episode 3 赤コーナーの負け
翌朝、憂鬱なまま登校した一年八組で頬に古い傷のある爽くんが待っていた。彼は隣のクラス、私は避けられても化け物扱いでもしかたないと思うくらいだったから、彼の包み込むような瞳に力が抜けてしまった。
「爽くん、昨日は本当に……」
私はいくら考えても決まらなかった謝罪の言葉を口にしようとする。まだ力が戻っておらず、一番大切なごめんなさいが言えなかった。
「俺、心配して早起きしちまったよ。大丈夫か?」
爽くんは私に近づいてほほ笑んでくれる。しかも早く目覚めるほど気にかけてくれたなんて。私は背の高い彼を見上げ、ああ昨日とはまったく異なる理由で涙がこみ上げてきた。
なのに「大丈夫だから」とうそをついて逃げ、あっという間に廊下に飛び出す私。
ばか、何してるんだ。私は泣きべそで爽くんの九組を振り返る。チャイムが鳴って八組のそちらに近い扉から追い出された彼は、私を怒らずそっと手を挙げてくれた。とはいえ彼の優しさだけで逃げた自己嫌悪と嫌われる恐怖を抑え込めるはずもなく、私はその場に立ちすくんでしまう。
そのとき、鉄道研究同好会ではまりすぎと有名な二人が私の脇を抜けていった。
「だから、城山線のラインはもっと青を深くすべきなんだよ」
「俺はありきたりな青をやめて黄緑にしたらいいと思うね」
私がふれたくない城山線について朝から議論に花が咲く男子たち。最初の奴が「青は青、そこは譲れない」と抵抗すると、隣から「ふざけんな。譲れ譲れー」と時間もないなかくすぐり攻撃が始まる。あげくに鞄を投げ捨ててプロレス技。
「青コーナーの勝ちぃ!」
まったくもう。ばかばかしくて涙が引っ込んだ私は、ふと「城山線のライン」と「青」という言葉が引っかかった。とっさに記憶を振り返る――あれ、おかしい。私が昨日や十四日に何度も見せつけられた車両に貼られた側面のラインは赤だった。そして見飽きたお兄ちゃんの写真は青いことにも気づく。これはどういうことだろうか、同好会員の話から車両によって違うとは考えにくい。
興奮のせいか気温より暑く感じる放課後、私は地元の茶野まで戻って城山線に乗り換え、今日は約束も何もない美杜に向かった。
「あーあ、こういうときに限って何事もなく着けるんだから」
中高生であふれる美杜駅で首をかしげた私は、自分の場合でも魔法がかからないことがあると知る。茶野への帰りも問題はなく、何より今日は電車のラインが最初から最後まで青かった。今朝の話からも今回の色のほうが正しいと思われ、インターネットで検索してみても青い写真しかない。つまり、私に魔法がかかったときだけラインが赤くなるに違いなかった。
「ねえ、ちょっといい? お願い」
改札を出たときに柴犬顔のお兄ちゃんを見つけ、私は人のいない柱の陰に呼び寄せた。制服姿がりりしいお兄ちゃんは困ってみせながら妹を大切にしてくれる。
「あのね、十四日と昨日に共通で、城山線に何か変なことなかった? 今日は大丈夫だったんだけど」
「十四日と昨日? 何もねえよ。それより何うちの路線使ってんだ、例の男か?」
そう言っておじさんくさく親指を立てた。私は美杜に好きな人がいると相談したのを思い出したけど、爽くんのことは話さずに「あの、城山線、電車の横のラインって全部青だよね。赤じゃないよね?」と訊いてみる。
「当たり前だろ、大空の青だよ。結花、本当にどうしたんだ?」
お兄ちゃんが腕を組み、ここで小さくはっとする。
「まさか、十四日と昨日だけ赤くなってたってのか」
「うん――。ていうか、その日だけ行きたいとこになかなか行けなくなって、帰り道もすぐには帰ってこられなかった……」
うつむいた私は何よりも深刻な話に入っていた。しかしまた逃げたくなって強く息を吸い、顔を上げてどうでもいいお願いをする。
「そうだ、昨日井田さんと時岡さんを無視しちゃったから、お兄ちゃん代わりに謝っといて」
「いいっていいって。井田なんか今日休みだ、うわ」
お兄ちゃんは笑って手を振るも、何かに反応して血相を変えた。私は視線を追って改札のほうを振り向き、冷たい表情の時岡さんに気づく。
あの人に何か――肩をふるっとさせた私だったが、これで不可思議の沼を抜け出せるかもしれないとほのかな期待も抱きもしていた。
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