第20話
彼女の願い事を聞いた俺は、思わず言葉を飲み込んでしまった。
いやいや、全く同じじゃねえか。一言一句変わりない。俺と同じことを言って誤魔化したとも受け取れるが、今の彼女がそれをしたところで何になるのか。
それに、交換条件と銘打ってお願いしたわけだ。ある種の約束とも受け取れるし、それを断るような人ではないと思った。
「同じじゃないですか。抽象的なのはお互い様ですよ」
笑いながら言うと、彼女は少し戸惑った様子だった。歩く足は止まらないけど、確実に意識が互いに向いているのが良く分かる。さっきよりもわずかにスピードが緩んだから。
「少し驚きました。適当さんと同じ思考なのかもしれません」
「良かったじゃないですか」
揶揄うように言うと、彼女は冷静に言う。
「誰も良いとは言っていません」
「やっぱり一言余計なんだよなぁ」
けれど、先ほどのようなイラつきはなくて、想像できた返答にクスリと頬が緩んだ。言っちゃ悪いが、俺以外の男であれば絶対に本気の喧嘩になっていただろう。それ以前に俺に接するような態度を見せるかは分からないけど、彼女の毒のある発言は現実世界で生きるには生々しすぎた。
「1万円分の幸せってどんなんでしょうね」
「さあ。カミサマのことは信じていないので、正直期待はしていません」
「そうでしたね。俺も期待しないぐらいが良いと思います」
富賀岡八幡宮を出て南下すると、新砂という地域に出る。都内でも比較的有名な埋め立て地で、物流センターやらが多く立地する一方、再開発が進んでSUNAMOと呼ばれる大型ショッピングモールが存在感を放っている。工業と商業が入り交じった不思議な場所だった。
それにもう少し歩けば、荒川を望むことができる。地方から出てきた人間としては、この光景は都会の発展を如実に表現しているみたいで、子どもの頃からどこか憧れていた景色でもあった。
「どうして南砂に住んでるんですか?」
新砂めぐみ公園側の交差点で信号を待つ。この景色を見ていたせいか、ふとした疑問が頭に浮かんで、脊髄反射的に問いかけた。冬子さんいわく『長崎出身』で俺と同じ九州の人。上京して南砂町を選ぶのはなんというか、結構癖のある選択にも思えた。
「そういう適当さんはどうしてですか?」
「また交換条件ですか?」
「私の気分次第です」
「なんだそりゃ。まあ別に良いですよ。隠すような内容じゃないですし」
元旦だからか、いつもより交通量は少ない。少ないと言っても、地方の少なさではない。こういう場面に遭遇すると、やはり地元ではなく東京都で暮らしているんだと実感する。普段は満員電車で嫌と言うほど痛感しているけれど。
「会社が九段下にあるんですよ。沿線ですし、近いから引っ越したんです」
「じゃあ、それまでは違うところに?」
「まあ、大学からこっちなんで。越してくる2年前までは、ずっとそこに住んでたんですよ」
「2年前、から南砂に」
2年前という単語に、彼女は食いついた。同時に青信号に変わって、横断歩道を渡り始める。その間も彼女は何かを考えているような表情をしていて、話しかけても反応が返ってこないんじゃないかってぐらい自分の世界に入り込んでいる。
――お母さんと同居するからって家を探しててさ。
でも、それは俺も同じだった。年末、同級生の藤田と電話したときの会話が頭をよぎって、点と点が線でつながる感覚を覚えた。
俺が南砂町に越してきたのは2年前。当時、不動産仲介業をしていた藤田が紹介してくれた家に今も暮らしている。彼の記憶にある女性が来たのは、俺を案内した直後だと言っていた。
そして今、佐富士初夏は『2年前』という単語に引っ掛かりを覚えている。あの時は聞き流していたが、もしかして本当に彼女なのか……?
