第4話
週明け。満員電車に揺られながら職場のある九段下まで移動する。
結局、土日は何もする気が起きなかった。普段ならどこかに出かけたり、パチンコとかで時間を潰すことが多いが、家から出ようとも思わなかった。飯も普段使わないデリバリーでまかなって、完全な引きこもり生活を送った。
それにしても満員電車は息が詰まる。自然が豊かな田舎で暮らしてみたいものだ。もう誰も俺のことを知らない場所で、ゆったりとした時間を過ごしたい。
そんなことを考えていると、聞き慣れたアナウンスが『九段下』を告げる。ゆっくりと停車してドアが開く。人をかき分けてようやく出ることができた。
職場は地上に出てすぐのところにある。久々の日光で体にエネルギーが行き渡った気がする。
会社は10階建てオフィスビルの8階だ。まるごとワンフロアがウチの会社。割と有名な出版社である。新卒で営業マンとして入社したが、昨年からは総務部の人事担当として社員の適性などを見極めている。まあ、恋人の感情は見極められなかったんですがね! あはは!
「痛っ」
「やあ春日君じゃないかー!」
ビルに入る寸前、背中に衝撃が走ったかと思えば、俺の右隣にその原因が姿を見せた。
「なんだ桜野か」
「なんだとは失礼だなー。久しぶりに会ったのに」
「悪い悪い。本当珍しいな」
「まあね。ちょっと書類忘れちゃってさ。それ取ったらすぐ出るんだ」
随分と久しぶりに姿を見た気がする。
スーツを着こなした
彼女は俺と同期だ。昨年まで一緒に営業部で働いていたが、彼女のコミュニケーション力は相当なものである。全く人見知りもしないし、その辺のおっさんならすぐに落とす。実際、営業成績では完全にエースだった。俺も悪くはなかったんだけどなぁ。
「それよりもさ、ちょっと良い?」
「そういや髪切った? 似合ってるじゃん」
「そうそう! ありがと――じゃなくて! ちょっと来てよ」
「なんだよ一体」
どうやら本当に何か用があるらしい。桜野はビルに入ってすぐのテーブルとイスがあるスペースに俺を誘う。最後に会ったときよりも髪が随分と短くなっていて、彼女の小顔がより目立つ。営業される側だったら、確かになびいてしまうぐらいのルックスをしている。
桜野に向かい合って座ると、彼女はおもむろにスマートフォンを取り出した。ピンク色の可愛らしいカバーを付けているから、おそらく私用スマホだろう。慣れた手つきで画面を操作して、俺の前に差し出す。
「ブルバ?」
「良いから見て」
画面には俺も使っているSNS「ブルーバード」のツイートが映っていた。彼女はスマホの音量を一定数下げて、動画の再生ボタンを押す。
『死ぬのもったいないですって! あなたみたいな美人ならこの先絶対良い事ありますよ』
刹那。これまで体の中に沈みきっていた水分が一気に吹き出していくのが分かった。思い出さないようにしていた事象が、どういうわけか桜野のスマホから流れている。それも鮮明に。
画面上では、一人の男が座り込んでいる女性に向かって説教じみた言葉を投げかけている。
おいおいおいおい。これはマズイって! こんな一瞬で背中は冷や汗でびっしょりになっていて、顔を上げたいのに桜野の視線が刺さるから狼狽える自分がいる。
「これって春日君だよね?」
「へっ、ひ、人違いじゃないかなぁ……」
間違いなく俺だが、これを認めるわけにはいかない。認めてしまえば、この先永遠に揶揄われること間違いなしだ。幸いにも俺の顔は分からないし、否定し続ければ桜野も諦めるだろう。
『俺は今日、プロポーズしようと思った彼女にフラれた!』
「ぎぃ!」
「どうかした?」
視線だけ上げると、頬杖をついてニヤニヤと俺を見ている。
コイツ……まさか俺に白状させる気か。じゃなきゃそんな余裕のある顔をしない。というか、確実に動画の男が俺だと分かった上でやっている。
だが否定した手前、素直に受け入れるわけにはいかない。俺にも意地がある。なんでもかんでも桜野の思い通りにするわけには――。
『細かいことは良いから! な! どうしても辛かったらさ、俺の胸に飛び込めば良いし!』
「もうやめてくれぇ!!」
はい死。俺は停止ボタンを押して、テーブルに突っ伏した。負けです。
もう無理。助けてください。てか俺何言っちゃってるの? 俺の胸に飛び込めば良い?
