第4話『黒猫は名を手に入れる』


暗い空間に大きな窓が浮かんでいた。洋館にあるような、レトロな枠に嵌ったそれの前に立つ。形状から見るに両開きタイプのモノのようだが取っ手がついていない。両端にもそれらしきものは取り付けられておらず、おまけにカーテンがないことにも気づいた。あくまで夢なので、多少のアンバランスさには目を瞑ろう。夢だけに。


ガラス越しに向こうを覗くと、スポットライトに照らされた黒猫と、照明に負けて若干存在感が薄い吹き出しが見えた。


窓を軽く押しても動く気配はない。目を細めても、距離が遠すぎて吹き出しに書いてある文字を読み取ることは出来なかった。窓を乗り越えてもっと近くに行かなければ。けど、黒猫がいる場所も一面闇の世界だ。乗り越えてそちらに行っていいものなのか。そもそも私が今いる場所が窓の中なのか外なのかもはっきりしていない。もし、地面がなかったら?窓が開いて、猫が入って来てしまったら?意識の片隅ではこれが夢だと理解しているハズなのに、得も言われぬ不安を感じてしまう。


黒猫に焦点を置いたまま逡巡する私に焦れたように、黒猫が「にゃー」と鳴いた。


それを合図に、ゆっくりと窓が外に開いてゆく。


「駄目!」


身を乗り出して両枠をつかみ、拳が当たるまで閉める。手に力が上手く入らない。鍵がないので、私が手を離せば再び開かれるだろう。何故か想像するだけで背中から恐怖が這い上がった。


私は背を向けて駆け出す。兎に角窓が無いところまで、逃げなくちゃ。 


普通の汗が冷や汗を流すまで走り続け、その場に蹲る。


「ハ、ハァ、ハァ・・・怖い。怖いよ」


「にー」


涙腺が崩壊する半歩手前で、聞き慣れた猫の鳴き声がする。


顔を上げたその時、黒猫が助走をつけて飛び込んでくる。避けられない!


ぶつかる直前、遠くから「にゃー」と猫の鳴き声が聞こえた。


意識が夢と現実の境目をフラフラと彷徨っていると、突然顔面に負荷がかかる。


「にー!」


「ヴッ」


衝撃に目が覚めると、顔に乗っかっていたものが消えた。起き上がってアイマスクを取る。ぼやけた視界の中、太ももに黒い物体がのしかってきた。


「おはよう・・・私の安眠を邪魔したのは・・・君、だよね?」


「にー」


「はぁ・・・お陰で実家を思い出したよ。次はも少し優しく起こして」


どうやら黒猫が全力の顔面ダイブを仕掛けてきたみたいだ。寝起きすぎて怒りも湧いてこない。私は完全に覚醒するために、洗面所へと続くドアを開けた。


「今日もある・・・これ、一体どこから持ってきたの。それか出してきたの」


私はビーズクッションに座り、目の前にある100万円をつついた。昨日しまったのとは別の、新しい100万円だ。家の中に200万円があるなんて危険すぎる。私のものならさっさと預金してしまいたい。が、休日のATMは手数料がかかるので今日は無理だ。


「もしかして明日の分もあるの?明後日も」


「にー」


「まさか・・・盗んできたの?泥棒猫だけに」


『×』 『×』 『×』


「すみませんでした」


威嚇状態の黒猫を宥める。私の平身低頭っぷりが伝わったのか、黒猫は『×』の紙から離れた。


「もう言わないから。でも急にこんな大金困るよ。一度に入金できる限度って知ってる?」


「にー」


黒猫はトイレ型ベットからトートバッグを引っ張ってきた。それ私のじゃ・・・。


いつもスチールラックに引っ掛けている手作りトートバッグは、黒猫にいいように使われていた。


「一応聞くね。どうやって取った?ジャンプしたら届く高さではあるけど・・・前足?口?それか上まで登って・・・え?にーにーうるさいな。中見ればいいの?」


黒猫に急かされるままに嫌々中を覗くと、大量のチラシが入っていた。


全部取り出してテーブルの上に並べると、電気屋やショッピングモール、百貨店、ジムやエステなど、様々なお店のチラシがあった。いつの間に集めてきたんだ。


一通り目を通すと、黒猫が期待を込めたまなざしでこちらを見てきた。


「いや、買わないよ?折角集めてきてくれたところ悪いけど。全部ATMにINよ」


黒猫の瞳孔がぐわっと大きくなる。確か猫って暗所じゃないと瞳孔開かないんじゃなかったっけ。


「人それぞれでしょお金の使い方なんて。目の前に札束があったら、使いまくるか


貯金するかの二択だよ。私は現実主義者の倹約家だから、断然後者だね」


どこか不満げな黒猫をスルーして、席を立つ。お金は明日まで同じところにしまっておくことにした。猫であって猫じゃない君は、一体私に何を求めているのか。


そんなことはさておき、早急に解決しなければならないタスクがあるんだ。私はチラシを雑紙入れにぶち込み、紙とペンを用意した。


(=^・・^=)

