第32話 新米自衛官

 俺は夢中で走り続けていた。いつの間にか班長達は消えてしまっていたが、もう大丈夫だ。必ず俺は走り切って見せる! そしてライアを助けるんだ!


 俺は暗闇の中を意気込んで走っていたが、要塞が近づき僅かに明るさを感じ始めた頃、異様な臭いに気づいた。血だ。むせ返る様な血の匂いが流れてきているのだ! やがて篝火が周囲を照らし、夥しい数の人々が血塗れで倒れているのを目撃した。ヒューマンもゴブリンも、動く人は見当たらない。


「そ、そんな! ライアー!! 返事をしてくれ!」


 俺は絶望感に包まれたが、必死に叫んで彼女を探した。そのうち、異様に死体が散乱している箇所を発見し、そこへと駆けつけた。周りをホブゴブリンの死体に囲まれ、彼女は仰向けに倒れ込んでいた。俺は手に持ったろくよんを負い紐で背負って彼女に駆け寄った。


「ら、ライア! 生きているのか! 目を開けてくれ!」


 俺は彼女を抱き起こして泣き叫ぶように彼女を呼び起こした。すると彼女はうっすらと目を開いてくれた。


「ライア! 良かった!」

「…………こーたろー……無事だったのね。よかった……安心してお父様の所へいけるわ……」

「馬鹿な事を言うな! 死なないでくれ!」


 ライアは力なく微笑むと、そのまま目を閉じてしまった。俺は絶望に包まれたが、口元へ耳を当てると、まだ彼女は呼吸していた。良かった! 死んではいない! とにかく治療しないと! そうだ! ガルス翁はドムスギア軍と一緒にいるはずだ! 間に合てくれよ!


 俺は彼女を両手で抱きかかえると、要塞へ向け走り始めた。道中で人々のうめき声がしていることに気づいた。どうやら全員死んでいる訳では無く、生きている者も多いようだ。だがこのまま放置すれば、みな死んでしまうだろう。彼女同様に。


 俺は必死で走り、要塞へと辿りついた。……それにしても帝国軍は何をしているんだ。攻城用の梯子があるんだから、全員は無理でも援軍は出せたはずだ! 俺は怒りを感じながらも崩れた箇所をのぼり、途中でジャンプして要塞の城壁へと昇った。


「な! これはどういうことだ!」


 俺はそこからの光景に愕然とし、大声を出していた。ドムスギア軍は撤退を始めていたのだ。掲げられた松明は遠くまでおよび、既に大部分は引き揚げていることが見て取れた。ロムレスたち幹部が殿を務めていた。俺は怒りで血管が切れそうだったが、ガルス翁を見つけ、彼に向かって走った。ローマ野郎は後回しだ。


「ガルス翁! ライアを! ライアを助けてください!」

「これはイカン!」


 俺が彼女を抱いたまま、ガルス翁に見せると、全力で回復魔法を掛けてくれた。


「……傷は直りました。……ですが残念ながら、彼女は魂の力、いや命を燃やし尽くしております……蛮神の戦技を使い、命を使い果たしているのです……もう長くは……」

「そ、そんな! ガルス翁! 何とか出来ないんですが! ゲームなら復活の魔法とかあるでしょ!」

「……わかりました、やって見ます……」


 彼は項垂れながらも回復魔法を掛け続けてくれた。俺も馬鹿じゃない。彼のやっていることが全くの無駄。それぐらいは理解できた。だがガルス翁は俺の気持ちを汲み、無駄だと分かって魔法を掛け続けてくれているのだ。……復活魔法などあるはずもない。それが出来ればライアの父も死んでいない……だがどうしても俺は受け入れられなかった。


 やがてガルス翁は魔力を使い果たしたのか、フラフラになり、昏倒してしまった。するとそれまで黙っていたローマ野郎が苦虫を嚙み潰した顔をしながら声を掛けてきた。


「……気は済みましたか? 残念ですが、今は退却するしかないでしょう。さ、お早く。敵の追撃がいつ始まるかわかりません」

「ロムレス! てめえこれはどういうことだ! ルセウム軍が戦っているのに見殺しにしたのか!」

「……城壁の上にのぼり確認しましたが、要塞が邪魔で少しずつしか兵が送れません。その状況では被害が増えるばかりです。敵の戦力は圧倒的でしょう。あのホブゴブリンどもとて精鋭でしょうが、彼らは先兵に過ぎません。すぐに敵本隊が出てくるでしょう。そうなれば全滅は必須。ルセウム軍は命を掛けて殿を務めてくれたのです。その思いを無駄にせぬためにも今は引くしかありません。サカキ殿。貴方も満身創痍でしょう。だが貴方さえ生きていればまだ戦局は覆せます。だから今は恥を忍んで耐えてください」


