第8話


 午前中、桜野に捕まっていたせいか午後に一気に仕事が降ってきた。沢渡部長は呑気に笑っていたけど、絶対に桜野のせいだ。ちくしょう。

 よく分からないけど、アイツはやけに俺とあの女性を会わせたがる。『今度見つけたら飲みに誘うからね!』とか意味が分からない。あまりにもしつこいし、マジで解放してもらえなかったからうなずいたけれど。

 仕事を処理していたら、時計の針は20時を指していた。定時はとっくに過ぎている。ここまで残業したのは久しぶりだ。総務部のフロアには俺しかない。みんなクリスマスイブを楽しみに退勤したのだろう。くそくそくそっ!

 年末ではあるけど、週末ではない。一人で飲みに行こうかとも考えたが、それでも終電まで飲んでいる。大人しく帰ろう。街の雰囲気に悲しくなるだろうし。


 通勤に使うリュックを背負ってオフィスを出る。営業や編集部のエリアはチラホラと明かりが点いている。お疲れ様ですよ、本当に。

 1階まで降りるエレベーターを待っていると、ポケットに入れていたスマホが鳴った。普段あまり電話が来ないから油断していて、びくりと肩が震えた。画面には随分と久しい名前が映し出されていた。


「もしもし? 藤田?」

『よお春日。久しぶり。いきなり悪いな。いま大丈夫か?』

「びっくりしたよ。どうかしたか?」


 電話口の相手は、藤田和己ふじたかずみだった。大学の同級生で、今はフリーのプロカメラマンだ。俺みたいなサラリーマンとは違った社会人生活を送っている。最近のことは知らないが、彼のSNSを見る限り充実しているようだった。


『どうかしたかじゃないよ。お前、いつの間に有名人になってんのさ』


 電話越しでも分かるニヤついた表情。喜々として話しかけてくるその様子に、俺は察した。


「……まさか見たのか」

『見たっていうか、流れてくるんだよ。さっき見たら2000リポスト越えてたし』

「うそだろ……!? そんな反響あんの……?」

『マジだって。見てないのか?』

「怖くて見られなかった」

『ははっ、それもそうか』


 2000リポストもあれば『バズった』と表現して差し支えないだろう。俺が想像している以上に多くの人間の目に触れたわけだ。

 にしても、あんなクソ動画が拡散されるなんて日本も終わりだ終わり。俺はただ酔った勢いで人助けをしただけだぞ。それを笑われる筋合いはどこにもない。つぶやいたヤツに著作権料を払ってもらいたいぐらいだ。


「で、そんなになってしまった俺を笑うために電話を?」

ちまたでは説教ニキとか言われてそうだな』

「彼女にフラれた挙げ句、ネットミーム化か。この世界は腐れてるよ」


 拗ねたように言うと、藤田は『まあまあ』となだめるように笑う。


『色々気になることはあるけど、まずはドンマイ。縁がなかったな』

「そう言ってくれたヤツはお前が初めてだよ」

『結構仲良さそうだったのにな。正直動画見た時はびびったよ』

「俺にも分からないよ。だから傷心中」

『近く暇か? 飲みにでも行こうや』


 藤田の提案に賛同する。最後に会ったのは2年ぐらい前だったから、お互い積もる話もある。それこそ終電まで盛り上がる自信があった。

 上がってきたエレベーターには誰も乗っていなかったから、電話をつないだまま乗り込む。藤田からはフラれた経緯を聞かれたから、桜野に話したように説明する。同情されるのは恥ずかしいけれど、寄り添ってくれる人間がいるだけありがたい話である。


『それでさ、春日が説教してたあの女の人いるだろ?』

「あぁ、まあ。名前も知らないけど」

『本当になんとなくなんだけど、俺の知っている人に似てるんだよな』

「知っている人?」


 だとすれば急展開である。藤田の職業柄、俺が付き合わないような人たちとも交流あるだろうし、見覚えがあると言われたら妙に期待してしまう。


『俺が前勤めてた会社、覚えてるか?』

「不動産の仲介営業だろ? 2年前、お前に紹介された家にまだ住んでるからな」

『ならまだ南砂町にいるんだな』

「そう。で、それがどうしたのさ」

『いや、あの女の人、その時の顧客にすげえ似ててさ』


 今じゃなくて前の仕事の話か。確かに不動産の仲介業なら法人個人問わず接する機会はある。だけどその数は膨大だし、一人ひとりのことを覚えるなんてのはまさに至難の業。正直、あまり信憑性しんぴょうせいは感じられなかった。


