第28話 私はそう、死神
キスをしてきた彼女は、何かを思い出したように俺の体から離れてみせた。
彼女を見上げる俺と、俺を見下す彼女。これまではまるで、あの時とは正反対の構図ではないか。別に助けてもらった感覚はない。だからすぐに立ち上がると、通行人の好奇な視線が突き刺さった。
佐富士初夏は何も言わなかった。でも、ジッと俺の目を見つめてくる。顔はすごく綺麗な人だから、恥ずかしくてつい視線を逸らしたくもなる。
ていうか、俺はこの人にキスをされたんだよな? えっと、どうして? もしかして、俺に気があるのか?――なんて考えてしまう。
彼女は別に逃げようとか、俺の前から立ち去ろうとはしなかった。
俺は歩道と車道を区切る手すりにもたれて「少し話しませんか」と声を掛けた。人生に絶望しているこの人は、わずかに考えて、俺の隣にやって来る。
「……どういうつもりなんですか?」
自分でもずるい聞き方だと思う。だけど、こういう時に何と声を掛けるのが正解なのかは、俺の人生経験では正解を導き出せそうになかった。
「自分でも分かりません。気がついたらここまで歩いていて、道路に倒れ込みたくなっただけです」
「あ、そっち……」
つい本心を口走ってしまった。もちろん、彼女がここに居る理由も気になっていたが、それ以上に聞きたい事が出来てしまったせいで、これではまるで俺が人の人生に興味のないサイコパス野郎に見えてしまう。
佐富士初夏はジト目で俺を見てくる。恥ずかしさじゃなくて、純粋に人として情けなかったから、やっぱり目は合わせられなかった。
「なにか? ソレ以外になにかあります?」
「……
「最初からそう聞けば良い話です」
「俺なりに気を遣ったんですよ」
「そうですか」
互いに顔を合わせないまま、言葉の応酬が夜の歩道に響く。
それでも、いまこの人がどんな顔をしているのかは、微妙に想像出来た。俺を
けれど。そんな彼女も、弱音を吐くことがあると知ってしまった。俺の胸に残るのは、佐富士初夏の知らない一面を心臓に直接注ぎ込まれたような感覚。嫌味も何も言えない、弱り切った彼女自身だった。
「私の近くに居る人は皆、1年以内に死んでしまうんです」
「急になんです? 新手の脅しですか?」
「いえ、事実です。だから私は、自分のことを死神だと思っています」
「ハハッ。周りの人から痛いって言われません?」
茶化すように言うと、彼女の細い指が俺の頬に伸びてくる。そして親指と人差し指を使ってギュッと音が聞こえそうな勢いで
「い、痛い! 痛いって!」
「私は至って真面目に話しています。ムカつくのでつい手が出てしまいました」
「わ、わかりましたから……すみません……」
左頬を押さえながらとりあえず謝る。この細い指と腕のどこにそんな力があるのか。本当に死神だって言うのかよ。いやいや普通に考えてそんな話はあり得ないわけだし。
それでも、彼女の言葉は真剣そのものだ。ここは素直に聞いてみるのが無難だろう。受け入れるかはそれから判断すれば良い。無駄に損した気分だ。
「子どもの頃からずっとそうでした」
「と言いますと?」
「私は友達が4人しか居ません」
「……それで?」
「でも。小学校、中学校、高校で3人が亡くなりました」
「ま、マジですか」
「全員、私と仲良くなって1年以内にです。それに気づいてからは、もう友達を作らないようにしていたんです。つい先日までは」
いやいやちょっと待て。友達は4人のうち3人が死んでしまっているというのか? それは無念なことに違わないが、残る一人って……。彼女の方を見ると、その美しい瞳がしっかり俺を捉えていた。
「残るは俺だけってことか」
「そうです」
彼女はキッパリと言い切る。そう自信満々に言われても困るんだけどな。
「でも冬子さんとかはどうなんです? すごく元気そうでしたけど」
「姉とは一緒に暮らした時間の方が短いんです。だから生きてますね」
「一緒に居る時間が関係するんですか?」
「私はそう思っています。それを証明するものはありませんが、少なくとも亡くなった友達は皆、ほぼ毎日一緒に居ました」
「じゃあ――」
――お母さんと同居するからって家を探しててさ。動画よりも髪は短かったけど、疲れた顔をしてたな
俺が言葉を紡ごうとしたタイミングで、いつか藤田と電話で話した内容がよみがえってくる。藤田が不動産仲介をしていたとき、佐富士初夏の接客をしたとか言ってたっけ。でも彼女は一人暮らしとか言ってなかったか。
死神、お母さんと同居――。うーん……。色々と考えられるが、これは今ぶつけない方が良い気がした。出かかった言葉を慌てて飲み込むと、彼女の視線が突き刺さる。
「気を遣って言葉を飲み込んだんですね」
「別にそういうのじゃないですよ」
「どうでしょうね」
彼女は分かったような口を利いてくるから、思わず踏み込んだ言葉が喉から出てきた。
「じゃあ、俺も1年以内に死んでしまうってことですか?」
返答はすぐに来なかった。佐富士初夏は少し何かを躊躇っているように見えたけど、俺だって掛ける言葉が見つからなかった。
「まあ、そうでしょうね。私にキスされたってことは、なおのこと」
「随分と
「お付き合いしたことないので分かりません」
「じゃあなんですか。まさかさっきのが」
「最初で最後のキスでしょうね」
思わず自分の唇を触ってしまう。きっとあれは事故――とは言え、佐富士初夏のファーストキスを奪った男になってしまったわけだ。
これほどの美人が恋愛経験がないなんて、普通に考えたらあり得ない。けれど、これまでの会話を思い返せば納得できなくもなかった。
きっと、自分の中で線引きをしていたのではないか。死神だなんて俺は全く信じていないが、偶然に偶然が重なることだってある。自分の恋した人間が死んでいくなんて、それは辛いに決まっている。
「じゃあなんで俺にキスしたんですか」
問いかける。そう、次にその疑問が湧いてくるのだ。まあ、決して良い理由だとは思えなかったけど。案の定、彼女は無表情で俺を見てくるし。
「殺したいと思った、とか言わないでくださいよ。さすがに傷つきます」
「何も言ってないじゃないですか」
「分かりますよ。なんとなく」
「なんですかそれ」
彼女は呆れたように言う。車が行き交う音が背後から聞こえる。俺たちはこんなところでキスをしてしまった。その事実を思い出すだけで全身が熱くなる。
「二度も邪魔されたから。その仕返しです」
「1年以内に死ぬ呪いでも掛けたんですか」
「いいえ。そんなのはないです。ただ、もうあなたは死んでしまうでしょう」
「どうして?」
「トモダチだからです」
……なるほどなぁ。キスの理由を聞かれたくなかったのだろう。うまい逃げ方だと感心すらしてしまう。
でも、このまま引くわけにはいかない。1年以内に死んでしまう? そんな話を信じるわけがない。信じたくもない。
彼女に関わってからずっとこうだ。無責任に助けてしまった代償と言えばそれまでだが、俺は今日に至るまでずっと彼女の言いなりではないか。
そんなんじゃダメに決まっている。ずっとずっと揶揄いやがって。
やがてそれは、俺の心の中で何かがひらめいて、理性を介さずに言葉になっていく。
「じゃあ、一緒に暮らしませんか?」
本気だぞ、俺は。
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