小国の公女をめぐる冒険

清瀬 六朗

第1章 雨上がり

第1話 真綿のような声の娘

 雲は切れ、明るい空がのぞいている。もう雨は降らないだろう。

 公都こうとインクリークの宮殿前大通りは賑わっていた。

 買い物客たちのおしゃべりと笑い声、きつい冗談を言い合う高い声、商人たちの呼び込みの声、言い争いの声、たくさんの子どものはしゃぐ声と泣き声と、たくさんの声が溢れかえっている。

 そんななかで、カスティリナにだけすることがない。

 腕につけた「契約者の腕輪」をで、もういちど空模様を確かめると、することは何もなくなってしまった。

 僧院の大きな鉄扉に背をもたせかけてため息をつく。

 「すっぽかされたのかな」

 ひとりごとを言うなんていやだと思っても、一度口に出してしまうと、続きも言わないと気分が悪い。

 「もともとおかしいんだよね。こんな日のこんな時間に待ち合わせて、しかも行き先も公女とおんなじなんてさ」

 「何がおかしいって?」

 すぐ後ろで軽くふんわりした真綿のような声がした。

 カスティリナは剣の柄に手を置いて振り向く。

 油断した。もし相手が自分に斬ってかかろうとしているのなら、いま振り向いても間に合わない。

 自分はまだ未熟だと思う。

 でも、振り向いたところにいたのは、色白の、目の細い娘だった。

 薄緑の縦縞のある白い乗馬服の上に、胸のところの大きく開いた、青い袖無しの胴着を着て、同じ色のスカートを穿いている。

 カスティリナよりも顔半分ほど背が高い。胸板の厚い、がっちりした体つきをしていた。

 でも、その親しげな笑顔のおかげで、この娘からは体つきに反して「大女」の印象を受けない。少し幼くさえ見えた。

 胴着の下には革のベルトをしていて、そのベルトから膝あたりまでの長さのある両刃の剣を吊っている。

 娘は、カスティリナの顔を興味深そうに見ると、黙って左手を上げ、腕につけたガラスの腕輪を見せた。

 カスティリナがしているのと同じ「契約者の腕輪」であることは一目でわかった。

 つまり、この娘がこれからカスティリナの仕事の相手、ということだ。

 でも、この娘は、ろくにあいさつもしないで現れた。

 世間知らずなのか、失礼なやつなのか、その両方なのか。

 そこで、カスティリナは仕事口調で言ってやる。

 「アヴィア・ラヴィーネさん? レイエルしちてんから紹介された?」

 「はい」

 大きい娘は細い目をまたたかせて嬉しそうに答えた。

 カスティリナは続ける。

 「わたしの任務はあなたが五日後の正午までにアルコンナの首都アンマギールの宮殿の脇門の前に着くまで護衛すること。代金はレイエル質店からもう受け取ってるし、成功報酬もやっぱりレイエル質店のアンマギールの支店で受け取ることになってるから、わたしがあなたから金品を受け取ることは絶対にない」

 「まあ、あんまり細かいことは言わないで、気楽に楽しく行きましょ」

 アヴィアが軽く柔らかく言う。カスティリナの機嫌があまりよくないのに気づいているかどうかはわからない。

 「それに、わたしのこと、あんたって呼んでくれていいから。わたしもそうする。もちろん、あんたさえよければ」

 そんなことを言うので、

「もうあんたって言ってるじゃない? わたしがよくてもよくなくても」

と言ってやると、アヴィアはくすんっと小さい笑い声を漏らした。

 カスティリナはうつむいた。つられて笑いそうになったからだ。

 アヴィアは自分から左腕の腕輪をはずし、とてもだいじなもののように両手でカスティリナに渡した。カスティリナも腕輪をはずして、合わせて確かめてみる。

 たしかにぴったり合った。

 まちがいなく、この娘が依頼者本人なのだ。

 カスティリナが腕輪を確かめているのにもかまわず、アヴィアは話しかけてくる。

 「それに、到着の場所と時間さえ守れば、わたし、お金払うのはべつに苦にならないから。それと、わたし、硬いベッドとかまずい食事とか嫌いだから。それだったら、わたしがお金を払ってでもいいところに泊まりたいから」

 「あのね!」

と言い返しそうになって、カスティリナはことばを抑えた。

 カスティリナは護衛の契約を交わした相手と口論して仕事をふいにしたことが何度かある。

 その結果、カスティリナには、いわくありげな仕事や厄介な仕事しか回ってこなくなった。

 したがって、レイエル質店であれどこであれ、正式の契約にしたがって仕事をすることはほとんどない。傭兵局の仕事だからと駆り出されたらそのままやっかいごとを引き受けさせられてしまったとか、軽い頼みごとだと思って出て行ったら命がけの仕事だったとか、そんなのばっかりだ。

 それが、今度は、「腕輪」を使ってまで本人を確かめなければならないような「正式」の仕事だ。

 ともかくこれ以上「カスティリナには普通の仕事ができない」なんて評判を裏書きするようなことはしたくない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小国の公女をめぐる冒険 清瀬 六朗 @r_kiyose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画