「さて、今日は君の呼び名を決めたいと――思いまぁす!」


パン!と両手を合わせ、紙を並べる。黒猫は私の言いつけを守って、数歩離れた距離を保っていた。


紙には『バステト』、『ヤマト』、『ニア』、『ニャイバーン』、『ニケ』、『ニーベルゲン』などなどこの猫にちなんだ名前が書かれている。普通は猫に何かを選ばせたいとき、紙に餌を載せたりすり込んだりするらしい。まぁこの猫は自我があるようなのでそんなことしなくてもきっと文字の意味と私がしてほしいことを理解して行動しくれるだろう。決して面倒くさいとかではなく。


一手間を省略する癖に何故こんな大掛かりなことをするのかというと、普通に私が命名してもつまらないからだ。私が勝手に決めて後で文句言われても困るし。そんなこんなで最後は黒猫自身の決定に委ねることしようという。というわけで。


「いくつか即興で候補を書いたから、君が決めてよ。お好きな名前をさあどうぞ」


黒猫は耳をピンと横に張り、ゆっくりと歩き出した。全10枚の紙を一通り眺める。そういえば決めた時のサインが分からないな・・・黒猫のことだし、いい感じにアピってくれるでしょ。固唾をのんで見守っていると、黒猫は3枚の紙をじっくりと見つめていた。


「さぁ黒猫選手、『ニャンヌ』『ダルダニャン』『ソニャックブーム』に興味津々!果たしてどの名前を選ぶのかー!」


実況に熱が入ってきたところで、黒猫は背を向け逆走する。


「えっ、あれ?どこ行くんだ。まさかの展開!黒猫選手、試合放棄か?」


私はおいでおいでと手招きするが、黒猫は呑気に水を飲み始めた。


「いやマイペースか」


そういえば君は猫だった・・・。やっぱり餌を用意して興味を引いた方がいいのかな。暫く様子を見ていると、水を飲み終えた黒猫が私に向かって走り出した。


「おっ!黒猫選手、名前に向かって走り出し――スライディングゥ!決まった!決まりました!その名前は・・・『ニャルラ』?」


助走をつけて勢いよくスライディングして選んだ紙の名前は『ニャルラトホテプ』だったが、後半の文字が黒猫の体で隠れて見えなくなっていた。


「念のため聞くけど、『ニャルラ』?それとも『ホテプ』?」


「にー」


黒猫は『ニャルラ』の部分を前足で抑えていた。


「『ニャルラ』かぁ。予想してた展開とは違ったけど・・・短い方が呼ぶとき楽だし、それでいっか。決定!」


紙をペロペロ舐めている黒猫に、ご褒美としてボン・チュールをあげる。彼女は目を輝かせ、一心不乱に食いついた。こういうところは猫らしいなぁ。


「いつまで私の家に居座すのかは不明だけど・・・これからよろしく。ニャルラ」


「にー!」


こうして、黒猫ニャルラとの奇妙な生活が始まるのだった。


(=^・・^=)

「さて、今日は何しようか。買い物は特にないし――小説でも読もうかな」


昨日から読み始めた復讐系ファンタジー小説『サンダーソニア』を手に、ビーズクッションに体を預ける。


一言で表すと、恋人を殺された少年が復讐を胸に国家転覆を企む話だ。


奴隷だった主人公ガルが、サンダー国の第一王女ソニア・サンダーと運命的な出会いを果たす。主人公は王城で小間使いとして働きながらソニアと束の間の幸せな日々を過ごし、結婚を誓い合った。そして凍えるように寒い雪の日、ガルの目の前でソニア一家が処刑され、サンダー家に関わるもの全てに火が放たれてしまう。


唐突にソニアも、サンダー家の思い出も全て灰となるという現実を俄かには受け入れられず、ガルは狂ったように慟哭し、泣き叫ぶ。生きる意味を見出せず、自らの命を絶とうと決意した日、彼から全てを奪ったのは反サンダー勢力の貴族達であることを知る。


『吐いてしまうほど汚い世界で、僕は君のために復讐を捧げよう』何もかもを失ってしまった少年の目は、もう二度と輝くことはない。絶望の底に空いた穴を埋めるように咲いたのは毒々しく、暗い紫色をした――アザミの花だった。

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