第19話
「人のお金を使って神頼みとは、本当にヒドイ人だ」
「そうですか? 別に何とも思いませんケド」
「その顔! 俺のことを舐め腐った顔!」
神社を出た俺たちは、相変わらず醜い言い争いを繰り広げていた。結局さっきの1万円札は賽銭箱に消えたままだし、俺が文句を言っている間にコイツは参拝しやがった。挙げ句の果てには住職に『大人だからもう少し静かにしてくれ』と至極真っ当な注意を受ける羽目になった。
「それを言うと、適当さんが騒ぐから注意されたんですよ。大人なのにみっともないと思いませんか?」
「元凶はアンタですよね? 分かってます?」
「言葉の意味が分かりません」
佐富士初夏はとにかく笑わなかった。出会ってから今まで、くしゃくしゃに笑った顔を見たことがない。ずっと仏頂面で、感情なんてとうに捨てたような印象を受けるぐらい冷たくて、淡々とした人。
その人が、今この瞬間だけは非常に楽しそうにしていた。口角は上げないけれど、とてもイキイキしているのは分かる。
多分すごく良い傾向なんだろうけど、今はそれがすごくムカついた。茶化されている以外の何物でもなく、俺の厚意を純粋に踏みにじられている気がして。
「イチから説明しましょうか? 俺が1万円札を手渡すきっかけになったところから」
ずっと避けていたのも事実だった。彼女にとって、あの日の出来事はきっと思い出したくはないこと。だから、なるべくその話題に触れないように接してきた。それが遠慮になって、無駄な優しさとして彼女に伝わっていたとするなら。こうやって舐められるのも仕方ないだろう。
だから、意を決して掘り返した。彼女が死のうとしたあの日のことを、新年早々、初詣を終えた神聖な気分の時に、俺は彼女を死の世界に導こうとしている。
「説明してくださいよ」
「……へ?」
しかし、彼女の反応は想像と正反対のものだった。思わず立ち止まって、彼女の顔を見る。まっすぐ俺の顔を見ていて、その堂々さにこちらが動揺してしまいそうだった。
わずかに視線を落とせば、そこにはコートのふくらみがある。よく見ると結構胸あるんじゃね? おぉいいね。
「なんですか」
「え? な、なにがですか?」
「……いえ。視線が少し気持ち悪かったので」
思い切り咳払いをして、気を取り直す。
「まあその、なんといいますか。俺の1万円をあんな使い方をするぐらいには前を向いてくれたようで、俺としても良かったですよ」
完全に彼女のペースに飲み込まれている。さっきまで言いたいことが頭の中で渦巻いていたのに、いま言葉になったのは思ってもいないこと。言葉をぶつけられた彼女は案の定、俺と同じ事を考えているようで、頭の上にハテナマークが浮かぶのが分かった。
「説明になっていないと思います」
「俺だって不思議ですよ。だけど、もう口論する気になれなくて」
「私の胸を見て都合が悪くなった、の間違いじゃないですか」
「……ええそうですよ! 全部言うじゃないですか! 恥ずかしいからやめてください!」
「声を荒げないでください。セクハラさん」
俺は彼女にとってのなんなのだろうか。口では友達なんて言っているくせに、やっていることは完全におもちゃで遊ぶ子どもである。
あぁどうしてこうなったのか。俺なんか変なことしたかな。彼女と出会ってからずっと同じ事を考えている気がする。というか、聖夏にフラれてから人生がおかしいわ。
「そういや、1万円掛けてどんなお願いをしたんですか?」
再び歩き出しながら問いかける。別に嫌味を言ったつもりではない。これは純粋な興味だ。人の金で神頼みをした彼女に対する興味。嫌味ではない、本当だ。
「言う必要ありますか?」
そう言ってくると思った。想定通りだよもう。
「交換条件で」
「何とですか?」
「僕も願い事を教えるから、教えてください」
「えぇ……」
「えぇじゃないですよ。友達ならこれぐらい普通にやりますって」
俺の経験則上、あまり記憶にないがまあ間違いではないだろう。一緒に初詣をするということは、願い事の共有まで含まれているはずだし。うん、そうだ。
ただ彼女は露骨に嫌がっている。正直何が何でも聞き出したいわけではないが、ここまでやられっぱなしだから少しぐらい譲歩してほしいとは思う。立ち止まったらまた口論になりそうだから、ゆっくり歩きながら彼女の様子をうかがう。
「まあ……別に良いですけど」
「ほんとっすか! やった!」
初めてと言って良いほど、彼女のペースから巻き返せた気がする。だからついトーンが上がった。そんな俺を見て、彼女は驚いてみせる。
「そ、そこまで喜ぶものなの?」
「あぁいやつい」
二度目の咳払いをして、視線を真っ直ぐ向ける。
「僕は『幸せになりたい』ってお願いしました」
本当のことだ。百円だけしか使ってないけど。これぐらい適当な願いの方が案外叶ったりするものだろう。神様も疲れずに済むだろうし。
彼女からの返答は、少し間が空いてから返ってきた。
「随分抽象的ですね」
「ほら、失恋したばっかりですし。別に今すぐ結婚したいわけではないんですよ。幸せの定義って広いから、俺の心が潤えば良いなと」
「……そうなんですね」
それ以上、彼女は何も言わなかった。空気を読んだらしく、下手に突っ込むとヤケドするとでも感じたのだろうか。それはそれで悲しいが、別に良いや。
「で、何をお願いしたんですか?」
促すように問いかける。彼女は言い淀んでいたが、小さく言う。
「幸せになりたい」
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