第31話 譲れぬ思い
榊がザルトスと戦う少し前、二人が消え去ると、後にはルセウム軍とゴブリン軍団が残された。そのゴブリン軍団の先頭に立つ、ザルトスを越える巨躯を持つゴブリンが大声で名乗りを上げた。
「俺はギガン! ゴブリンの中のゴブリン! ゴブリンチャンピオンとは俺のことよ! お前らの頼みの綱の勇者は今頃我が王の手に掛かっているわ! 貴様らもすぐに後を追わせてやるわ!」
ギガンが勇ましく叫び、ルセウム軍の処刑宣言を述べるが、ルセウム軍の誰も、恐れるものなどいない。彼らは死など恐れてはいない。ただ臆病と呼ばれることのみを恐れた。勇者の戦いの顛末はともかく、自分たちは戦って死に、神の国へ行くまでだ。そう男たちは覚悟を決めた。
だが、ライアだけは考えが違った。彼女も死ぬことを恐れてはいなかったが、彼女が恐れたのは榊の死だ。例え自分の身が朽ち果てても彼の命だけは救わなくては……
ライアが悲壮な決意を固めると、ギガンに向けて名乗り返した。
「ラル族の勇者! ライアスが娘、ライアである! 我が蛮神の名に懸けて、貴様に一騎打ちを挑む!」
「ほほ! 面白い! 女だてらに俺に戦いを挑むか! いいだろう! 掛かってこい!」
ライアは一騎打ちでギガンを破り、一気に敵軍を追い払い、榊の元へ向かうつもりだった。彼女の健気な思いなど露知らず、ギガンは一騎打ちに応じた。だがこれに待ったを掛けるものがいた。
「ライア! 若輩者は下がっておれ! 敵の英雄に挑む栄誉は俺のものよ!」
「ミロンおじ様!」
ミロンだった。彼は兄と約束をしたのだ。必ずライアと榊を連れて帰ると。ミロンとて相手の実力を見抜けぬ愚か者ではない。だが一太刀でも敵に浴びせ、ライアを助けるつもりだった。
「ギガンとやら! まずは俺と戦え! ヴァイスランの首長! 偉大なる獅子ミルグレーブが弟、ミロンだ!」
「誰でも良い! さっさとかかってこい!」
ミロンは止めようとするライアを振り払い、真正面からギガンに挑んだ。彼の大剣がうなりを上げてギガンに迫ったが、ギガンはそれを難なく掴み、大剣ごとミロンを持ちあげて、地面に叩きつけた。そしてゴミを捨てるかのように、投げ飛ばしてしまった。どがーんと大きな音を立ててどこかに落下したようだ。
「ミロンおじ様! おのれ許さぬ!」
「ふん。加護無し風情が粋がるからよ! 蛮神の愛し子よ! 貴様を我が闘神への捧げものとしてくれるわ!」
剣を掲げて戦いを挑むライアに対してギガンは無手のままであった。ギガンの持つ闘神の加護は徒手空拳の時に最大限に効果を発揮した。彼の武器はその肉体そのものだ。だがけっして無敵になるわけではない。ギガンとて剣をまともに受ければダメージを負う。
それを裏付けるように、ギガンはライアの攻撃を回避した。ミロンと違い、蛮神の加護を持つライアの剣は流石にギガンと言えど、容易には受け止められない。だが巨躯に似合わぬ素早い動きで巧みに攻撃を躱した。
「やるな小娘! だがその程度では俺は倒せぬ!」
一通り動きを見切ったか、今度はギガンが攻勢に出た。その丸太のような足で蹴りを繰り出すが、ライアは間一髪で避けた。だがすぐさま距離を詰めたギガンがボディーブローを放ち、ライアの腹を捉えた。彼女の軽い体は思いっきり吹っ飛んだ。
「が、ガハ!」
幸い致命傷にはならなかったが、ライアはその場に吐しゃ物を巻き散らした。だが剣を支えによろよろと立ち上がった。ギガンは強者の余裕か、或いは奢りか、追撃はせず腕を組んでライアを待ち受けた。
「あの一撃を受けて立ち上がるとは、見上げたものよ! ……俺もヒューマンとはいえ女を喜んで殺す趣味は無い。悪いことは言わん。降伏しろ」
意外にもギガンはライアに降伏を促した。彼に加護を与えた闘神は弱者を嬲り殺すことを良しとはしない。それは闘いではないからだ。ギガンは既に決着はついたと判断したのだ。だがライアは些かも勝負を捨てていなかった。
「舐めるな! ……我が蛮神よ! この命を捧げる! どうか我に勝利を与えたまえ!」
ライアは天を仰ぎ、自らを贄として、蛮神に勝利を求めた。……正確には勝利ではなく、自らの命と引き換えに、守ろうとしたのだ。彼女の愛する人を。
