第3話 悔恨

 彼女の説明を聞いた瞬間、俺の目の前がグニャグニャっと歪んだ。俺は全身が震え出してしまい、とにかく深呼吸をして落ち着こうと椅子から立ち上がったが、足がもつれて倒れ込んでしまった。


「勇者様! お気を確かに!」


 ユリアナが俺に駆け寄ってくるが、俺は手で制した。そして最後の記憶を辿った。――あの時、俺は倒れてしまったのだろう。それはわかる。だがせいぜい軽い熱中症か何かで死ぬようなことはないはずだ! 伴走していた小野三曹に水を掛けられながら走っていたのだ。最後に掛けられたのも水だろう。衛生隊員だって側にいた。応急処置はすぐに行われたはずだ。


 やはり、こいつらは寄ってたかって俺を騙しているのだ! 今頃、テレビ局の連中が良い映像が取れたと裏では笑っているのだ! そうに違いない!


 俺は激昂して叫びそうになったが、急に不思議と感情が落ち着いてきた。ふと横を見ると、いつの間にかユリアナが俺に手をかざして、なにか不思議な力を俺に与えているようだった。


「精神を沈静化させる魔法です。勇者様、お気持ちはお察しします。ですが――」

「……今は一人にしてください。とても貴方の話を聞く気分にはなれません……」


 俺は彼女に向かって突き放すように言った。あのローマ野郎――ロムレスとか言ったか、あいつの様に他の連中も怒りだすかと思ったが、ユリアナも彼らも俺に憐憫れんびんの視線を送り、黙って部屋から出ていった。俺は一人部屋に残された。


「……俺はもう死んでいるだと……そんな馬鹿なことがあるか? 実際俺は生きてるじゃないか……」


 彼女の話はとても信じられないが、魔法が効いているのか、妙に俺は冷静だった。そう言えば少し肌寒い。今は六月の下旬のはずだからこの気温はおかしい。一体ここは何処なのか、部屋を見渡して窓を見つけ、そこから外を覗いてみた。


 外にはとても現代の日本とは思えない光景が広がっていた。良く分からないが、俺には映画に出てくるヨーロッパの古い街並みの様に見えた。信じたくないが、いくら何でもこんなものを番組のためだけには作れないだろう。


 そして室内にいたので気づかなかったが今は夜だった。しかし、街には電灯など無いにも関わらず、妙に外が明るく見えた。今日は満月なのかと思い、空を見上げると、確かに満月だった。……それも二つだ。大きな月と小さな月が並んでいた。


 ……無理だ。これはどうやっても無理だ。建物だけなら予算を度外視すればつくれたかもしれない。どこかの金持ちが道楽でつくらせた物なのかもしれない。だが、あの月だけは説明がつかない。金をいくら積んでもあれはつくれないだろう。


 俺はそのまま、背中から床に倒れ込んだ。ドスンと音を立て、背中に冷たい床の感触と痛みが伝わってきた。……俺は間違いなく、今は生きている。だが過去の俺、日本にいた俺は死んでしまった。確認の術は無いが。あの連中がこんな嘘をつく理由は無いだろう。


 やはり俺は勇者として召喚された存在なのか……。嘘をつくなら、召喚は一時的なもので、役目を果たせば元の世界に帰れるとでも言えばいい。正直に話しただけ、彼女たちは誠実なのかもしれない。だが到底納得できる話ではない。


 俺が死んだとすれば、あの後はどうなったのだろうか。訓練中の死亡という事で、小野三曹や教育隊は責任を追及されるかもしれない。俺の親が訴えるかもしれない。


 そうだ! 両親はどうなるのだ! 俺が死んでしまって、父も母も悲しむという次元の話じゃないだろう! 二十年間、金と手間を掛けて育ててきて、ようやく社会人になった瞬間に死んでしまったのだ! 両親は何のために苦労して俺を育ててきたのだ! 訓練で死なすためにか! 