それを確かめるには、方法は一つしか無かった。佐富士初夏が店に一緒に来たという母親の存在だ。彼女の存在が確認できれば、この気持ち悪いほどの偶然が実現してしまうわけで。
いやでも待ってくれ。どうなってんだよ本当に……。そんな前から俺と彼女をつなぐモノがあったとして、それは一体どういう存在なわけ? 運命? 奇跡? 俺が彼女を救い出したのも、全部そうだって言うのか?
「――適当さん」
「あ、あぁはいっ!」
その当事者の声でハッとする。彼女よりも深く思考の海に溺れていたようで、意識が戻るとそこそこな息苦しさに襲われた。すっかり横断歩道も渡り終えていて、彼女は右左どちらに行くか迷っているようだった。
「随分深く考え事をしていましたね」
「ま、まあはい。それはお互い様じゃないですか」
佐富士初夏は何も言わない。俺が南砂町駅方面に歩き始めると、彼女もそれに続いた。
「それで、どうして南砂町で暮らしてるんです?」
さあどう出る。俺の発言が気になるのなら、それを探る意味でも素直に教えてくれるかもしれない。
「暮らす場所は、正直どこでも良かったんです。でも――」
「でも?」
「――色々あってここで暮らしてます」
この『色々あって』の言い方。すごくデジャヴに思えたが、冬子さんが同じ事を言っていた。姿や声のトーンがすごく似ていて、本当に姉妹なんだなと感じた。別に疑っていたわけではないけれど。腑に落ちたって表現した方がしっくりくるかもしれない。
「俺は結構気に入ってます。職場も近いし、飲み屋街だってすぐだし。この埋め立て地の感じが良いんですよね。東京感があって」
「東京感って……もっと人が多いところの方がイメージありますけど」
「それは人それぞれじゃないですか。同じ人はいないんだし、俺がそう思うってだけですよ」
「……適当さんらしいですね」
「初めて褒められた気がしますよ」
少し歩くと、商業施設のSUNAMOが目に入った。腕時計に目を落とすと、午前11時を少し過ぎている。もう1時間も経ったことに驚いたが、何より腹が減った。何かを食べて帰るか。
「せっかくなら何か食べて帰りませんか?」
彼女のことをもっと追及してみたい、というのは本音だった。けれど、あの冬子さんと同じような言い方をされると、喉の奥がキュッと締まって何も言えなくなった。
むやみに突っ込むと、それこそ戻れなくなる何かがある。別に恐怖心を抱いているわけではないが、自身の無責任さが
それに、彼女は俺が不動産仲介業をしていた藤田と繋がっていることを知らないはずだ。なんというかその……不公平な感じもするんだよな。彼女が知らないと思っている情報を俺が握っていて、それを使って詰めるのって。少なくとも、友達に対してすることではないだろう。
「ちょっと疲れたので、今日は帰ります。すみません」
そんな感情とは裏腹に、彼女は申し訳なさそうに首を横に振った。少し前までの切れ味鋭い発言はすっかり消えているあたり、本当に疲れているのだろう。
「謝らないでください。全然良いんで、また今度行きましょう」
かといって、俺も何を食べるかは決めていない。確かSUNAMOの4階に回転寿司あったっけ。大晦日に食べ損ねたし、それもアリだな。やってれば良いけど。
「じゃあ、SUNAMOに寄って行くんで。また」
家まで送ろうなんて考えは全くなかった。冷静に、出会って1週間程度の異性の家まで付いていくってことだろ? 気持ち悪すぎるって。下心ありすぎて。でも本当にやるヤツもいるからなぁ。この人もそういう男に引っ掛かってきたのかもしれないな。ここまで猜疑心強いと。
彼女は小さく会釈だけする。別に返事を求めていなかったから、俺はそのまま歩き出したけど、一つだけ言い忘れたことがあって立ち止まった。
「あぁ、気をつけて帰ってくださいね。それじゃあ」
友達としては随分サッパリした対応だったかな。でも良いや。そういうものだろう。友達って。
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20話目!
ぜひレビューをください(乞食)
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