ノゾミとナナセ プリン騒動
あおきひび
🍮
フライパンの中で野菜とベーコンがじゅうじゅうと焼けている。焦がしバターがふわりと香り、出来上がった炒め物はバットに上げて冷ます。
台所には作り置きのおかずが整然と並んでいる。それを見て、ノゾミは満足そうにふんと鼻を鳴らした。今月の食費は予算より大分浮きそうだ。ノゾミはにやりとして、脳内でそろばんを弾きはじめる。
「なにニヤニヤしてんのぉ、ねえノゾミ。夕飯できたなら呼んでよね」
ソファに寝転がったまま甘えた声を上げるのは、ノゾミのパートナーであるナナセだ。キャミソール一枚にショートパンツのラフな格好で、セミロングの髪には大きな寝ぐせがついている。
「ダラダラしてるヒマがあるんなら、洗濯物片づけてくれないかな」
ナナセは部屋の隅に積まれた洋服の山をちらりと見て、あからさまに目をそらした。
「こら、そこ。現実から目を背けるな」
「えーだって。ちょっとイソスタの更新で忙しくって」
「働かざる者食うべからず、って言うだろ」
「はいはい、もうウルサイなあ」
ナナセはいらいらとした声を上げてソファから立ちあがる。食器を配膳しながら、ノゾミは心底うんざりしたようにぼやいてみせる。
「五月蠅いのはそっちだ。少しは分担しようとか思わないのか」
「だってボクたち恋人じゃん。だったらちょっとは甘えても良くない? ノゾミは家事得意なんだから、ボクのためを思ってさ」
ふたりはにらみ合いを続けながら食卓につくと、揃って「いただきます」と手を合わせた。言葉少なに箸を動かす。ナナセは野菜炒めを口に運ぶと、ふっと表情をほころばせた。
「ん、おいしい」
「僕が作ったんだから、当たり前だろ」
「はぁ、あんたってホント、カワイクないよね」
「余計なお世話だ」
今夜の家事分担も、最終的にノゾミが洗濯、ナナセが皿洗いを片づけることで落ち着いた。食べ終わった食器をシンクに下げて、ナナセはふと思いついたことを口に出す。
「ねえ、ボクたちって恋人同士、だよね?」
ノゾミは眉をひそめつつ天井を見つめて、少し考えたのちにこう返した。
「ただの同居人だろ。何ならお前は悪質なヒモだ」
「何だよ! ひどい言いぐさだな。ボクはこんなに魅力的なんだから、もっと尽くしてくれたっていいくらいなのに」
「お前のその根拠のない自信を僕にも分けてくれよ」
ぶつくさ言いつつも、ふたりはそれぞれ家事をこなしていく。そうして夜が更けてくると、どちらともなく同じベッドに潜り込んで、仲良く眠りにつくのだった。
ある日の夕暮れのこと。ノゾミは会社から帰宅すると、ネクタイをゆるめて一息ついた。コーヒーメーカーのスイッチを入れて、ダイニングの椅子に腰を下ろすと、テーブルに置いてある家計簿を広げる。
ノゾミは溜まったレシートと顔を突き合わせて、眉間にしわを寄せながら数字を書き込んでいく。静かな部屋にコーヒーの湧くこぽこぽという音と、紙と鉛筆のこすれるかすかな音だけが響いていた。
すると、今起きたらしいナナセが、のそのそとドアから入ってきた。もこもこのパジャマの裾をひきずって、寝ぼけ眼で言うことには、
「プリン食べたい」
「なら、スーパーで買って来いよ、金やるから」
「やだ。手作りプリンがいい」
「何だよ。僕はいま忙しいんだ」
ナナセはなおもぐずっている。「また家計簿書いてる」と機嫌悪そうに呟いた。
「相変わらずケチくさいんだから。どうせ、ノゾミって結構稼いでるんでしょう。そんなことよりプリン、早く」
ノゾミはむっとしてナナセの方を見上げるが、やがて呆れたように言った。
「分かってないな。僕たち同性カップルは、ただでさえ先行き不安定なんだ」
溜め息をつくと、ノゾミは視線を帳簿の上に戻した。
「少しでも節約して貯金しないと、将来どうなるか分からないだろう」
そうこぼしつつ、ノゾミの表情がわずかに曇る。そんなことは気にもとめずに、ナナセはぎゃあぎゃあとまくしたてた。
「まじめくさったこと言ってないで、ねー、プーリーンー!」
いい加減にうんざりしてきたノゾミは、仕事鞄から財布とエコバックを掴み出した。
「そんなに言うなら、材料くらいはお前が買うんだな」
買い物セットを押し付けて、ノゾミはナナセの背中をぐいぐいと押す。ふたりは背格好こそ似ているが、普段から動いているぶんノゾミのほうがいくらか力が強い。
「ほら、さっさと行って来い」