 魔法が切れてきたのか、再び俺は言いようのない感情に支配されていた。目からは涙が溢れてきた。俺は全身を振るわせて嗚咽を漏らしていた。


「う……ううう……うううううあああああああああああああああああああ!」


 俺はそのまま号泣してしまった。いい年をしてみっともないと、頭では思い、泣き止もうと務めるが、どうやっても涙は止まらず、泣き声も止まらない。口が閉じないのだ。閉じようとしても、震えで閉じることが出来ず、ひたすら泣くしかなかった。


「ああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁあぁあぁぁ!」


 やがて声が枯れてきたが、それでも収まらない。このままでは呼吸困難で再び死ぬかもしれないと思い、ふーふー息を吐き、落ち着こうとする。


「ううううううううううううううううううううううう」


 何とか声は収まってきたが、やはり震えと涙が止まらないのだ。俺はしばらく震え続け、嗚咽を漏らし続けた。


「フー……フー……フー……」


 ようやく、震えが止まり、呼吸が落ち着いてきた。俺は起き上がり、壁にもたれ掛かって座り込んだ。無念で無念でどうしようもないが、これからどうすればいいのか……このままあいつらの言うことを聞いて、勇者として戦うのか? だが何のために? あいつらには一片の義理もない。ユリアナが言うように、俺が今こんなに苦しんでいるのもあいつらのせいだ。


 死んでしまったのなら、悔やむことなどできない。彼女が言った通り、天国行きか地獄行きか知らないが、安らかな眠りに着いていたはずなのだ、俺は。あいつらの言う通りにするのはシャクに触った。


 俺は立ち上がり再び窓から外を見た。ただし今度は真下にだ。何階建てかは分らないが、ここから飛び降りれば死ねるだろうか? 折角生き返ったのに自殺など馬鹿らしいのかもしれないが、俺は窓に足を掛けた。やはり、この世界で戦う気などおきない。死んだ方が気が楽だ。


(逃げるのか? 榊)


 その時不意に、いつの日か班長の藤枝三曹に言われた言葉が聞こえてきた。


(戦う力が無いのなら仕方がない。だがお前はまだ、戦うことができるはずだ! 逃げるな! 榊! 今逃げれば一生負け犬だぞ! それで悔しくないのか! 榊!)


「悔しいです!!」


 俺は泣きながら叫んでいた。いつかと同じように。……あの日、俺は厳しい訓練の日々に耐え兼ね、退職を申し出たのだ。そんな俺に班長はそう言ったのだ。


(榊! その悔しさがある限り、お前は戦い続けることができる!)


 あの日に言われた言葉が蘇ってきた。そうだ。俺は自衛官なのだ。人々を守るために戦う。それが俺の任務つとめだ! ここは日本ではないが、過去に俺同様に呼び出された日本人たちが守り通した国なのだ。俺だけが逃げるわけには行かない!


「守りたい人がいる!!」


 俺はいつしか叫んでいた。陸上自衛隊のキャッチコピーだった。不思議と口から出てきたのだ。その瞬間、俺の体がにわかに輝き始めた! 俺は何が起こったのかと混乱したが、やがて光りが収まると、俺は迷彩服に身を包んでいた。足には半長靴、頭には鉄帽まで被っている。そして、またしても不意に言葉を発していた。


じゅう!」


 俺がそう叫ぶと、光の粒子が集まり始め、いつしか俺の手の中で物体化していた。俺は握っているモノを見た。


「64式小銃……」


 俺が訓練の際に使用していた小銃だ。小銃――と言っても、小さい銃ではない。むしろ逆だ。自衛隊用語としては小銃と呼ぶが、軍事用語としては突撃銃、英語ではアサルトライフルと呼ばれる、銃の中では大型のモノだ。これより大きい銃となると、機関銃や対物ライフルしかない。――どちらも俺は触ったことすら無い代物だが。


 正式には、64式7.62mm小銃と言うが、俺や同期たちはもっぱら、ろくよん、と呼んでいた。この世界の加護や魔法のことはさっぱり分らないが、これが俺のメイン・ウェポンなのだろうか……


(銃はお前を守ってくれる相棒だ。決して手から離すな)


 またしてもいつか言われた言葉が聞こえてきた。これは小野三曹に言われた言葉だった。戦闘中はいかなることがあっても銃を手から離してはならない。それが自衛官としての基本の一つだ。


 つまり、ろくよんを相棒にして戦えということなのだろう。理屈はさっぱりわからないが、ここは魔法が存在する神秘の世界。自分の直感を信じて戦うしかない。俺は死ぬ前の無念を晴らすためにもこの世界のヒューマンに手を貸すことを決断した。


 こうして、俺とろくよんの戦いが幕をあけたのだ。


 

【用語解説】


 半長靴:自衛隊で使用されるいわゆる軍靴。民間でも安全靴として使われる。

 64式7.62mm小銃:作中世界でも既に旧式化している自衛隊の軍用ライフル。後継は89式5.56mm小銃

 衛生隊員:隊員の看護や救護を主任務とする隊員のこと。衛生兵。

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