するにアードレンが勝つ……と。しかし陛下。それを可能とするほどの傑物であれば、すでにどこかで頭角を現していたのではないかと存じます。もう少し彼についての情報があれば、話はまた別なのですが」


「問題はそこなのだ。なぜかリュウ・アードレンに関して世に出回っている情報は、他の貴族子女に比べ圧倒的に少ない。それも不自然なほどに」

「今更になってしまいますが、アードレンにも密偵を放った方がよろしいでしょうか。帝国の大貴族等と同じように」

「頼む。それもとびっきりの手練れをな」

「承知致しました」


宰相は直ちに指示を出し、文官達を走らせた。


「どちらの予想が当たっているのかは、事の結末を見ればわかる。それまでの辛抱だ」

「帝城からゆるりと眺めたいところですが、念のため“魔術師”を呼んでおきましょう。この戦に乗じて、よからぬ事を考える愚か者が現れる可能性はゼロではありませんので」


魔術師とは、アストリア帝国において多大な功績を残し、皇帝から直々に勲章を授けられた魔法使いのことを言う。その者達は全員帝国に忠誠を誓っており、女皇の手となり足となり現在も大陸中を暗躍している。全体の人数は不明だが、世界に名を馳せる有名な魔術師もチラホラと存在する。例を挙げると……。


「適当に“絶海”でも呼んでおけ。奴は今首都に駐在しているはず」

「承知致しました」


噂では、魔術師は単独で一国の軍隊と渡り合えるほどの実力を持ち合わせており、また帝国においての地位は、近衛騎士団長と同等かそれ以上なのだとか……。


アストリア帝国が貴族同士の争いを許可しているのは、彼等の存在あってこそ。要するに“戦争など皇族軍と魔術師だけで事足りる”という、世界へのメッセージである。他国からすれば恐ろしいなんてものではない。全体の人数を公表していないことも、恐れられる理由の一つだろう。このように心理戦でも帝国は圧倒的なのである。


今代の女皇イリス・アストリアが賢帝と呼ばれる所以であろう。


女皇は最高級ワインを開け、グラスに注いだ。

「イリス陛下が昼から酒を嗜まれるのは珍しいですね」

「柄にもなく、興が乗ってしまってな。許せ」

「確かに陛下が即座に結論を出されないのは、少々久しぶりな気がします」

「ああ。余が“わからない”のは何年振りか。こんなの酒を注ぐしかないだろう。其方も飲むか?」


「陛下からお誘いをいただけるなど恐悦至極……しかし苦渋の思いで遠慮させていただきます。この後も公務がありますので」

「相変わらず真面目だな」

「それだけが私の取り柄だと自負しております」

「よく言う」

即座にツッコまれた宰相は苦笑いをした。


女皇は酒を一口。

(はてさて……戦はどうなることやら……)




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