対英米仏蘭二戦線布告セリ

 全国各地の家庭にテレビはなくとも国民ラジオは最低でも1台は置かれている。農村部でも大型ラジオが公民館などに設けられ、大きな家にもラジオが置かれると大事な放送が行われる度に村民が集結する。日本政府の肝いり政策は交通と情報、軍備など多岐にわたり、豊かな資源と圧倒的な資金力に物を言わせて急速に進め、各家庭にラジオは必ずあるように至った。自動車に関しては都市部に限られる。農村部は安価な三輪オートや四輪の軽トラックが走り回るが、それはさておき、国営放送のアナウンサーは落ち着いた声で重大事態を告げた。


「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。内閣は英米仏蘭に宣戦を布告せり。大本営は本日未明に海軍の大艦隊が太平洋の島々を強襲、陸軍も大軍勢を南方地帯を迅雷と制圧、悪しき者どもに鉄槌を下した」


「遂に始まってしまいました。幣原内閣による対英米仏蘭への宣戦布告は時差を考慮した上で確実に届いています」


「届いた頃にハワイは焼き払われてミッドウェーは草木も残らない。現場の報告では上陸作戦を開始したらしく」


「陸軍は?」


「シンガポールに向けて大進撃中である。フィリピンからグアム、蘭印まで幅広く強襲上陸作戦を展開した。至る所から報告が上がって来て処理し切れていない。アナログの電子計算機も熱を出してしまった」


「苦渋は変わりませんな。総理大臣」


「私はできることなら避けたかった。浜口も同様に」


「こればかりは致し方ありません。幣原さんが避けたくてもルーズベルト大統領やチャーチル首相は乗り気だった。ナチスなんぞに攻められておる」


 日本の内閣は世界恐慌を資源開発と工業化の推進、中国の開放を以て安定を取り戻す。陸軍や海軍の将校によるクーデター計画が持ち上がるも事前の通報で一斉検挙に成功した。市民の不満も情報統制とナチスを倣った扇動で抑え込み、一時は軍事政権が危ぶまれたが、現在は表面的ながら外交上がりの政治家である幣原喜重郎を内閣総理大臣に据える。


 幣原首相はきってのアメリカとイギリスに通ずる人物と知られた。欧米の外交筋において幣原喜重郎を知らぬ者は誰一人としていない。欧米の駐日大使は最後まで開戦回避を願った。本国が対日開戦の方針を頑なに変えない。誰もが別れを惜しみながら本国に向かう交換船に乗船した。彼らを見送る幣原首相も苦虫を噛み潰したよう。彼は開戦後の外交の舵取りを任され、結局のところ、首相と言うのは内政よりも外交が重要である。何かと内政を求める者がいようと構わなかった。そんな奴は不勉強の阿呆と断じる。


「シンガポールを落とし、フィリピンを落とし、グアムを落とす」


「ミッドウェーとハワイも手中に収めれば太平洋は当面の間は安泰です」


「北方はいかがいたしましょうか。一応はアリューシャン列島を攻めています」


「適度に攻撃しておけば良いでしょう。米国は勝手に軍を割いて出費を増やすだけ」


「北から攻めるわけにはいかんのですか? シアトルにボーイング社の本社が」


「そんなものは直ぐに放棄と移転になるだけだ。北から攻める格好だけ」


 日本歴代内閣でも史上最強を誇る幣原内閣の面々は豪華絢爛に尽き、内閣総理大臣は外交の長者こと幣原喜重郎男爵(人呼んでバロン幣原)が座り、陸軍大臣はドンと行けの阿南惟幾がおり、海軍大臣は首相経験者の米内光政が立ち、外務大臣は幣原の後輩である吉田茂が葉巻を咥えた。その他の大臣や書記官なども適性を鑑みた適材適所である。


 この人事の配置を見て日米開戦回避の人物が多いように思われ、実際にギリギリまで日米交渉は続けらたが、ハルノート提示と幣原通告など最後通牒の送り合いに終わった。幣原首相を筆頭に落胆の色を滲ませる。今日のために準備を進めた阿南と米内は珍しく意気投合して米国と英国ら連合国を下す策を練りに練り上げた。