 ロムレスの言い分は全くの正論だった。だが俺は彼の言い分を受け入れることが出来なかった。ルセウムの人達はまだ生きている人も大勢いる。それを見捨てて逃げることなど俺には出来なかった。俺はロムレスに詰め寄った。


「ふざけんな! 命がけで戦った皆を見捨てるのか! そんなことできるか! 逃げたきゃ逃げろ! 俺一人でも戦って皆を守って見せる!」

「いい加減にしろ! 戦いの基本は数だ! お前ひとりが奮戦したとしてもいずれ魂の力を使い果たして死ぬだけだろうが! 俺とて彼らを置いていくのが平気な訳では無い! お前も軍人なら割り切れ!」


 やはりロムレスは正しかった。彼の言い分は全く持って正しい。だが俺は反発した。


「……軍人? 軍人だと! 違う! 俺は、俺は自衛官だ! 人々を守るのが俺の任務つとめだ! 誰一人見捨てやしない!」

「何を馬鹿なことを――」


 俺は怒りに任せて奴にヘッドバットを食らわした。両手で彼女を抱いていたからだ。ロムレスは吹っ飛んでいった。……俺の言っていることは無茶苦茶だった。自衛官とて本質は軍人で、戦争に勝つために歯車にならなければならない。だが俺はやはり未熟な新米だった。勝利のために冷徹になることが出来なかった。


 俺は少し冷静になり、呆然としている副官に話しかけた。


「すみませんでした。……ですがやはり俺は引くことはできません。貴方達は上官の指示に従って行動してください。これは俺の、新米自衛官の俺のわがままですから」


 呆気に取られる彼を尻目に、俺は彼女を抱いたまま、城壁に戻った。本当は彼女を預けようと思ったが、今離れたら二度と彼女に会えない気がしたのだ。俺は壊れた城壁の上で、狙撃に適した箇所を見つけ、そこで片膝立ちで敵を待ち構えた。背中のろくよんを下ろして右手で構え、ライアの頭を左手で支えて抱きながら射撃姿勢を取った。


 彼女はいつの間にか俺の迷彩服をしっかりと掴んでおり離さなかったからだ。普通ならこんな姿勢では射撃できないが、戦技で強化された今の俺なら片手でしっかりとぶれずに狙うことができた。


 ……敵は大軍だろうが、勝機はあると思っていた。ザルトスは誇り高い男だ。策略も練るし、騙し討ちも厭わないが、本質は武人というか、王なのだ。奴は必ず陣頭に立って軍を率いるだろう。俺が万全ならそんなことはしないだろうが、弱った俺を前に後ろに隠れることはしない。


 俺は不思議とザルトスを信じていた。奴の矜持をだ。殺しあう敵同士なのにおかしな話だった。


 俺は弾倉が空だったのを思い出し、弾倉を召喚しようと思ったが、少し考え、心の底から願った。


「神様でも何でもいい! 俺に力を! 人々を守る為の力を下さい! そしてライアを助けてください!」


 俺は絶叫しながら、全力を込めて、弾を一発だけ召喚した。ザルトスを殺すのに必要なのは一発の弾で充分だ。俺はSPを全て使い果たすつもりで全力で弾丸を一発だけ召喚したのだ。


 ……ここはゲームのような世界だが、けっしてゲームなどではない。俺が見た光景が、この充満する血の匂いがゲームの訳が無い! だがここは神が、魔法が実在する神秘の世界だ。科学では証明できぬ何かが存在する世界だ! 俺はこの一発に全てを込め、奇跡を起こすことにしたのだ。


 俺は弾丸を握りしめたまま、敵を待ち構えた。やがて遠方に敵らしき影が見えてきた。暗いのに何故見えるのか不思議だったが、目が慣れて来たのだろうか。俺が照準眼鏡を覗き込むと、やはりザルトスが陣頭にいた。輿に立ち、仁王立ちしていた。


 奴を確認し、眼鏡から目を外して弾を込めた。ライアを支えながらで大変だったが、脇で床尾を挟みつつ、窮屈な体制から左手で薬室へ直接弾を入れ、槓桿を引いた。がちゃん! と金属音が暗夜に響いた。


「弾込め良し……」


 俺は一人呟くと、照準眼鏡を覗き込んだ。既に安全装置は外され連発のままだったが、どの道一発しか入っていないので単発と変わらない。


 そして俺はザルトスを捉えた。暗夜のはずなのに何故か奴の姿がハッキリと見えていた。


 ……この時俺は集中のあまり、周囲の状況が見えていなかったのだ。……世界を照らす光にだ。


 俺は灰の中の空気を全て吐き出すと、無心で奴の頭に向け、ゆっくりと引き金を引いた。


 ぱあん! と乾いた音が辺りに響いた。

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