ナナセはなすすべなく引きずられていき、玄関から外に放り出された。「ふーんだ、それならいちばん高い卵とか買っちゃうもんね!」憎まれ口を叩きながら、外階段を降りていく足音は遠ざかっていった。
「ふう、やっと静かになった」
わざわざ声に出して、ノゾミは大きく伸びをした。湯気の立つコーヒーを淹れて、家計簿の続きにとりかかる。
書き終わった頃には、日は沈み切って外は真っ暗になっていた。ナナセはまだ帰ってきていない。遅いな、と思いつつ、ノゾミは夕飯の支度を始める。
しかし、食卓にごはんとおかずが全て並ぶ頃になっても、一向に帰ってくる様子がなかった。さすがのノゾミも少しは心配になってくる。スマホを見てもメッセージの履歴はなし。「全く、連絡くらい入れろっての」そうこぼしつつも、頭の中ではいやな想像が膨らんでいく。
果たしてそれは現実となった。固定電話に着信があり、慌てて出ると相手は病院のスタッフだった。
「ご友人の七瀬涼さんが、こちらに搬送されてきています。七瀬さんのご家族と連絡がとれず、こちらとしても困っているのですが」
「搬送、って」
「交通事故です。もしご家族の連絡先をご存じならば……」
相手方が話す声はしだいに遠くなり、ろくに聞き取れない。ノゾミは顔面蒼白で、受話器を持つ手は震えている。口の中がカラカラに乾いて、舌が喉に張り付いて動かない。
ノゾミの脳裏には、事故の様子までもがありありと浮かんでいた。買い物帰りのナナセは、エコバックを揺らしながら鼻歌交じりに歩いていく。そこに信号無視の車が突っ込んでくる。跳ね飛ばされる身体。救急車のサイレン。道路に残された、割れて中身のこぼれた卵。
自分が、買い物を頼んだせいで……。
気づいた時にはすでに電話は切れて、ツーツーと虚しく音を立てていた。ノゾミははっと我に返ると、受話器を放り捨てて、鞄を引っ掴んで家の外へと飛び出した。
総合病院の受付にたどり着くと、ノゾミは息を切らしたまま受付係へと詰め寄った。
「ナナセがここに運ばれたと聞きました。どこですか、あいつは、無事なんですか」
「ええと、あなたは……? 患者さんとのご関係は」
「パートナーです」
間髪いれずそう言い切って、鬼気迫る表情で言いつのった。
「中に入れてください。ナナセをひとりにはできない」
「そう言われましても、親族以外の面会はできませんので」
ノゾミはついに声を荒げた。
「いいから、早く! もしあいつが死んだらどうするんだ、そうしたら、僕は、ぼくは」
その時だった。廊下の向こうから、能天気な声が響く。
「あれ、ノゾミじゃん。何でここ分かったの」
松葉づえをつきながら、院内着姿のナナセがこちらに近寄ってくる。ノゾミは言葉を失って、その場に立ち尽くしていた。
「お前、事故に遭ったんじゃ」
「あー、うん。曲がり角で車がぶつかってきてさ。おかげで足の骨にヒビ入っちゃったよ」
全治一か月だってさ。あーあ、慰謝料いくらとれるかな。あくびまじりにそんなことをのたまうので、ノゾミは安堵と怒りとがないまぜになった心地で、震える声でやっと一言呟いた。
「心配させるなよ、僕が、どんな気持ちで」
「あはは、ノゾミってば、目ぇ真っ赤だよ」
「うるさい、無事でよかった」
人目もかまわず、ふたりはひしと抱き合った。鼻水をすするノゾミに、何が面白いのかケラケラと笑っているナナセ。病院受付の蛍光灯は白々と、そんなふたりを照らしている。
後日、ノゾミは手製のプリンを携えて、ナナセの病室を訪ねた。
「お、プリンだ。やった」
ベッドに身を起こして、嬉々としてプリンをほおばるナナセ。パイプ椅子に座ったノゾミはその様子を見ていて、何だか頭痛がしてきていた。
「お前はどうしてそう、呑気でいられるんだ」
「だって、結局たいした怪我じゃなかったし。それにさ」
容器の底のカラメルまで丁寧にすくいとりながら、ナナセはニカっと笑った。
「ノゾミの作るプリンは、世界一おいしいよ」
ノゾミは思わず顔をほころばせたが、すぐに真顔に戻って「答えになってないだろ」と口を尖らせた。
秋風が白いカーテンを揺らしている。至って平和な時間が過ぎていった。
これが、ふたりのプリン騒動、その顛末である。
ノゾミとナナセ プリン騒動 あおきひび @nobelu_hibikito
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