第1話『猫に100万』

『生きてて~ごめん!ニートで~ごめん!ドブスで~ごめん!それでも僕!私!俺!アタシを~』


 ――タッ。


私はサビを聴き終わる前にアラームを止めた。画面を見ると、目覚まし変わりにしているスマホの時刻は『7:00』を示していた。


元あった場所に置き、布団から出て大きく伸びをする。ワンルーム8畳の空間は、カーテンをしっかり閉めていても十分すぎるほど明るい。去年から一人暮らしを始めたことで、遮光カーテンの有能さを知った。


部屋は真っ暗にしないと寝られない派の私は、多少高くても厚めのカーテン買えばよかったと後悔するも、時すでに遅し。今はアイマスクをつけることで質のいい睡眠を確保しているが、昨日はつけるのを忘れてそのまま寝てしまった。


そういえば、さっきまで見てた夢も照明の光が強かったな。無意識に眩しいって思ってたから、夢にも影響したんだろうか。何かただ眩しい部屋にいた夢ではなかった気がするけど・・・思い出せないや。夢で見た内容を忘れてしまうことって、よくあるよね。


窓を開けると、冷たい風が前髪を押し上げた。今日から3月だというのに、春はまだ遠そうだな・・・寒いの嫌いなんだけど。


今すぐ窓を閉めて暖房をつけたい衝動に駆られるが、暫くは空気の入れ替えのためにそのままにしておく。クローゼットから今日着る服を取り出し、ふと見ると、炬燵兼テーブルの上に、割と大きめの黒い物体がいた。勿論、寝る前まではなかったものだ。


目を凝らしても黒い置物にしか見えない。それもそのはず私の視力は裸眼で0.02で、普段眼鏡をかけて生活している。要するに、今の私が見ている世界は動物並みに視野がぼやけている。


触って確かめてみようか――だが、むやみに触れて壊れてしまうものだとしたら後が怖い。


め、眼鏡・・・!私は慌ててケースから取り出すが、ここで効率厨が顔を出す。見た感じ爆弾とか虫とか・・・有害なものではなさそうだ。視界をクリアにするのはいつも通り顔洗って着替えてからにしよう。ついでにトイレ行って食パンをトースターの中に入れてスープカップに水入れてレンチンしてカーテン開けて窓を開けよう。


眼鏡をかけるのはそれからだ。よし。そうしよう。逃げじゃない。謎の黒き物体よ!これは戦略的逃避である。私はトイレのドアを閉めた。


例え今あり得ないことが起こっていたとしても、朝のルーティンワークを遂行する。これも一種の現実逃避かもしれない。ようやく眼鏡をかけた私は、意を決して黒い物体をその目に映す。


「にー」


猫だった。ぬいぐるみでも人形でもない。恐らく生きている黒い成猫がテーブルのど真ん中を独占していたのだ。大人しく座っているが、尻尾を絶えずくねらせている。


「え」


私は固まった。何で私の家に、猫が?どこから?防犯上、玄関のドアはしっかりチェーンをかけているし、窓も寝る前に閉め・・・たっけ。そういえばさっき何もせずに開けたような気がする。侵入経路はそこか?


「ど、どうしよう」


冷や汗が背中をつたう。そりゃそうだ。朝起きたら野良猫?がいたら。おまけに普通の猫に何をしたら・・・どう接したらいいのか分からない。実家は借家のため家を傷つける恐れのある犬や猫は飼えず、精々友達の家で飼っている犬や猫の頭を撫でるくらいで、扱いが全く分からなかった。見た目だけは可愛らしいが、私のパーソナルスペースに猫がいる喜びよりも恐怖の方が勝っていた。第一、私は犬派だし。


「それに、このお金は一体」


黒猫の脇に、分厚い紙幣の束が置いてあった。取りたいけど、傍にいる猫が怖すぎて回収できない。


孫の手なんてものはないし、クリアファイルは軽すぎて動かせそうにない。長財布はリーチが少々短いし、他に何か孫の手的なもの・・・そうだ!PCキーボードはどうだろう!クリアファイルよりも硬くて、長財布よりも長いし。


脳内でシミュレーションをしていると、札束が私のもとにやってきた。


「んっ。あ、ありがとう」


どうやら見かねた黒猫が前足で寄せてくれたようだ。私は警戒を怠らず一瞬で金を取り、猫から距離を取って紙幣を数え始めた。


「98、99、100。枚あるぅ・・・」


100万円だ。


まごうことなき福沢栄吉が額面に印刷された1万円札がぴったり100枚、私の手の平の上に乗っていた。ナンデ?夢?明晰夢?幻?