 日付が変わった頃に宣戦布告の通知が届けられる。海軍は宣戦布告が届いたと認識しては正々堂々と未明にミッドウェー島攻略作戦とハワイ真珠湾基地空襲作戦を敢行した。陸軍は中華民国とタイ王国と連携してマレー半島を攻めてシンガポールを目指す。ビルマを解放してイギリス領インドまで窺う勢いを見せつけ、建前上は南方地帯より欧米諸国の植民地支配を終わらせることだが、豊かな資源を有して尚も余裕を求める。石油や銅、ニッケルなど各種資源の更なる確保を図り、長期戦に突入しても安定して国家を維持できるよう、南方地帯の解放は必須事項に定めた。


「大本営は発表を厚いまま伸ばそうとしている。なんとも馬鹿馬鹿しいことだ。市民を程よく乗せるのが良いのであって踊らせてはならない。情報統制の何たるかを知らなかった」


「大本営も所詮は内閣直下の広告塔に過ぎない。好き勝手なことは許さん」


「文民統制というやつですか? シビリアンコントロールか?」


「我が国はナチスやファシストとは異なる。大日本は純然たる民主主義国家なのだ」


「軍人に言われてもな…」


「これでも民主主義の脆さ、軍事政権の怖さなどは理解している。それでなければ大臣に推挙されない」


 軍の発表に関しては内閣直下の大本営が担当する。内閣の直下に置かれている都合で好き勝手は許されず、いわゆる大本営発表は幾らかマイルドどころか、厳重な情報統制に敷かれてしまった。彼らが発表する前に担当者が事前に確認してラジオでアナウンサーが高揚に述べる。それ故に異常に誇張された戦果は発表されなかった。米国政府も驚くような隠匿っぷりである。民主主義で自由主義とは何かを考えさせられた。


「ドイツとイタリアはどうなりましょう。今は快進撃を続けている」


「我々にイギリス領を攻めて締め上げよと高飛車に求めて来た。ドイツの先進技術を提供すると言うが子どもの玩具なんぞ不要だろうに」


「奴らは勝手に撒けるでしょうが、十分に利用価値を見出すことができ、適当に餌をやって暴れてもらう。幣原さんも良いですね?」


「ファシストに慈悲はありません。存分にやってもらって」


「言質を得ましたな」


 大日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟は結んでいない。いわゆる、持たざる国と仲良くする義理は微塵も無かった。なぜにファシスト共と手を組む必要があるのか理解できない。我々は崇高な大東亜共栄圏の理想を掲げた。欧州の野蛮人の助力を得るなんぞ言語道断と一刀両断する。


 とはいえ、欧州で暴れ回ってもらえると好都合も否めなかった。特にナチスがイギリスを攻め立てればビルマやインドから退くかもしれない。奴らと同盟を結ぶ程でないにしても一定程度は仲良くしてあげるが優しさと胸を張り上げた。イタリアはともかくドイツの先進技術は目を見張るものがある。ナチスの先進技術を徹底的に絞り上げて我が物と変えてしまった。


「こんな時に…」


「緊急の報告は通すように伝えている。やむを得ない」


「総理大臣が認めた以上は何も言わん。入れ」


 閣議決定などを予めに話し合う会議室の重厚な扉が「ドン! ドン!」と力強く叩かれる。今は幣原内閣が大集合の会議中と余程の緊急性の高い報告でない限りはシャットアウトした。その余程の緊急性が認められる場合は議論中であろうと入室が許される。


「失礼します!」


「要件を申せ。無駄は省けよ」


「はい! 太平洋から速達便で『トラトラトラ』が届きました!」


「やったかぁ! ミッドウェーは取れてハワイもボロボロです」


「まずは一勝を収めましたか。そのままハワイまで窺いますが、一旦は矛を収めておき、英海軍の大艦隊を迎え撃ちましょう」


「いいですか? 程よく勝ってください」


「無理難題を仰られる」


続く

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