第2話「沖谷と申します。突然すみません」
「おはようございます」
階段を2段飛ばしで上がってきたので全身が熱い。タイムカードを切ると出勤の欄に『9:57』と印刷されていた。ギリギリである。
「さっちゃんおはよう」
「
「おぉサチ!どうしたそんなに息切らして!さては寝坊か?」
「社長・・・おはようございます。実は私の自転車を猫が占領してて、どかすのに時間食っちゃったんです」
一つまみの真実を混ぜて良い感じに誤魔化す。
「おぉおはよう!そりゃー朝からハッピーだな!写真は撮ったのか?」
「あー。慌てててそれどころじゃなかったですね」
社長は猫派なので、私が猫アンチであるということを気取られてはいけない。
「はいさっちゃん、これ今月の更新書。今日印鑑持ってる?」
「はい持ってます。すぐ提出しますね!」
「はーい。よろしくー」
書類を持って自席に座る。PCを立ち上げ、ヘッドセットを装着した。よし今日も電話頑張るか。
(=^・・^=)
昼休憩のチャイムが鳴る。画面を離席モードにし、肩を回す。もうこんな時間か。私はリュックから小説を取り出す。
「さっちゃんお疲れ様」
黙々と読み進めていると、主婦の
「藤岡さん。お疲れ様です」
栞を挟み、藤岡さんの方を向く。この方はいつもお菓子や野菜、手料理をおすそ分けしてくれる。万年金欠の心構えで暮らしている私にとってはありがたいことこの上ない。食費のこととなると中々財布が開かないこんな私だけど、今後ともバイト仲間としてよい関係を築き上げたいと思っている。ちなみにこの話を彩果にしたら『ヤバお前』と大爆笑された。人の縁って大事だよね。
「あら、さっちゃんの隣、空席になってるわね。確か
「恐らく辞められたのかと。タイムカードもありませんでしたし」
「あら・・・確か下山さん1か月前に入ったばかりよね?いい人だったのに・・・」
「テレアポは人を選びますからね。残念です」
私のバイト先であるテレフォンアポインターは業務内容が精神的に辛く、ストレス耐性が無い人は入ってもすぐに辞めてしまう。ただ座って口を動かせばいいだけではあるのだが、肉体労働とはまた違った辛さがある。
私はそんな人の入れ替わりが激しいバイト先でも入社して早1年。忍耐力が強いことは自覚してしたけど、どうやら私にはテレフォンアポインターの才能があったようだ。営業成績も月によるけど平均してまあまあ高く、おかげさまで1回も社長と社員の川田さんに発破をかけられたことが無い。
「そうだ聞いて聞いて。先週私に孫が出来たの!」
「そうだったんですか!おめでとうございます」
藤岡さんは隣の市に娘夫婦と暮らしているそう。藤岡さんは興奮した面持ちで孫について熱弁する。
「そうなのよ!本当の予定日はもう少し後だったんだけど、急に出てきちゃって!私も娘もビックリ!でも何事もなく孫娘が生まれてきてくれて本当に良かったわ」
「女の子だったんですね。何て名前なんですか?」
「
「あぁ・・・。別にどっちでも大丈夫ですよ。サチでもマチでも。特に気にならないので、遠慮なく呼び間違えて下さい!」
「あらあら。私はさっちゃんの名前好きよ?」
「・・・ありがとうございます。一発で文字変換出来ないから不便なんですけどね。私も藤岡さんみたいなシンプルに可愛らしい名前の方が良かったなって思う時があります」
「やだ~。『
「うあぁ・・・!いつも本当にありがとうございます。いただきます」
藤岡さんから受け取り、半分齧る。お、美味しい・・・ちなみに前回はプチトマトだった。一人暮らしを始めてから生野菜を食す機会が殆ど無くなってしまったので普通に嬉しい。この有難みは実家にいたままでは分からなかったな。
「美味しいです!生でもいけますが、マヨネーズとの組み合わせもバッチリですね!」
「今日はお饅頭もあるの。後であげるわね」
め、恵・・・!最高か。
「いつもありがとうございます。藤岡さんが持ってきてくれる食べ物全部美味しいので嬉しいです。毎回お礼出来なくてすみません。次また何か持ってきます」
「そんな遠慮しなくていいのよ?サッちゃんはまだ若い上に一人で頑張っているんだから遠慮なく甘えなさい。私も余りものしか持ってきていないから」
