第3話:領地視察
翌朝。アードレン男爵家本邸、当主の寝室。
部屋の中央にはキングサイズのベッドがあり、当主と二人の女性が無造作に寝転がっていた。
コンコン。
「……」
使用人がノックをするも、中から返事はない。
(また酔い潰れているのか……。いつもならこのまま業務に戻るところだけど、今日は領地観察の日だからなぁ。起こさないと後で面倒事になるから、嫌々起こすしかないか……)
使用人は諦め溜息を吐き、ドアを開ける。
「御当主様。本日は領地視察の日ですので、そろそろお目覚め下さい」
「……うるせぇなぁ。サボりゃいいだろ、そんなの」
「ですが御当主。この行事は皇帝陛下がお定めになられたものですので、万が一貴方様の欠席が公になれば、後々何らかの罰則をくらう可能性が高いのです」
「チッ。めんどくせぇ決まりを作りやがって……馬鹿皇族が」
当主は帝国貴族らしからぬ悪態をつきながら身を起こす。
「おい、お前ら。今すぐ支度を整えろ。領地視察に付き合え」
「「は~い」」
そして当主は朝食をとった後、女共を連れ、表の馬車へと向かった。
馬車には二頭の馬が繋がれており、その周りには四名の鎧を着た騎士が待機している。
彼等はアードレン騎士団所属の者達である。
「「「「お待ちしておりました、御当主様」」」」
「……」
機嫌の悪い当主は騎士達の挨拶を無視し、機嫌悪そうに馬車に乗り込んだ。
(昔から天邪鬼な御方だったが、御夫人様が旧邸宅に移動なされてから、またさらに抑えが利かなくなっている印象だ。男爵家はこのままで大丈夫なのだろうか……)
などと考えつつ、騎士は馬車の扉を閉めた。
「御者。そろそろ出発するぞ」
「はっ」
今回騎士は乗馬しない。
領地視察の場合、馬車の速度は比較的遅いため、騎士達は徒歩のまま周囲を固め、丸一日護衛を行うのだ。
御者が鞭を叩き、ついに馬車が出発した。
旧邸宅の窓には、密かにその様子を窺う影が二つ。
「リュウ様」
「ああ。母さんやレナが起きる前に、俺もここを出る」
リュウは普段森に出かける際に着用している、ラフな服装に着替えた。
「本当に私は何もしなくてよろしいのですか?」
「セバスはいつも通りに生活していればいい。もしアクションを起こせば、逆に勘付かれてしまうかもしれないからな。クソ親父は馬鹿だが、使用人たちは馬鹿ではない」
「了解いたしました」
男爵家の使用人という仕事は花形のため、募集をかける際は毎度多数の領民が押し掛ける。そのため現在男爵家に仕えている者達は皆、高い倍率を潜り抜け合格したエリートなのである。アードレン領選抜といえばわかりやすいだろうか。
リュウは裏口へ向かい、
「では行ってくる」
「御武運を」
「そっちもな」
高い柵を軽々と飛び越え、森の中へ颯爽と消えて行った。
セバスは呟く。
「ついに動き出しましたか。アードレンの怪物が……‼︎」
(能ある鷹は爪を隠すとはよく言ったものです。いえ、鷹どころではありませんね。そうですね、あの御方の場合はその名に準えて……)
「“龍”……でしょうか」
その日の昼頃。
当主を乗せた馬車は、順調に領地の半分を周り終え、現在最も端に位置する農村へと向かっていた。
護衛の騎士達は未だに休憩を取っていないため、息を切らしていた。
「ハァ……ハァ……」
「速度自体は歩くより少し速い程度だが、鎧を着用したまま数時間移動を続けるのは、さすがに疲れるな。御当主は、このまま夕方まで一切休憩を取られないおつもりだろうか……」
「おそらく次の村では一旦休憩を挟むだろう。俺達はまだしも、馬は休ませなければいけないからな」
「はぁ……それまでの辛抱か……」
一心不乱に足を動かす護衛等をよそに、馬車の中では当主が両脇に女を抱え、呑気に酒盛りをしていた。
「たまには外で飲む酒も悪くねぇなぁ」
「ねぇグレイ様~、いつ私を正妻にしてくれるの~?」
「あー、ずるい!私もお嫁さんにしてほしい!」
「まぁ……“あの女”が元気なうちは無理だな」
「“あの女”って、もしかしてアイリスの事?」
「ああ」
「ほんっとにしぶといわね、アイリスは!さっさと死んでくれないかしら!!!」
「もうこの際殺しちゃえばいいのに~」
「はっはっは!!!それもアリだな!!!」
(そろそろ目障りだと思っていたところなんだ。あの死に損ないの馬鹿女を)
農村への道のりには渓谷があり、途中大きな橋を渡る必要がある。その渓谷の底には川が流れているため、万が一落下した場合、高確率で死に至るだろう。
御者が声を張り上げた。
「そろそろ例の橋を渡るので、揺れにご注意下さい!!」
「だってよ」
「「きゃ~こわい~」」
女達はわざとらしく当主にしがみついた。
しかし彼等はまだ知らない。
橋を渡った先にある大木の裏で、一人の少年が息を潜めていることを。
「……」
(ようやく来たか、クソ親父。待ちくたびれたぞ)
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