第16話『神京ウルマリアランド』

入学式の日の夕食は、ごく普通の献立だった。その日は本当に珍しくお父さんが定時で帰宅したので、あの人がご機嫌だったのをよく覚えている。お父さんがあの会話を切り出すまでは。


「サチは部活どうするんだ」


「はるまとテニス部に」


「ESS部にしなさい。国際系があるだけあって、実績は申し分ないわ」


「え、でも、お母さん、中学の時は運動部入れって」


ドン。あの人が机をたたいた。その衝撃で味噌汁が零れ、テーブルクロスを汚す。


反射で肩がビクッと跳ね、室内は水を打ったように静かになった。


「アンタ自分の英語の成績分かってないの?あと、火曜と木曜と金曜日は休みなさい。アンタの成績次第でもっと増やすから。分かった?」


冗談じゃない。週3日も固定で休むなんて部活なめてんのか。けど、あの人にそれが分かってもらえるだろうか。


「塾は行くけど・・・一番遅い部にして下さい。絶対に遅刻しないようにするから。もししたらその次の週の部活休むから。あとテニス部に入りたいです。お願いします」


――これは、高1だったの時の話だ。何故今、夢の中で過去の記憶が流れているんだろう。最終的にテニス部への入部は許可してくれたけど、その代わりに週3日は塾の日にあててたんだっけ。


 あの人は私の意見を最後まで聞いてくれたことはなかった。 



私の話を遮って、あの人はいつも自分の意見を押し通す。諦めずもう一度伝えようとしても、その言葉は怒声でかき消されるのがセオリーだった。


 私には味方がいなかった。


あの人に楯突いて、私の傍にいてくれる人はいなくて。親戚は遠方住まい。友達や先生は所詮他人。よそ様の家庭事情に首を突っ込んでくれるような人は、フィクション以外に存在しない。私はいつも一人で泣いていた。


 私には居場所がなかった。


家も、学校も、部活も、塾も。コミュニティに参加したり、自ら形成したりしても、必ずあの人によって壊されていった。放課後、どこで時間を潰してたんだっけ・・・そうだ。佐古神社にいたんだ。18時までいられる、地元で一番の観光地に。そこは実家の次に涙を流した場所だ。


 私は生まれたくなかった。


こんな低能で、思考が歪んでいて嘘つきで、怠け癖がついた娘、私が親でもドン引きだ。本当に、嫌い。


 私にはあの人がいた。


私の弱い部分に焦点を当ててネチネチと嫌味を吐き、感情が高ぶるとすぐに手や足をあげる。あの人のしつけは間違っていた。成長するにつれその教育が辛いと感じだした。支離滅裂な主張や思い込みによる暴言に心がボロボロになっていく。私は声を殺して泣くことしかできなかった。


あの人のことは嫌いではない。嫌い以上の恐怖を抱いていた。私にとってあの人は、害獣?厄災?魔王?悪魔?悪鬼?相応しい言葉が見つからず、今は『話の通じない人』と呼んでいる。


 怖い、憎い、辛い、止まらない。寂しい、死にたい・・・私の、幸せは?


『あの、人、に、どう、なっ、て、ほし、い?』


『そんなの決まってるよ。というか毎日泣きに来ているんだから、君も分かるでしょう?』


――私が苦しんだ分、涙を流した分だけ――あの人も不幸になればいいんだ。


目を開けると、ニャルラがのしかかっていた。起き上がろうとするが、体が金縛りにあったように動かない。ニャルラが、そうさせているのだろうか。


ニャルラは固く握りしめていた私の拳を叩く。


「・・・?」


ゆっくり手を開くと、肉球で私の手のひらに『×』と書いた。その瞬間、バサァ!と天井から『×』の紙がレインシャワーのように降り注ぐ。


――君は本当に何かを振らせるのが好きだな。


視界が白に染まる。体は動かないまま、声も出せない。どこまでが現実で、どこからが夢なのか、境目ははっきりとしないまま、私はアラームが鳴り響く部屋で、再び意識を取り戻した。


眼鏡をかけずとも分かる。『×』の紙と一緒に、ニャルラの姿もなくなっていた。左手に残る、肉球が掌を滑る感触を残して。


(=^・・^=)

毎度おなじみ闇の中。私は木製の小舟に乗っていた。夜はどうしても昨日のことを想起させてしまう。結局、部屋をくまなく探しても、朝食を食べている時も、ニャルラを見つけることが出来なかった。


さらに宿泊料を清算した際、私は確かにペット同伴コースを予約していたはずだった。ウエルカムボードにニャルラの名前が書かれてあったのでこれは間違いない。しかしホテリエが復唱したプランは、通常の1泊2食付きコースだった。


