第25話
30分ぐらい飲んだだろうか。佐富士初夏がお手洗いに立つと、俺はようやく体勢を変えることが出来た。桜野にずっと背を向けて話すのも疲れていたから、ある意味ちょうど良かった。
「随分仲良しじゃん?」
桜野はこの30分間、律儀に俺たちの会話を聞いていたようだ。途中から意識しないようにしていたけど、その様子も丸見えだったらしく恥ずかしさを通り越して呆れるしかなかった。
「それより、なんで居るんだよ」
答えたくはなかったから、逆に問いかける。桜野も結構酔っているせいか、自身の問いかけは俺の質問によって上書きされたようだった。
「なんでって、春日君がさっき自分で言ってたじゃん」
「はぁ? 俺が何言ったってんだよ」
「覚えてないの? さっき『夜もこの辺で飲む』って言ってたよ。酔いすぎでしょ」
「……そうだったっけ」
どんだけ昼飲みを楽しんでいたんだよ……。コレに関しては俺の情けなさが露呈した形だ。ため息を吐くと、桜野が追撃してくる。
「で、春日君が一人飲みするイメージがなかったし、面白そうだから待ち構えてみた。元旦営業してる店、ここしかなかったからね」
「探偵にでもなった方が良いんじゃないか?」
「我ながらそう思うよ」
なるほど。エサをぶら下げればコイツは
3杯目のビールを喉に流し込んでいると、桜野が口を開いた。また嫌味だろうと思って適当な心持ちで聞く。
「あの人とはどんな感じなの?」
だが、その口調はひどく真面目なものだった。かつて営業部で同じだった時、取引先との関係を探る時の聞き方で、少しだけ懐かしさを覚えた。
「別に普通だよ。トモダチだし」
「さっきから会話聞いてるとそれは分かるよ。そうじゃなくて、もっとこう踏み込んだところについて聞いてるの。適当に誤魔化すから適当さんとか言われるんだよ」
「なんでオーバーキルされなきゃいけないわけ?」
「あはは。そんなつもりはなかったな」
無意識に人の嫌なことを言えるその神経はむしろ羨ましいぐらいだ。この桜野という人間に悩みは存在するのだろうか。こういうところ、実は佐富士初夏と似ていたりする。彼女と出会ってわずかな時間しか経っていないが、それはなぜか断言できた。
「でもすごく綺麗な人だね。春日君にはもったいないって」
「だからなんで狙ってる前提なんだよ」
「そういう感じじゃん。プロポーズ失敗してからの日常が」
「まあ……」
ジョッキに口づけながら反応すると、桜野はそれ以上何も言ってこなかった。
彼女の言うことが少し理解出来てしまったからだ。聖夏にフラれてからの毎日には、必ず佐富士初夏が居る。約2週間前に出会ったはずなのに、ずっと昔からの付き合いだったような存在感があった。
もし、もしだ。俺が彼女と付き合うことになって、結婚まで行ったとしよう。もしそんな運命がまかり通るのなら、カミサマは随分とハードな人生がお好きらしい。信じることすらアホらしくなるのもうなずける。
「じゃあ私帰るから。あんまり飲み過ぎちゃダメだよ」
「え?」
「なに? もしかして寂しかったり?」
彼女はイタズラっぽく笑う。釣られる形で鼻で笑ってしまう。
「んなわけあるかって。気をつけてな」
「うん。また会社でね。やらかしちゃだめだよ」
「はいはい」
桜野はそう言いながらレジに向かった。昼間から飲んでいたにもかかわらず、甘い匂いがした。酒のあの鼻にくる感じの香りはしなかった。
とりあえず両隣に挟まれることはなくなったわけだが。一つ息を吐くと、入れ替わるように佐富士初夏が戻ってきた。表情を見ても別に気持ち悪そうな顔はしていない。まだまだいけるクチか。
「もしもの話です」
「なんですか急に」
何の前置きもなく、彼女はいきなり話し始める。トイレから戻ってきたら戻ってきたなりに何かあるだろうに。
俺のつまらない相づちを聞いて、残り半分しかないビールを一気に流し込んでいる。確か4杯目とかじゃなかったっけ。大丈夫なのかこの人。
「私がまた死のうとしたら、止めますか」
想像以上に重い言葉が出てきて、普通に返答に困った。
なんだこの人は。酔ったら面倒になるタイプなのか? いや最初からすごく面倒だけれども、その面倒さに拍車が掛かってないか。
俺もシラフではないが、どう返答しても転んだ先は針の山である。助けるにしてもそんな保証はできないし、助けないというのは人としてどうかと思う。となれば、答えは一つだった。
「また死ぬ気なんですか?」
秘技、質問返しである。質問に答えろと言われればそれまでだけど、それならこっちだって質問に答えてもらう権利がある。いずれにしても、自らの足で地雷を踏み抜く勇気がなかっただけだ。
いつもみたいに嫌味を言ってくるかと思いきや、彼女はジッと俺の顔を見つめてくる。何も言わないから、自然と胸の鼓動が高まる。
「もしもの話です」
彼女は一言だけ言うと、それ以上は何も言わなくなった。否定も肯定もしない言葉だったから、追撃しようと思えば出来た。けれど、それは余計な手間を加えることでしかない。俺の喉は閉まりきったままだった。
ここで『死なないでくれ』というのは簡単だ。子どもだってできる。
だけど、それは彼女自身が望んでいない言葉でもあった。無責任な人は嫌いと言って、俺をこうして振り回すような女だ。冷静に考えてろくな奴ではない。
とにかく、面倒な存在であることには違いないわけで。これ以上はツッコまないのが無難であるのは間違いなかった。
「適当さんは、死のうと思ったことはないんですか」
いきなりそんなことを言うから、また彼女の方を見る。手を上げて店員さんを呼んでいた。いやいや、普通そんな重いことをそんな軽いノリで聞くか……?
口を開いたタイミングで店員がやって来てしまった。ここで狼狽えるのはダサいと思ってしまい、素直に言葉を紡いだ。
「ないですよ。あ、ビール一つ追加で」
「脳天気で良いですね。私もビールで」
店員はなぜか笑っていたが、彼女は特に気にしていないようだった。俺も店員が笑ってた理由が分からない。
「結構飲みますね」
「そうですかね」
「
「そう言う適当さんこそ」
「俺はまあ……遺伝でしょうね」
「……遺伝ですか」
彼女は少しだけ寂しそうな顔をした。ようやく紅潮し始めた頬が、冷めていくみたいな顔。
でも、何かを考えているような表情にも見えなくない。こういう時の予感は当たる。
「トモダチというのは、定期的に遊びに行くものです」
「まあ、一般的にはそうですね」
「このような飲み会も必要だと思うんです」
「そうですかね」
「月一で行きましょう。これからは」
どういう理論だそれは。正直意味が全く分からなかったけれど、そういう時に限って俺の方をジッと見つめてくる。黙ってれば美人という事実がのしかかってくるほど、今の彼女は俺に対する言動が酷い。
「まあ……覚えてたらで」
別に照れ隠しでもなんでもないけれど、彼女の口元がわずかに緩んだことに気づいて、ほんの少しだけ嬉しく思う自分がいた。
あー、全部酔いのせいだな何もかも。
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