つくづく私は運・・・いや、思いやりの恩恵を受けることが多い。バイト先に友達がいなくても、こうして私に恩恵を与えてくれる人が自然と周りに集まってくれる。今までの人生、幸か不幸かでいったら不幸寄りだった。きっとその分神様か仏様が良きに計らってくれたのだろう。残りの休憩時間で頂いた小さな幸せは、優しく甘い味がした。
(=^・・^=)
「ただいまー。おかえりー」
数年前に観たテレビCMで一人暮らしのOLがこう言っていたのを観てから、私も帰宅する時は自分で自分を迎える癖がついてしまった。5年前から、ずっと。
電気をつけたら、追い出したはずの黒猫がテーブルの上に寝そべっていた。
「ヒッ!?なっ、な、なん、何でいるの!?」
私は肩をビクつかせ、距離をとる。黒猫はゆっくりと起き上がり、にーと鳴いた。
「いやにーじゃなくて!えぇ!?施錠したよね・・・してる。ほんマジどっから入ってきたの君ぃ!」
私は窓の鍵がしっかりと締まっていることを確認して窓を開ける。少し冷たい風が顔にかかり、少し気分が落ち着いた。
確かに朝出ていくとき一緒に降りた。今回は窓も玄関の鍵も閉めた。しっかりと確認した。なのに黒猫は私よりも前にこの家にいた。いったいどうやって?いつから?私は背筋がゾッとして、考えるのをやめた。今すぐこの黒猫であって黒猫じゃない何かを追い出さなくてはいけない。
「さ、寒い・・・風当たりすぎた。これならいっそ窓の鍵が開いていた方が良かった」
猫を抱えてベランダに追いやり、窓とカーテンを閉める。動物虐待?ワンチャンあれは動物じゃないかもだからセーフ。安心したらおなか減ってきた。冷凍したご飯とおかずを回答して、夕飯にしよう。
手を洗って戻ると、テーブルの上に黒猫が座っていた。
「・・・・・・・・・・」驚きと絶望で声が出ない。
「にー」
「――はあぁ・・・これは何回追い出しても無駄ってこと?」
「にー」
「にーじゃないよもー!」
私はビーズクッションの上に座った。この黒猫は本当に、ただの猫なのだろうか。
「君は・・・野良猫?」
「にー」
「それとも飼い猫?」
「にー」
駄目だ会話になんない・・・のか?一応私の問いかけに答えてはいるけど・・・いや不法侵入ができる猫なんだ!きっと人間の言葉も理解出来るに違いない!
私は紙とペンを使って、『〇』の紙と『×』の紙を用意する。
「改めて君に質問します。『はい』なら『〇』に足を置いて下さい」
「にー」
「『いいえ』なら『×』に足を置いて」
「にー」
「大丈夫かな・・・。えーと、『あなたは飼い猫ですか?』」
黒猫は迷わず『×』に前足を置く。私は質問を続ける。
「違うのか・・・『あなたは野良猫ですか?』」
今度は『〇』に前足が置かれる。これは適当なのか、本当に人語を理解しているのか・・・まだ分からないな。
「『私の言葉・・・日本語が分かりますか?』・・・『あなたは雌ですか?』・・・『私が誰か分かりますか?』」
連続で質問してみたが、答えは全部『〇』だった。目の前の雌猫に対する恐怖心がどんどん膨らんでくるが・・・一旦抑えて、どんどんいってみよう。
『帰る場所はありますか?』
『×』
『私の家から100万円だけを置いて出て行ってくれますか?』
『×』
流石に都合がよすぎたか。
「う・・・『100万も持って帰ってもらっていいから!』」
『×』
何でだよ。この黒猫の目的は一体・・・。思考を巡らせていると、「にー」と黒猫が上目遣いですり寄ってきた。それで媚びているつもりなんだろうか。
『私の家にいたいの?』
『○』 『○』 『○』
『・・・最終的に不幸にしたいとか、殺めるとか、取り憑く的な?』
『×』 『×』 『×』
さっきから連打凄いな。強調してるってことでいいんだろうか。
黒猫の大きい目をじっと見つめると、塗りつぶされたように黒い瞳から強い意志を感じた気がした。
『私の家には窓から侵入はいってきましたか?』
『×』
『・・・ドアからですか』
『×』
『あなたは普通の猫ですか?』
『×』
「はいストップ。ヤバいね?『冗談ですか?』」
『×』
『嘘だよね?』
『×』
「・・・」
『×』 『×』 『×』
黒猫は聞いてもないのに『×』の部分に肉球を押し付けている。そんなに訴えられたら信じるしかないじゃん。思わず両手で顔を覆った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます