第15話『前乗り神京観光』
360°人で囲まれた空間は不快以外の何物でもない。と考えた私を心の中でチョップする。
――楽しむのも、楽しまないのも、私次第だよね。
「にー」
「ちょっ」
足元を見ると、ニャルラが今にも通行人に蹴られようとしていた。足が触れる寸前、跳躍した体を両手でキャッチする。
「危ないな。人多いからこのまま抱かれてて」
――これだけ人が多かったら、私の挙動を怪しむ人なんていないよね。外国人とか変な・・・奇抜な人も多いし。
正直このまま人間観察をしても十分楽しめる。思惑を察知したのか、ニャルラが私の腕の中で暴れはじめた。
「わーかったって!あそこ雑貨屋っぽい!入ろ!」
(=^・・^=)
「ふ、ふおおおおおぉぉぉ」
「に・・・」
ホテルの外観を見て1回、ロビーに1回、エレベーターの中、部屋の前と部屋の中で幸生オリジナルの感嘆詞が連発した。
「軽い気持ちで猫同伴のコース予約しちゃったけど、ニャルラが他人にも見えるモードに切り替えてくれて助かったよ」
「にー!」
ニャルラは大はしゃぎで部屋の中を駆け回る。原が丘にいた時よりもテンション高くないか?
――でも、この高揚感を共有できるのはいいな。ニャルラと来れて良かった。
もしホテリエの人達がニャルラを見ることが出来なかったら頭下げて間違えましたって言うところだった。予想以上の手厚い歓迎を受け、ニャルラもたじたじなのは面白かったな。
「一緒に部屋探索しようか!夕飯・・・じゃなくて、ディナーまで施設も回ろ!」
私はニャルラと一夜限りのハイソサエティな時間を過ごした。はしゃいだ記憶も、ディナーの味も、私は一生忘れない。
(=^・・^=)
「はー」
裸足にスリッパを引っかけて歩き、ベットに腰掛ける。
「大理石のバスタブで浸かれたなんて・・・過去の私が聞いたら羨ましがるだろうな」
「にー」
バスローブの紐を結び直していると、ニャルラが対面に置かれているテーブルに飛び乗ってきた。
「あ、早速私があげたチョーカーつけてくれてる――うん。似合ってるよ。可愛い」
原が丘の雑貨屋で購入した猫モチーフのチョーカーは、ニャルラの首にピッタリフィットしていた。人間用だったので、サイズが合わなければ私がつけようと思っていたのだが。
どうやって私の鞄から商品を取り出し、そのぷにぷにした4つ足で己の首に装着したのかはツッコまないでおく。
「今日は楽しかったな。スミックマストア行って、カフェ行って、原が丘行って、
「にー?」
「略語だから分かんないか。当日のお楽しみってことで」
明日着る服をハンガーにかける。アラームもセットしておかなくちゃ。ベットに寝かせていたスマホを起こすと、ニャルラが傍に寄って来た。
「ニャルラがいなかったら、二度と行くことのない、色々なところに行けたよ。何か日本語変になってるな・・・まぁ、つまり、神京にニャルラと来れて良かった。一人が好きだし楽なのは今も変わっていないけど、今日は本当に楽しかった。また行けたら行こうね。神京でも、別の県でも」
そっと頭を撫でると、嬉しそうに頭をこすりつけてきた。ちょっと泣きそう。思わず嬉し涙を流しかける程に、社交辞令抜きで最高の思い出になった。
――その涙が180°別のものに変わるなんて、5秒前の幸せの有頂天にいた私は気づきもしなかったけれど。
――テンテテテン、テッテッテテッテンテン、テンテテテン・・・。
「・・・・・・・・・・」
手に持っていたスマホが音を立てて振動する。が、違う。私はバッテリー消費を抑えるためにバイブレーション機能をオフにしている。震えているのは――。
「もし、もし」
ニャルラから離れ、背後にあった枕を抱きしめる。私の体に余る大きさで抱き心地に違和感を感じるが、ないよりはマシだ。
「何でメール見ないの?」
「えっ」
枕を握る手に力がこもる。さっぱりしたばかりなのに、もう背中が汗ばんできた。
「ご、ごめんなさい。気づけなくて」
通話状態のままメールを開くと、『会話が通じない人』から新着メッセージが届いていた。
「明日の午前中、パパが取りに行くって」
「ちょっと今友達と神京にいて、すぐには渡せそうにないです」
「は?」
背筋が伸びる。電話越しなのに、目の前にあの人がいて詰め寄られている感覚に陥ってしまった。
「友達って誰なの。まさか男?」のときもあるけど今回は猫だ。
「女です」
嘘はついていない。厳密に言えば雌だけど。
「アンタよくあんな成績で遊びに行けるよね。信っじられない!」
ドン。と壁か机を殴ったような音が響く。私は両手でスマホを支え、怯えた声で弁明を始める。
「けど、最終的なGPAは3以上キープしてるし、それとは別に去年は資格もいっぱい取った・・・」
「春に比べて冬の成績はS評価が少ないけど」
「そうかもしれないけど、単位はフルで取ってるし、これからも前以上に頑張」
「怪しい電話のバイトして、頭悪そうな子達と遅くまで飲み歩いてるから気が緩んでんじゃないの?」
スマホを持つ手に力がこもる。さっきまでいつ取り落としてもおかしくない力加減だったのに。
「頑張るから!次のテスト6月にあるから!テスト週間はバイト休んでちゃんと結果出す」
「ならいますぐ佐古に帰って復習しなさいよ」
限界だった。矯正された視界がみるみるうちにぼやけていく。レンズを涙で汚す前に外さなきゃいけないのに、体が固定されたように動かない。
「そ、れは」
「やっぱママの言う通りだった。アンタは一人じゃすぐ怠けてサボるんだから。少しは成愛なるあを見習ったらどうなの!?」
「私は勉強をサボりたくて神京に行ったわけじゃ」
「友達に変わりなさい。ママがサチは帰るって言ってあげるから」
息が詰まる。そんなことできるわけないだろ。もうちょっと考えてからモノを言えよ。頭の中でもう一人の私が言う。それなのに。
「やめて・・・」
口からは絞りだした言葉は心からの拒絶だった。この状況で一番意味のない言葉だと分かっていても、脳内が無理の二文字で埋め尽くされていく。
「なに!?聞こえない!!」
あまりに突拍子のない展開についていけず、頭の中が真っ白になる。
「ごめんなさい、ごめんなさ・・・っ。グスッ、それっ、だけは・・・」
「電話変われって言ってる!」
「う、ううっ・・・」
「どうした!?」
『話が通じない人』の要求に何一つ答えられず泣いているままになっていると、階段を駆け下りる音と共に、救世主が乱入してきた。
「サチが成績落としたのに神京行ってるから怒っただけ!新しい保険証も取りに来れないってさ!」
電話の外で2人の声がする。私は固唾をのんで、今後の展開に希望を抱いていた。
「おーサチか。保険証は神京から帰った後でいいから」
「明日ね!!」
「・・・明日帰るんけ?」
「いや・・・明日の夜、夜行バスで、帰る」
「夜行バス!?お前はまたケチって・・・」
「明日も遊ぶ気!?」
「っ・・・・だって、だって・・・前から約束」
「アンタか馬鹿なのが悪いんでしょ!!」
「落ち着け!あーサチ、また連絡するから。もう切るぞ」
「う、ううっ、うん」
今日が休日で良かった。平日だとまだこの時間は父さんが残業から帰ってこないのでこうはいかない。けれど、『言葉が通じない人』が吐き捨てた言葉に、私の心は――
「一人暮らしなんてさせるんじゃなかった。死ねばいいのに」
――罅割れ、暗い靄に覆われた。
裸眼で液晶を見ると、アラーム設定画面に戻っていた。セットして、ベットから遠い位置に置く。本当は電源を切ってしまいたかったけど、そうしたら朝時間通りに起きれない。洗面所からタオルを持ってきて、ベットにダイブする。
「う、うううううぅぅぅ・・・・」
涙も、声も、鼻水も、悲しみも、やるせない怒りも、固い感触のタオルに吸い取ってもらう。明日までこの記憶を引きずらないように。
何も、言えなかった。1年ぶりにあの人と通話したけど、やっぱりたった1年じゃあの人との『会話の通じなさ』が変わることはなかったと痛感する。
私は何を期待していたんだろう。あの人には何十回と裏切られてきたのに。私もまたあの人の期待に応えることができなかった。私も妹のように、思い通りに動くける娘であれたら――。
「どんなに、楽だったのかなぁっ・・・・」
「にゃー」
閉めたはずのカーテンが半分開いていて、隙間から一匹の黒猫が神京のネオンに照らされて、ギラギラと輝いていた。
『何にゃんんでも一つ、願いを叶かにゃえるにゃー』
私はフラフラと嵌め殺しの窓に手を置く。今なら、行けるかもしれない。闇が広がるガラスの向こう側へ。
「私は・・・私が今一番欲しいものは・・・」
――死ねばいいのに。
願いのきっかけになった言葉が反芻する。煩い、煩い、煩い!私の名前を――『幸せを生す子に育ってほしい』という意味を込めてつけたと自慢げに語っていたのはどこの誰だよ!!
息を吸って、次の言葉に備える。
「お母さんが死」「にーーーーー!!」
背中に衝撃が走る。私はそれが何なのかを確かめるのも叶わず、意識を失った。
100万円を置いた猫 椋木美都 @mitomukunoki
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