3章 死にたがりの理由

第26話


 新年を迎えることがそれほど新鮮に感じなくなっていた。これが老いというものかと痛感するが、今年はひと味違う年明けとなった。

 ――とは言いながらも、仕事始めを迎えてからはもうただの日常でしかない。あれほど絡んだ桜野も外回りが忙しいようで会う機会も激減。そんな俺も、総務部として新年度への準備が本格化。人事異動やらなんやらでデスクワークに忙殺されていた。

 気付けば1月が終わり、2月の中頃になっていた。世間はバレンタインだかなんだか知らないけど、クリスマスに近い雰囲気に包まれている。考えるだけでムカつくから意識しないようにしていたけれど、道行くカップルをどうしても目で追ってしまう。


 聖夏にフラれたのは……もう2カ月も前か。なんか、つい最近の出来事のように感じてしまう。いま何してるんだろうか。海外に出て色んな男たちと遊んでるのかなぁ。


『だから、私とトモダチになってください』


 そんな思考を切り裂いたのは、いつかの佐富士初夏の顔であった。

 桜野の言うように、聖夏に代わって俺の人生に入り込んできた彼女。まあ全ては偶然でしかないけれど。

 彼女はそんな俺に『無責任』と言ってた。それもそうだ。彼女の人生そのものを変えてしまう行為をしてしまったのだから。でも、あの時俺が引っ張ってなかったら、きっと後悔していた。人が死のうとしているのを、見過ごすのはちょっと。夢に出てくるかもしれないし。


『月一で行きましょう。これからは』


 元旦、飲んだときにそんなことを言っていたっけ。その場では適当な返事しかしてないけれど、彼女の言葉を鵜呑みにするのなら、今月もその『飲み会』は開催される……はずである。


「どうすっかなぁ……」


 誰も居ないオフィスで一人つぶやく。背もたれに体を委ねると、ギシギシとイスが鳴る。会社の備品もそろそろ更新してほしいところだが、換えたからと言って生産性が上がるとは限らない。

 トモダチ、とは言ったものの、正直トモダチ感は全くない。本人にも言ったけど、なんか契約感がハンパないというか。トモダチってなるものじゃなくてだからなぁ。


 俺がこうしてつぶやいてしまうのもワケがあった。

 あんなことを言っておきながら、肝心の佐富士初夏と連絡がつかなくなっていたのだ。最後にやり取りをしたのは、それこそ元旦にメッセージをした時。あれ以来連絡を取っていなかったが、そのが気になって、先週メッセージを送ったが既読スルーである。

 一度電話を掛けたが出ないし、折り返しもない。今日の昼間にも追撃のメッセージを送ったが、何の変化もなかった。


 いや、別にこれで良いんじゃないか。ていうか、なんで俺がアプローチしているみたいになっているんだよ。俺にとって、彼女にとって、互いの存在はまさにポッとの人間でしかない。ここまで付き合いが続いたことが奇跡じゃないか。これ以上を望むのは、互いにとっても。


『だから、私とトモダチになってください』


 ……いやそんなことはないか。彼女が何を考えているのかは知らないけれど、少なくとも悪意みたいなものは感じなかった。実際のところ、聖夏にフラれたことをあの瞬間だけは忘れることができたわけだし。

 それに、彼女はきっと言ったことは守るタイプの人間だ。あの時『月一で行こう』と言ったことも、彼女なりの意志があったに違いない。まあ……確信は何もないけれど。

 それに、全く連絡が取れないのも気に掛かる。いくら忙しいからと言って、電話に折り返すことすらしないってあり得るのか? いつだっけか。立て続けに電話を掛けてきたこともあったぐらいだし、全くの無反応、というか無視をする理由がない。


(……まさかな)


 一瞬、頭をよぎった最悪の展開。まさか、いやないよな。

 けれど、それを絶対的に否定できる根拠はない。かと言って、俺の疑念を晴らすには彼女からの連絡がないと証明しようがない。


 ――そういえば、彼女はどうしてあんなことをしたのだろうか。

 別に気にならなかったわけではない。ただ、当の本人に聞くほどの勇気がなかっただけだ。てか普通聞けないだろ。『なんで死のうとしていたんですか?』なんて。それにハッキリと答えることが出来る人間ほど、実は生きたがりだったりする。


『あの助けた人とか良いじゃん。きっと春日君のこと待ってるよ』


 いつの日か、桜野から言われた言葉が頭をよぎる。思い返してもその適当に呆れるしかないが、もしも本当に待っているのなら? 俺は何をすれば良いのか。

 いいや、別に何もすることはない。だって付き合っているわけでもない。俺自身が好意を寄せているわけでもない。そう、タダのトモダチ。それだけの関係性。

 トモダチなら無視しても良いわけ? 桜野にそう言い返される姿を想像してしまう。まあその通りではあるんだけど、俺に何が出来るって言うんだよ。


 スマホを取り出して、履歴から彼女の番号を押す。無機質な呼び出し音が数回続いて、やがてプツリと鳴る。それは切れたのではなく、向こうと世界と繋がったような音だった。


「……もしもし?」


 問いかける。しかし反応がない。どこかを歩いているのか、そんな雑踏に近い音だけは聞こえるけど、肝心の彼女の声がない。


「お、おーい……?」


 声は聞こえないが、雑音ばかりが耳を抜ける。すっかりオフィスも暗くなっていたせいで、悪寒に近い何かが全身に走る。もしかしてもう……? 実はこの電話は別世界と繋がってるとか!?


『……すみません。折り返せなくて』

「あ、よ、よかった……」


 ――なんて無駄な考えはすぐに消え去った。申し訳なさそうに謝罪する彼女の声がハッキリと届く。どこかを歩いているようで、雑音の中にヒールが地面を蹴る音が聞こえてくる。


『メッセージも送ってくれてたんですね。すみません』

「あぁいや。全然」


 声色を聞く感じだと、俺が知っている彼女そのものだった。とても一週間連絡を放棄していた人間にしては、普通な感じ。勝手にもっと落ち込んでいると思っていたばかり、少し安心する自分がいた。


『飲みの約束ですよね、すみません』


 だが、彼女の言葉が妙に気になった。

 繰り返される謝罪のことだ。確かにスルーしたのは事実としてあるが、こうして電話に出てくれたことでその疑念は払拭出来ている。何より、元旦に見せたあの嫌みったらしい彼女からは想像出来ないほど、誠実で真っ直ぐな雰囲気だった。


「それより、いまどこにいるんですか?」


 どうしてそんな言葉が口から出てきたのか。酔っているわけでもないのに。その理由は自分でも理解出来なかった。

 俺の問いかけに対して、彼女は数秒間考える。やがてゆっくりと口を開いた。


『今から……会社に戻ります』

「会社って……もう21時過ぎてますよ!?」

『今日中に片付けないといけない仕事があって』

「にしてもしんどくないですか? 体壊しますって」

『……仕事なので』


 確かにそう言われれば何もできない。部外者の俺が口出すことでもないし、それが彼女の人生と言ったらそれまでだ。


『すみません、もう切ります』

「あ、あぁちょっと!」


 俺が返答に困っているのを察したのだろうか。彼女は俺の制止を聞かず、そのまま電話を切った。

 訪れる静寂。ひとまず彼女が生きていたということに安心する自分がいたが、どうも煮え切らない感情もあった。


(――あぁもう!)


 あと3時間近く、どこで時間を潰そうか。

 彼女はきっと、また来るはず。終電のホームに。



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