「さては・・・!このお金で君の世話をしたらいいのかな?嫌無理だけど。私犬派」


「にー!」「のわっ!」


急に頭に負荷がかかり、金が床にまかれる。


「ねぇ~!なんなのさ!」


ここでレンジとトースターが加熱終了の音を鳴らした。我に返ってパンを裏返し、スープカップの中にミネストローネのもとを入れてもう一度つまみを回す。


バラバラになった金は適当に揃えて一旦クリアファイルの中にしまう。その間黒猫は私の黒い長財布を一心不乱に叩いていた。


「ちょっと。私の第2の命をいじめないでくれない?」


「にー!にー!にー!」


何かを訴えている?黒猫は私を前足でさし、財布を叩く。何回も繰り返しているので、流石の私も。


「このお金は・・・私のものってこと?私が好きに使っていいってこと?」


「にー!」


力強く頷く。猫って頷くんだ・・・。


「そっか・・・?ありがとう」


ぽろっとお礼を言ってしまったが、初対面の黒猫に朝っぱらから出所が分からないお金をプレゼントされても素直に呑み込めない。一旦このお金は放置だな。それよりも、この黒猫が自由に動き回っているという状態をどうにかしないと。


外出準備中、私は最も厄介な存在・・・黒猫を触れずに封じ込める方法を思いついた。


炬燵兼テーブルが閉まってあった段ボールを組み立て直し、横にして口の方をテーブルに合わせる。


「あのさ、絶対に傷つけないから一旦この中に入ってもらっていい?」


黒猫は態勢を4足歩行に切り替え、上目遣いで私を見る。


「う・・・猫にこんなこと言っても分かんないだろうけど、伝わりはするはず!頼むからこの箱に入ってくれ!」


「にー!」


ズザー。と勢いよく入っていった。


「警戒ゼロか。まぁ、これで一先ず脅威は去った。」


ふうと息を吐く。段ボールを縦にすれば、私の身長以上になる。ここまで底が深ければ、簡単に上がってこれないだろう。蓋は可哀そうなので開けたままにし、壁に立てかける。


「朝ごはん食べたら出したげるから、それまでじっとしててくれ」


「にー」


私の言葉が通じたのか、段ボールをカリカリと爪でひっかく音が止む。


「いただきます」


ミネストローネをおかずに食パンをかじる。両面カリッカリに焼いたのでパン屑に注意しつつ食べ――ようという気だけはあるのだが、毎回必ずこぼすので、後でコロコロをかけなければならない。まぁ、今日は猫を抱いたから丁度いいか。


白い壁を見つめながら黙々と食べ進めていると、どこかからニュースの音声が聞こえた。きっと同じアパートの住民がテレビでニュースを見ているんだろう。実家にいたころはニュースを見ながら食べていたけれど、今の部屋にテレビはない。あったら毎朝使いたいところだけど、置くスペースがない。配線の関係で設置すると私の寝る場所がなくなってしまうのだ。


結局この時間を少しでも有意義に使いたいと思いながらも、白い壁をぼーっと見ながら朝食を味わう日々を送っていた。


化粧と歯磨きが終わると、いよいよバイト先に向かわなければならない。私は段ボールと対峙する。


猫なんて目が大きいし噛むし引っ掻くし何か怖いからもう関わりたくない。しかし、流石にそのまま放置するのもよろしくない。早いとこ私の城から追放して野良に戻ってもらわなければ。慎重に段ボールを倒し反対の口を開けると、黒猫は体を丸めて眠っていた。これはチャンスでは?


そっと抱きかかえ、速足で外に出る。どうにか施錠も済ませ私は猫を抱えたまま階段を下りた。下手糞な抱っこでも身じろぎ一つせず爆睡している猫に愛着は特に・・・湧くことはなかった。やっぱ犬だよ。犬。懐いてくれるし言うこと聞いてくれるし可愛いし。


猫を地面に下ろし、自転車に飛び乗った。あのクソ・・・黒猫の所為でギリギリの時間になってしまった。車が通らない所に放置したから、暫くは大丈夫だろう。直ぐに起きて何処かに行くハズだ。

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