第27話 夜歩道でキスしよう


 彼女との電話を終えた俺は、結局3時間も時間を潰すには酒を飲むしかないと考えた。自分の短絡的な考え方が嫌になるが、このまま帰るのは気が引ける。くそ、やっぱり彼女の勤務先ぐらい聞いておくべきだった。

 てか、そう考えると都内の電車は遅くまで本当によく動いている。俺の地元なんてバスは22時に終わってしまう。毎日毎日ありがたい限りだよ。ここに張り巡らされている線路の数だけ、人々の生活を支えているわけで。都会人には欠かすことのできない重要なインフラになっている。

 ――こんなことを考えておきながら、今の俺はのんびりと歩きながら一人でも入れそうな飲み屋を探していた。会社のある九段下から、彼女と門前仲町は東西線の沿線だし、とりあえず大手町まで歩いていれば何かしらの店はあるだろうと踏んだ。何となく電車に乗らず、考えながら歩きたかった。

 

(門仲で乗るってことは……やっぱり門仲だよな?)


 某国会議員みたいな言い回しを心の中でする。佐富士初夏の話だ。

 普通に考えてそれが自然だろう。わざわざ歩いて違う駅から乗る理由もない。門前仲町はオフィス街というイメージはあまりないけど、都内だったらどこでも会社はあるか。


 皇居の近くを歩いていると、この時間でもランニングする人が結構いる。俺もそろそろ始めないといけないのかなぁ。


「……ん?」


 ――なんて考えていると、10メートル先ぐらいに一人の女性が立ち尽くしていた。よく見ると横断歩道を待っているだけ。特段気にする必要もないし、よくある光景でしかない。なのに気に掛かったってことは、それなりの理由があった。

 嫌な予感がしたのだ。あの時の彼女に似ている雰囲気が、この距離でも分かった。無意識的に道路へ視線が行く。今は赤信号で車は止まっている。なのに、女性は立ち尽くしたまま渡ろうとしなかった。


(……なんでこうなるんだよ最近は!)


 俺は足の回転を速めて怪しまれないように女性に近づく。俺の考え過ぎならそれで良い。心の中で『普通に渡ってくれ』と祈りながら、その願いは叶わないだろうなと諦めている自分もいた。

 やがて、道路の赤信号が青に変わる。停まっていた車が一気に加速を始めると、その女性の体が、ゆっくりと、それでも確実にその集団へ足を踏み入れようとした。


「ちょっと!!」


 そういえば、あの時もこんな情けない声が出てたっけ。変わったのは、アルコールを摂取していないだけ。俺は女性の肩をガッチリ抱え込んで、歩道側に倒れ込んだ。頼むから誰も動画なんて撮るなよ。本当に頼むから。

 そんなことを考えるほど、不思議と冷静だった。背中から倒れた俺の上に、その女性が覆い被さるように倒れている。ケガはなさそうだが、この感触には妙に覚えがあった。いや――

 どうして彼女がここにいるのかは知らない。もう訳わかんないけど、とにかく今は起き上がるのが先決だろう。


「なにしてたんですか。佐富士さん。重いんですけど」


 無論重くはないけど、嫌味の一つぐらい言いたくもなる。これまで連絡を無視した挙げ句、ようやく掛けてきたと思えば避けるような対応で。別に忙しいのは承知している。でも『月一で飲もう』と言い出したのはあなただろうに。


「……どうしてまたあなたなの」


 消え入りそうな声で言う。俺の胸に彼女の顔が当たっている状況。幸いなことに通りがかっている人はいないが、警察に見られれば職質されるのは必至。そろそろ起き上がりたいんだが、彼女がそうさせてくれない。


「こっちが聞きたいです。どうしてここにいるんですか」

「分からない」

「分からないけど、ここにいた?」

「うん」

「……辛くなりましたか?」

「うん」


 なんか……やけに素直だな。俺が知っている佐富士初夏なら一つの嫌味を数十倍にして返してくる印象があったのに。

 彼女は顔を上げることなく、ただ黙って俺の胸に顔を埋めている。俺もあの時とは違うけれど、彼女も確かに違う。

 今の佐富士初夏は、ただただ弱っている一人の女性だ。死ぬ覚悟とかではなくて、本当に自分でも分からなかったのではないか。どうして自分がここに居て、道路に身を投げようとしていたのか。


 いずれにしても『彼女に会う』という俺の目的は達成できたわけだ。これも地下鉄に乗っていなかったら空振りに終わっていただろう。一体なんなんだよこの展開は……。


「あの……そろそろ起き上がらないと」

「それはできません」

「なぜ?」

「できません」


 いや参ったなこれ。ここは公園でもなんでもない、本当に普通の歩道だ。今は誰も通っていないとはいえ、道路からは完全に俺たちの姿が丸見え。通報されてしまえば面倒な展開になるのは明白だった。

 彼女の声は震えていた。だから無理に起こすのは気が引けたが、それでも通報されるよりはマシだ。俺が思いきり上半身を起こそうとすると、彼女は思い切り踏ん張ってそれを許さない。


「ちょ、ちょっと……! 本当にヤバいですって!」

「私は起き上がれません。もう良いではないですか」

「ダメですって! 通報されたらどうするんですか!」

「あなたを差し出します。もうどうでも良いです」

「……ダメだコレは」


 無理にでも突き放すべきだったが、俺も謎の安心感が強くあって、彼女のを受け入れてしまっていた。

 見上げた先には都会に燦然さんぜんと輝く星――なんてものはない。普通に曇り空だし、そもそも歩道に植えられた木々の枝ばかりが広がっている。


 あぁどうなるのかなぁ、俺の人生――。彼女に触発されてなんかどうでも良くなってきたなぁ。

 刹那。視界が真っ暗になった。彼女の黒い髪がカーテンみたいになって、俺の顔に垂れてくる。目線の先には、目を腫らした彼女がいた。何の真似だろうか。今から何をするのだろうか。そんな野暮なことは言えなかった。


 唇が当たる。なぜ。どうして。トモダチだろう。俺たちは。

 まさか、のトモダチ? 色々な感情が全身を駆け巡っている。ほんの3秒程度だったが、長く長く彼女に溶け込んだような違和感があった。体が熱く火照っている。夜風が心地良い。


「これであなたも死にたくなる」

「……いいや。ならないね」


 ただただ、そんなことを言う彼女の唇を、拒みきれなかった自分がいた。


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