蛮神はその思いを汲んだか、彼女に力を捧げた。……だがそれは祝福とは呼べぬ、悍ましきものだった。
「ううううううあああああああああああ!!」
ライアは天を仰いだまま、咆哮を放った。その直後、彼女の筋肉は異様に盛り上がり、その美しい顔を狂気に歪めていた。蛮神が授けた究極の戦技、
「ライア殿よせ! それを使えば只では済まぬ! 御父上の二の舞になるぞ!」
ルセウム軍の古参兵が悲痛な声を上げた。彼はライアの父と、ともに戦い抜いた間柄であった。彼女の父、ライアスもまた、この戦技を使用し、戦友達を守り抜いた。……そして命数を燃やし尽くしたのだ。だが時既に遅かった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
彼女にはもう何も聞こえてはいなかった。既に命を燃やしながら戦う狂戦士となっていた。彼女は剣も持たずにギガンに殴りかかった。
「何だと!」
ライアの踏み込みの速さにギガンは攻撃を躱すことが出来なかった。ライアはお返しとばかりに腹を殴り返し、そのままひたすらギガンを殴り続けた。懐に潜り込まれてしまったギガンはその巨躯が災いし、一方的に殴られ続けた。だがやっとのことでライアの腕を掴み、そのまま片手で宙に持ち上げると、そこから思い切り地面へと叩きつけた。
「お、恐るべき女よ……降伏せよなど言って悪かったな。やはり貴様は我が闘神への捧げものに相応しい!」
ギガンは止めを刺すべく、今度は両手で彼女の手を握り、思いっきり宙に振り上げ地面に叩きつけようとした。彼女の体が宙に浮かぶが、その時この世界では聞き馴染みのない、ズドドドド! という乾いた爆音が響き渡り、ギガンの腹に風穴が開いた。
「ハハハハハ! 未熟者め! 敵の死を確かめもせず放置をするなど……ルセウムの男を舐めるなよ!」
ミロンがろくよんを手にし、いつの間にか戦列に戻っていた。投げ飛ばされた先が偶然、榊の天幕で、そこに置いたままのろくよんを発見したのだ。武器を放置するなど自衛官としてあり得ぬ失態だが、彼の未熟さが今回に限ってはミロンを助けた。
ミロンは既に息も絶え絶えだったが兄との約束を果たすべく、勇者の武器に縋ったのだ。安全装置を外すのに苦労したが、何とか発射することができた。
榊で無ければ、ろくよんは通常の六四式小銃と同じ威力しか出せない。だが7.62mmの銃弾は甲冑ですら容易に貫く恐るべき威力を誇る。分厚い筋肉と闘神の加護に守られたギガンとは言え、近代火器の前に膝を屈した。彼はライアを手放すと、どさりと音を立てて倒れ込んだ。彼は既に死んでいた。その魂がどこに向かったのか、誰にも分からなかった。
「あ、兄上! 約束を果たしましたぞ! 一足先に神の国にてライアス兄ぃとおまちしておりますぞ……」
ミロンもまた、限界を迎えて倒れ込んだ。その死に顔の安らかさが、彼の生き様を物語っていた。だがこの決着を納得できぬ者たちがいた。
「おのれ! ヒューマンめ! 神聖な一騎打ちを冒涜しおって、皆殺しにしてくれるわ!」
思いはともかく、ミロンの騙し打ちとも取れる所業に、ゴブリンたちがいきり立ち、ヒューマンへと襲い掛かった。だがライアが声も立てずにむくりと立ち上がり彼らを前に立ち塞がった。
「あああああああああああ!!」
ギガンの一撃で既に彼女は瀕死と言っていい状態のはずだが、狂える彼女は雄たけびを上げて敵中へ突っ込んでいった。その戦闘力は凄まじく、屈強なホブゴブリン達を殺しまわった。
「ライアを死なせるな! ルセウムの意地を見せろ! ミロン殿に続け!」
ライアを止めた古参兵が叫ぶと、ルセウム人達も敵中へと突撃した。そして凄惨な殺し合いが始まった。両軍は戦いの趨勢などもはや考えず、相手を殺すことしか頭になかった。現代人が見れば、直視できぬ程の惨たらしい光景が広がっていた。
そこに正義は無かったのかも知れない。だが確かだったのは、互いに譲れぬ思いがあったという事だ。誇り、矜持、そして愛。みな自らの信念の為に死んでいった。蛮神や闘神ら神々はこの光景を見て何を思うのか、神ならぬ人には知る由もなかった。
気づけば、立ち上がるものは誰もいなくなっていた。
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