第9話
藤田との電話を終え、九段下駅へ降りる。切る間際に年明けに飲みに行く約束ができたから、少し心が晴れた。
そんな気分とは裏腹に、今日の駅はめちゃくちゃに混んでいた。どうやら日本武道館でアイドルのコンサートがあったらしい。その終了時間が直撃し、構内は人でごった返している。酒を飲んでいないのに酔いそうだ。
リュックを体の前で抱きかかえる。なんとか電車に乗り込み、つり革を握る。潔癖症の人にとっては地獄のような環境かもしれないが、もうそうとも言ってられない。こうしないと痴漢に間違えられる可能性だってあるし、何より立ってられないのが本音だ。
(……何食うかな)
クリスマスイブだから、なんとなく洋食を食べたい気分だ。でも一人で店に入る勇気はないし、かと言って誰かを誘うのも
ぼんやりと窓の外を眺める。反射する自身の表情は、お世辞にも輝いているとは言えなかった。疲れた顔してるし、聖夏にプロポーズをする前の清潔感というか、身だしなみに気をつけていた俺は居なかった。
アナウンスが門前仲町を告げる。ゆっくりと減速し、やがて停止する。つい窓の外を注意深く見てしまうが、今日乗っている車両はこの間と正反対。時間だって終電よりも早いし、なんとなく彼女は乗ってこないと直感する。
そんなことを考えていると、電車は動き出した。これでようやく南砂町まで返ることができる。電車で帰るのは随分と久しぶりな感じがした。
少しずつ乗客も減っていって、南砂町に着く頃には随分と車内はスッキリしていた。電車を降りて改札を抜ける。先ほどまでしっとり降っていた雪は止んでいた。
「どこかに寄るか、大人しくコンビニ飯か……どうすっかなぁ」
とりあえず自宅方面に向かって歩くか。飲食店はいくらかあるし、コンビニだって充実している。自宅はここから歩いて15分ぐらいの場所にある。考えながら帰るか。
この周辺は再開発が進んで大型ショッピングモールなどが進出し、利便性が一気に向上したと聞く。それこそ世帯持ちにはもってこいの街ではないだろうか。……いや悲しくなるな。これ以上は考えるのをやめよう。
(指輪……どうすっかなぁ)
ふと藤田との会話が頭をよぎる。せっかく聖夏のために用意した婚約指輪も、彼女がいなければ存在する意味もない。違う女性にあげることも一瞬だけ考えたが、やっぱり常識的にというか、道徳的に止めた方が良いに決まっている。
現実的に考えれば、売ってしまうのが無難だろう。買った時は良い値段したが、きっと全然回収できないんだろうな。それはそれですごく悲しい。
ぼんやりと指輪のことばかり考えていたせいで、晩飯のことを忘れていた。少ない路上で一人腹が鳴って、何ともまあ虚しい。ここまで来ればもうコンビニしか選択肢もない。まあいいか。クリスマスイブと言っても、所詮は日常の一つでしかないわけだし。
そうと決まれば話は早い。足の回転を少し早めて道中のコンビニで適当に何か買おう。普段はあまり飲まないカクテル系の酒でも買うか。
「あ、あ、あのっ……!」
――なんて思考を、か細い声が
その人はすごく小柄だった。遠目で見ても分かるほどに。「どうかしました?」と彼女の元に近づくと、分かりやすく安堵した表情に変わる。どこか幼さが残っているが、高校生ぐらいだろうか。夜も遅いし、下手したら補導されてもおかしくはない印象を受けた。
「よ、良かった……やっと気づいてもらえて……」
「ど、どういうこと?」
開口一番に出てくる言葉とは思えなかったから、思わず半歩引き下がってしまう。まさか他の人には見えていない幽霊か何かとか……?