「勘違いだろ。そもそもあの動画じゃ、女性の顔も分からないし」

『俺もそう思ったんだけどさ、やっぱり雰囲気に見覚えあるんだわ。ちょっとダークというか……なんか印象的で』

「不動産仲介なんて相当数の客を相手にするわけだし、印象的な客を思い出しただけじゃないのか?」


 俺が指摘すると、藤田は『まあ確かにな』と納得する。この場合、あの女性に見覚えがあるのではなく、あの女性に似た顧客を思い出した、と表現するのが正しい。これは同一人物とは限らないわけで。


 エレベーターが1階に着くまで、結局誰も乗り込んで来なかった。1階に着くと、疲れた表情のサラリーマン2人が待っていた。二人に小さく会釈をして降りるが、返事は何も返ってこなかった。それもそうか。

 もう少し話が掛かりそうだったから、1階に置かれているソファに腰掛ける。普段は満席に近くにぎわっているが、さすがにこの時間になればいている。


「そこまで言うその印象的な客はどんな人だったんだ?」

『春日の案内を終えた後、すぐ店に来たんだ。それで南砂町で家探ししてるって言うもんだからさ。当時もお前の顔が浮かんでたわけ』

「なるほど。確かにそれはそうかもだな」


 とんだ偶然があるものだ。だけど、ここは大都会東京。地方にはないような奇跡が起きても不思議じゃない都会の魔力がある。顧客のエリア希望が重なることぐらいは、全然奇跡でもなんでもない。


『お母さんと同居するからって家を探しててさ。動画よりも髪は短かったけど、をしてたな。微妙に声にも聞き覚えあったし』

「まあそれは分かったけど。その人の名前とか覚えてないの?」

『名前までは覚えてない。でも南砂町の家に決めたのは確かだ』


 仮に藤田の話が事実だとすれば、最寄り駅がまさかの一緒という展開になる。疲れた顔という表現が引っかかるが、もう2年も前の話。

 だが確かに、彼女を助けたのは門前仲町駅だし、これまでの出来事に対しては筋は通っている。

 じゃあ俺はどうするべきか。その似ている女性の家に突撃する? そんなバカなことはできない。通報されて終わりだ。となれば、住所を藤田に聞くのもアウト。その女性だけではなく、コイツにも迷惑を掛けてしまう。


「ま、分かったよ。もしかしたら再会できるかもな」

『随分と素っ気ないな。会いたくないのか?』

「逆になんで会いたいって思うわけ?」

『そりゃあ、ね。綺麗な人だったし』

「今の俺は傷心中なわけ。全然吹っ切れてないんだけど」

『そうだったな』


 いずれにしても情報が少なすぎる。俺が名前とか住んでいる場所を聞き出していれば話は簡単だが、そもそもが別にそういう目的ではない。人助けに下心なんていらないと思っているぐらいだし。


『じゃあお前はソロクリスマスか?』

「分かっておいて聞くなよ」


 藤田は豪快に笑う。完全に俺を揶揄った笑みだった。


『悪い悪い。でもさ、神様は見てると思うぞ』

「そんなこと言うキャラだったっけ?」

『春日だから言ってる。さすがに不憫ふびんすぎると思うし』

「だと良いけどなぁ」


 ため息を吐きながらソファにもたれる。すると藤田が何かを思い出したかのように口を開いた。


『そういや、指輪どうするんだ?』

「正直困ってる。良い値段したし、捨てるにも捨てられなくてさ」

『違う女にあげれば?』


 随分と乱暴な手段である。そのアホらしい提案に思わず笑みがこぼれた。

 ふと外に目をやると、クリスマスイブを彩る雪が降っている。……早く帰ろう。虚しくなるから。

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