――ニャルラが全部、消しちゃった。現実を改変させてまで、自分がいないということにしたかったのかな。何で私の記憶は消してくれなかったんだろう。


やっと、見出せそうだったのに。猫の形をした何かとしか生しえない幸せを。


突如小舟が何かにぶつかり、ガクッと大きく揺れる。岩にでも激突したんだろうか。視線を漕ぎ手に移すと、首が同体から離れて私達の足元に落ちた。


「ヒイイイヤアアアァァァァ!!」「首まで消したいなんて思ってない!」


愛も幸せもニャルラもいないとは思ってたけど!船が奈落へと急降下する。生首は自在に動き、しゃがれた声で私達に語りかけてくる。


「無理無理無理無理!」


「何言ってんのか分かんねー!ようこそ。悪・・・世界?」


普段の生活で感じることのない浮遊感と、生首の皮がボロボロと剥がれて骸骨になっていく演出がリアルすぎて、嫌悪が混じった声を出さずにはいられない。隣を見ると、どうやら彼女も同じ気持ちのようだった。


――意外。こういうの3度の飯より好物そうなのに。


「ううっ」


ようやく着地したと思ったらそこは黒色の氷の上だった。辺りには同じく黒に染まった雪のようなものが降っている。


「寒っ」


「冷た!」


一面に広がる銀世界ならぬ黒世界は寒いけど綺麗だった。私が見惚れている隙に、小船はそりのように斜面をゆっくりと滑っていく。


何となく後ろを見ると、巨大な黒い竜が咆哮を放とうとしていた。


「シーバー後ろぉぉぉ!」


「は何熱っつ!」


小舟に引火することはなかったが、斜め前にある火山が噴火した。間髪入れず、左右から火山岩が私達に襲いかかる。


わーぎゃーと喚いている中、小舟はスキージャンプのように飛び出し、また落下するのかと思いきや、先端が黒竜の背中に突き刺さった。


「あ」


私とシーバーは固唾を飲んで見守る。案の定黒竜は唸り声をあげ、翼で小舟を明後日の方角へぶっ飛ばした。


「シーバーの嘘つきぃぃぃ!」


――どこが死神が冥界を案内してくれるアトラクションだよ!


突風が顔に直撃し、涙目になる。悲鳴よりも先に出た言葉は、私を騙して強引に乗せた悪友に対してのものだった。


アトラクションが終わり、髑髏の仮面をつけたクルーの方々に声をかけられる。そういえばと、私は再び昨夜のことを思い出した。


――最後に見たニャルラは、紙の隙間から見えたニャルラは。どうして水色の仮面を被っていたんだろう。私の見間違いだろうか。


(=^・・^=)

放心状態のまま足を動かす。


「いやー超面白かったわ」


「楽しいは楽しかったんだけど」


私は5分前に起こったことを振りかえる。


「肉食花に食われそうになるわ、サメみたいなクリーチャーが歯を鳴らしながら追っかけてくるわ、ドラゴンの息吹をまともに浴びるわで」シーバーを肘でこつく。


「私は小舟に揺られてのんびり冥界観光するやつだって聞いてたんだけど」


「まんまそうだったじゃん」


「どこがだよ!最初だけだったじゃん!」


――全く・・・私みたいなハイパービビリストは事前の心構えが大事だっていうのに。私の不平不満を「最高」と一蹴する性格の良さは悪い意味で高校時代から変わっていない。


シーバーこと羽柴彩果は「そう興奮すんなって。お腹減ったから空いてる店入ろ」と園内マップ片手にスタスタと歩き出した。私ははぐれないよう慌てて後を追う。進行方向にはKULのシンボルであるウルマリア城が聳え立っており、崇高な存在感を放っていた。


神京ウルマリアランド。通称KULは神京都で一番有名な遊園地だ。異世界にちなんだアトラクションと、ウルマリアランドの住民達が盛り上げる大規模なショーが目玉らしい。


オリジナルの世界観と街並みは、ウルマリアランドでしか味わうことの出来ない時間を創出させてくれる。


私も10年以上前に妹の誕生日で訪れて以来、行っていなかった。高校の修学旅行は、シーバーとはるまと北幌道だったしなぁ。


「さっちゃんどした」


「いや、やっぱここ凄いね。異世界転生したみたい」


つい黙って見入ってしまった。アトラクションに乗らずとも、散策だけで十分楽しめるくらい細部にまで拘っているのが伺える。


「な!この魔界エリアもいいけど、自然界エリアの方が好きかな。私花好きだし」


「初耳なんだけど。なら去年誕プレにあげたほうれん草栽培キットは?」


「部屋ン中に飾ってある・・・箱ごと」


「よく花好きって言えたな!仕事忙しいのは分かるけど、せめて開封くらいしてよ!」


シーバーは高校卒業後、神京にあるパン屋に就職した。今は13時から22時までのシフト勤務が多いらしい。連休は休業するタイプのお店で本当に良かった。まぁ仮に仕事だとしても、この前の仕返しと称して突撃することもやぶさかではなかったが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る