「に、逃げないでくださいっ……! そ、存在感がなさすぎて気づいてもらえなかったって話で、私はしっかり人間ですからっ……!」
「な、なるほど……あはは」
エスパーか何かかよ。俺の考えていることを一発で言い当てやがった。
そんな彼女は胸の前で手をモジモジさせていて、明らかに『困っています』という雰囲気を醸し出している。ならこんな場所じゃなくて駅前に行けば良かったのに――なんて指摘はしないでおこう。
「それで、どうかしましたか? 困りごとですか?」
問いかけると、彼女はうんうんと力強く頷いてみせた。
「実はこの辺に家族が住んでいるんですけど、スマホの電池が切れちゃって」
「えっと……迷子ってこと?」
「……はい」
なるほど。それでこんな何もないところで立ち尽くしていたわけか。
多分だけど、駅から一人で歩いている最中に電池切れに陥ったのだろう。それで自分が今どこにいるかも分からなくなった――推察でしかないけど、多分そうだろう。
案の定、彼女の口から出てきた説明はその通りだった。地元の長崎県から一人で出てきたから土地勘も全くないとのことで。
「この辺だったら案内できますけど」
「それが住所もスマホの中なので……どこかで充電したくても場所が分からなくてもうパニックになっちゃって」
「まあ東京って人も多いし、気持ちは分かります。それならどうしますか? 駅近のファストフード店なら充電も出来ますよ」
俺も随分とお人好しだなと思った。こんなこと言ったら、俺が駅前に案内せざるを得なくなるわけで。まあ、心の中で『暇だから良いか』と割り切っている自分がいたけれど。
「ありがとうございますっ! あの、その前に一つお願いしても良いですか?」
「ええ、どうぞ」
「家族に連絡だけさせてほしいんです。その……20時までには家に行くって伝えてたので」
それは俺が会社を出た時間だ。腕時計を見ると、まもなく21時になろうとしている。幼い女性が約束の時間を過ぎても来ないことに加え、連絡もつかないとなればそれは確かに心配する。もしかしたらもう警察とかに駆け込んでいる可能性だってゼロではない。
そう考えると、目の前の女性――というか女の子は中々に肝も据わっているのかもしれない。人に自身のスマホを貸すのは気が引けたが、声を掛けてしまった以上仕方がない。
「番号分かりますか? 打ち込むんで」
「ありがとうございます……! えっと――」
家族の携帯番号を俺が入力し、発信ボタンを押した上で彼女に手渡した。見知らぬ番号からの連絡だから出るか分からないけど、そんな不安は杞憂に終わった。
「あっ、もしもし? ウイカ?」
姉だろうか。まあ姉妹であれば確かに掛けやすいか。
俺は彼女から少し距離を取る。話の内容をジッと聞くのも変だったし。ただ、それでも分かるぐらい電話越しのウイカさんは怒っているようだった。思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「し、仕方ないじゃん。私だって別に迷子になりたかったわけじゃないし」
何はともあれ、ひとまずは安心だろう。あとは彼女を駅に送り届ければ良いだけの話だが――。
「あの……電話代わって欲しいとのことで」
「えっ、俺がですか?」
彼女は小さく頷く。その表情はたっぷり締め上げられた子どものようで、思わず肩に力が入る。
何か変なこと言われないよな? 俺って変なことしてないよな? むしろ助けたよな?――。マイナスの感情が頭をぐるぐると巡る。先週の出来事があるから、一概に感謝されるとも思えなかった。おそるおそるスマホを受け取って、耳に当てる。
「お電話代わりました」
『本当に、ご親切にありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ございません』
女性の声で、それはそれは驚くほど丁寧な口調だった。別にそこまで言わなくても良いのに――。なんて言おうかとも思ったが、その真面目な声の雰囲気に飲まれてしまった。
「いえ全然。たいしたことしてないですから」
『本当に助かりました。連絡もつかなくて焦ってて……。私、いま南砂町駅の近くに居るので、迎えに行こうと思ってて』
「あぁいや。僕らがそっち向かいますよ。今居る場所、ちょっと説明しづらい場所なんで」
『え、で、ですが……』
「本当気にしないでください。ほら、人助けで徳も積めますし」
軽口を叩くと、女性は戸惑いながらも愛想笑いをしてくれた。まあ良かったわ。
俺たちは駅の近くにある家電量販店前で落ち合うことを約束して、電話を切る。スマホをポケットにしまうと、再び女の子が感謝してくれた。人徳積めば、来年は良いことあるよね、神様。
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