「はぁ。やっぱりね」
桜野は呆れながらスマホをポケットに戻す。冷や汗が止まらない俺は、ただ頭を抱えることしか出来なかった。
「一体何があったわけ? 私も途中からしか見てないからよく分かってないんだけど」
彼女は冷静に問いかけてくるが、その発言が一つ引っかかった。
「途中からって……まさかさっきの動画って!?」
「ちょ、私じゃないよ!? 私も偶然あの場に居たの! 取引先との会合の帰りで」
「居たなら止めてくれよ……」
「嫌だよ。その……知り合いと思われるし」
「ひどい。たった一人の同期なのに」
だが俺が彼女の立場であれば、確かに見捨てただろうな。終電まで会合に付き合って疲れているだろうし、無駄な労力は使わないに越したことはない。
話の腰を折られた桜野は、ふたつ咳払いをして再度問いかけてきた。ここまで来たら俺も隠すことはない。酔っ払っていて思い出せないところもあるが、線路に飛び込もうとした女性を助けただけと説明した。
「へえ。良いところあるじゃん」
「良いところかね……」
「良いに決まってるよ。だって、そのまま落ちてたら色々な人に迷惑掛かってたし」
「そういう問題かよ」
「そういう問題だよ」
思うところがあるのだろうか。桜野は続ける。
「私だったら、誰の邪魔が入らないところで死ぬけどな。人が居ると、今回みたいに人の良心で助かっちゃうから」
「まあ……そうかもしれないけど」
「その人、本当は死にたくなかったんだと思う。だから、春日君には感謝してるんじゃないかな」
桜野が妙に真面目なトーンで話すから、小っ恥ずかしくなる。
だがまあ、生きていてほしいのは俺も同じだ。プロポーズに失敗した挙げ句、恋人にフラれた男。それでも『死にたい』とは思わない。いや、思うけど勇気がないだけで。
「なんか朝から暗い話でゴメンね。月曜なのに」
さりげなくこういうことを言える辺り、取引先から重宝されるのだろう。俺としたら確かに思い出したくもない出来事であったが、不思議と心は軽くなった。誰かと共有出来たからだろうか。というか全世界に発信されてるんだけどな。
「いや良いよ。久々に桜野とも話せたし」
「ありがと」
イスから立ち上がると、桜野が思い出したように口を開いた。
「てかさ、プロポーズ失敗したのってマジ?」
「触れるな。何も言うな。これでも俺は傷ついている」
「前から付き合ってたあの子でしょ? 仲良さそうだったのに」
「ああ、桜野は会ったことあったっけ」
「偶然だけどね」
正確には先にフラれてヤケクソプロポーズに失敗した、である。
だがそれを訂正するほど俺も親切ではない。これ以上傷口を広げたくない。
エレベーターまで二人並んで歩く。桜野は「こっからだよこっから」なんて励ましてくるが、何がこれからなのだろうか。しばらく恋愛はいらない。何も信じられない。
「あの助けた人とか良いじゃん。きっと春日君のこと待ってるよ」
「適当言うなよ。連絡先も名前も知らないし、もう会うことはないよ」
「いーや! 分からないよ」
3台あるエレベーターは、いずれも上の階にある。視線はドアの上にある階数をに向いている。
「ねえ! 今日も門仲行こうよ」
「……一応聞くけどなぜ?」
「ええー聞かずとも分かってるじゃーん」
他人事だと思って楽しそうな桜野を尻目に、沈む感情に抗えない自分がいる。こうして俺は、また面倒ごとに巻き込まれるだと。
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