2.勇者


 魔族には、それぞれ違った身体的特徴がある。

 ある者は漆黒の角。ある者は美麗な翼。またある者は分厚い毛皮。

 それらは、魔族各々が身に蓄えた魔気が物質化して出来るものなのだ。

 魔気とは、森羅万象の内に漂う力の総称。それが物質化するということは、魔族の身体的特徴は、そのまま魔族自身の力量を表すのだと考えられている。


 必然、特徴の威容ならざる魔族は、下に見られる。

 軽薄な言い方をするならば、舐められるのだ。これには私もよく困らされた。


 私は一介の魔族である。

 名を、マナイアレスト。両のこめかみから蒼い角が一本ずつ、正面へ向け弧を描くように生えている。けれど角は、我が身の勇猛さを示すには些か小ぶりであった。

 今でこそ私は、魔王アルヴァルルの城に仕える魔族として、一定の尊敬を得られる身になっていた。しかしかつてはこの角の小ささから、つまらない諍いに巻き込まれることも少なくなかったのだ。私を城に迎えてくれたアルヴァルルには、感謝の念が尽きない。


 そのアルヴァルルも、昨日亡くなったのだが。


 話を戻すと、魔族は大抵、身体に特徴が生じる。

 それは魔族の力量に密接に関わっているのだから、特徴を隠す者は、概ね弱者か脛に傷を抱えている者ということになる。そうでなければ、人族の間諜であるか、だ。

 目前の勇者は、当たり前だが何の特徴も持ち合わせていない。


「君。ひとまずこの外套で顔を隠しなさい」

「……綻びは?」

「それは、後だ。話を聞こうにも、状況が悪い」


 勇者と思われる少年は、アルヴァルルの死後、唐突に私の居室に現れた。

 鍵も扉も関係なく。空間移動の秘儀を会得しているとしか思えないが、勇者は綻びの話をするばかりで、その秘儀を披露しようという気にならないらしい。


「マナイアレスト様、ご報告したい件があるのです。どうか扉をお開け下さい」


 扉の外では、王城に仕える魔族が私を呼んでいるというのに。

 もし痺れを切らした彼が扉を開ければ、魔王を討った少年勇者の姿が目に飛び込んでくるだろう。そうして次に口にするのだ。マナイアレスト様、裏切ったのですか。


 冗談ではない。

 冗談ではないが、かといって今ここでアルヴァルルを討った少年と死闘を演じるというのは、それ以上にお話にならない。

 はっきりと言って、私の力はアルヴァルルの足元にも及ばないのだ。アルヴァルルを討った勇者に勝てる道理はないし、なによりも。


「今から扉を開けるが、君はそこで大人しくしているんだよ」

「綻び、は」

「外の彼を追い返してからだ。私とて、綻びの話は気になる」


 綻び。少年の言葉に、私は覚えがあった。

 幼い頃から、他の魔族には見えないが、私にだけは視えたのだ。

 空間や物質に浮かぶ、蒼い糸のような光。それに触れると、何かが壊れる。

 恐らく私の身体的特徴は、角ではなく瞳に集約したのだろう。私の瞳は、両親のどちらをも継がぬ蒼色だ。そして、目前の勇者の瞳も蒼かった。


 私は知りたかったのだ。あの綻びはなんなのか。

 私にだけ視えたその綻びは、年々と数を増している。

 傍目には無敵に見えたアルヴァルルにも、僅かだが、その蒼は付き纏っていた。


「……待たせたね、開けていいよ」


 勇者が外套を被ったのを確認してから、外の者に声をかける。

 ハッと短い返事があってから、彼が居室の扉を開けた。一人ではなく、三人連れ。鎧も武器も装備した、剣呑な雰囲気だった。


「実は昨晩、王城内で例の賊を見かけたという報告がありまして……」

「なるほど、勇者がまだ城に潜んでいると警戒しているのだね。いいとも、私も後で捜索に加わろう。逃げ去った、と考えたい所だがね」

「……六魔将の一角としては、弱気に過ぎる発言と思いますが」


 私が答えると、狼の毛皮を生やした兵士が眉根を寄せる。

 彼らからすれば、私が排除してみせると言い出す程度の気概は見たかったのだろう。

「知っているだろう。魔将と言っても、私など書記官のようなものだ。まぁ、勇者を発見したらガヴォレッドにでも取り次げばいい」

 六魔将ガヴォレッドは、先の勇者討伐でしくじったガライロイと並ぶ武闘派の魔将である。アルヴァルルが討たれたと知った彼は、復讐に燃えていることだろう。

「……分かりました。ところでマナイアレスト様、その少年は?」

 不服そうながら、兵士は私の言に納得したようだった。

 そしてようやく、私の部屋の隅で宙を見上げている少年の姿に気付いてしまった。

「彼は……うん。外の魔族の子だろう。魔王が討たれ不安になり、なにか知りたいと王城に侵入した……というわけさ」

「ふむ。では我々が外までお送りしましょう。賊と鉢合わせでもすれば、」

「いや私がやろう。私も気分転換がしたい! たまには王城の外に出る理由が欲しい!」

 兵士の言葉を遮って、私は勇者の肩に手を回した。

 こういう折、大切なのは勢いだ。どんな上手い嘘よりも、思考の間隙を与えないことが誤魔化しにとっては肝要なのだ。私は言葉の勢いそのままに、外套を纏った勇者を連れて部屋の外に出ようとした……が。


「だめだ。広がった」


 勇者の言葉と同時に、じくり。

 私の部屋の隅の綻びが広がり、部屋全体を埋め尽くす。

 そしてその折に、はらり。不自然に吹いた風が、勇者の被った外套を払いのけた。


 僅かな沈黙。

 兵士は勇者と私の顔を交互に見比べて、一言。


「マナイアレスト様、裏切ったのですか」


 冗談ではない。

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