(2)孤高の天才
時を少し遡るわ。
私は王立魔法学院に史上最年少、十三歳で入学を許された。この学院に足を踏み入れる瞬間から、私の胸には期待と緊張が入り混じっていた。学院の中庭は春の柔らかな陽光に包まれ、木々の葉がそよ風に揺れる音が、どこか私の不安な心を落ち着けてくれるようだった。そんな穏やかな風景の中で、私は特待生として初めての模擬戦に挑むことになっていた。
この模擬戦は、限られた者だけが出場を許される特別な場。その栄誉だけでも十分なはずだったが、私にはそれ以上の責務があった。この学院に最年少で入学を許されたということは、無数の期待と注目が私の背中に重くのしかかっているということ。そのことを痛いほど理解していたからこそ、自分の力を証明しなければならないと強く思っていた。
視線を前に向けると、先輩たちの鋭い眼差しが私に集中しているのがわかる。彼らの瞳には、学院最年少の生徒である私が、果たしてどれほどの実力を持ち合わせているのか、見極めたいという冷静な観察の色が宿っていた。その眼差しにさらされながら、私は杖を握りしめる。若さゆえの無謀と嘲られることがあろうとも、私はその期待と疑念に応える覚悟を胸に、この場に立っているのだと自分に言い聞かせ、戦いに挑んだの。
─
「勝者、アルルマーニュ・デュフォンマル!」
教員の声が会場に響き渡ると、空気が一瞬にしてざわめきへと変わるのを肌で感じた。驚きと感嘆の視線が一斉に私に注がれる。その視線の先、私の目の前では膝をつき、苦悶の表情を浮かべる三年生、ヴィクター先輩の姿があった。彼の茶髪がわずかに揺れ、茶色の瞳には、敗北を認められないプライドがなおも強く燃え上がっているのが見て取れる。
この学院で入学以来ずっと主席を守り、風の魔法で名高いサザーランド家の名を背負う彼。幼い頃からその才能を称えられ、無敵と信じられてきた彼にとって、この敗北は耐え難い屈辱であることは明白だった。震える肩からは、怒りと悔しさが滲み出ており、それが場の空気を震わせているようにすら感じられる。
「ば…ばかな…俺は三年だぞ…首席を守り続けてきたこの俺が…一年生に…圧倒されるだと…!」
かすれた声からにじみ出る驚愕と屈辱が、彼の誇りの高さを物語っていた。拳を強く握り締めるその手には、滲み出る血が見え、唇を噛む姿には、敗北を受け入れられない悔しさが滲んでいた。
それでも、ヴィクター先輩は震える足で立ち上がり、再び気迫を込めた視線を私に向けると、内に湧き上がる怒りを抑えきれないかのように叫んだ。
「もう一度だ!もう一度やらせろ!」
その叫びには、初めて味わう敗北への屈辱と、それに屈しない誇りが激しく燃えていた。まるで再挑戦を求める剣のように鋭い視線が私に突き刺さり、彼の全身からは、絶対に負けを認めないという決意が湧き立っているのがわかる。
私は冷静な表情を保ちながら、視線に静かに応えて軽く微笑み、口を開いた。
「ガレス先生、まだ模擬戦が始まったばかりですし、私は再戦を受けても構いません。」
私の言葉を聞き、ガレス先生の黒髪が静かに揺れる。眼鏡の奥から知性の光を湛えた眼差しでこちらを見つめ、穏やかな微笑みを浮かべながら静かに私の名を呼んだ。
「デュフォンマル君…」
その柔らかな声に、冷静な判断力と豊富な知識が滲み出ていて、彼の存在がこの場に確かな重みをもたらしているのを感じる。一方、ヴィクター先輩は怒りを隠しきれず、鋭い視線で私を睨みつけている。その瞳の奥には、家名にかけて敗北を認めるわけにはいかないという揺るぎないプライドが激しく燃えていた。
「先ほどのは何かの間違いだったと証明してやる……!風の守護者と称されるサザーランド家の名に泥を塗るわけにはいかない!」
ヴィクター先輩の叫びが模擬戦の場に響いた瞬間、場の空気が一変した。彼の周囲に湧き上がる風が一層強まり、まるでその決意を具現化したかのように荒々しい竜巻を巻き起こしていく。その渦は彼の誇りそのものだった。圧倒的な力を感じさせるその光景に、観客の息を呑む音さえ聞こえなくなる。
しかし、私は怯まない。心を静かに整え、杖を握り締める。彼の誇りと覚悟を理解しながらも、それに屈するわけにはいかなかった。
「汝、光の蛇よ、暗き影を照らし出せ。闇に潜む道を這い、全てを射抜け――
低く響く呪文の詠唱に応じ、杖先から放たれた光の魔法が淡い輝きを放ちながら地面を這い始めた。その光の蛇は、ひび割れた模擬戦の場を巧みに進み、竜巻の勢いを避けながら生き物のように滑らかに蛇行する。そして、ヴィクター先輩の足元に到達したその瞬間――。
閃光が場を包み込む。眩い光が爆発的な衝撃波を伴い、竜巻を粉々に砕いた。その余波がヴィクター先輩の体を揺さぶり、彼の足元を崩した。突然の攻撃に彼は後ずさり、膝をつきそうになるのを堪えるように足を踏ん張る。その表情には、一瞬の戸惑いと驚きが浮かんでいた。
「全方位を守る風と言えども、足元は御留守だったみたいですよ。」
冷静に響いた私の声は、彼の耳に確実に届いていた。その言葉に反応したヴィクター先輩の顔が驚愕に染まり、唇が微かに震える。思わず、という表情が彼のすべてを物語っていた。学院で数々の勝利を収め、「風の守護者」の名を背負う彼が、ここで膝をつき敗北を認めざるを得ない状況に追い込まれたのだ。
「おのれ…こんな年端もいかぬ子供に…俺が敗北するとは…!」
かすれた声に滲む屈辱と震える体。彼が全身に纏っていた誇りと自信が、砕け散る音が聞こえるようだった。拳を握り締めた彼の手には血が滲んでいる。その様子を、私は冷静に見つめながらも、心の奥で複雑な感情が湧き上がるのを感じていた。この勝利の瞬間が、ただの一戦を越え、彼の誇りと学院全体の視線を変えてしまう重いものになったことを理解していたからだ。
観客席からはかすかなざわめきが聞こえ、崇拝の眼差しで彼を見つめていた者たちの驚愕と動揺が広がっていく。先程までの熱狂が、一瞬で冷え込んだ空気に変わる。そのざわめきには、哀れみと驚きが混ざり合っていた。「ヴィクター様…」と囁かれる声もどこか陰りを帯びている。彼が一目置かれていたその地位が、私の勝利によって揺らぎ、その象徴として、冷たい空気が広がっていくのを感じた。
私はその場に静かに立ち尽くしながら、学院の英雄であったヴィクター先輩の誇りが崩れゆくのを見届けていた。周囲には息を呑む静寂が漂い、その静けさが、私の勝利を一層鮮やかに浮かび上がらせている。だが、胸に広がるこの重い感覚――それは私が望んでいたものとは少し違っていたかもしれない。
やがて、この日の模擬戦の出来事は学院全体に知れ渡り、噂は尾ひれをつけて広まっていった。「学院始まって以来の天才」「七大貴族に牙を剥く小娘」「金髪碧眼の悪魔」…そんな言葉が私を形容するものとなり、私の存在が一種の異端として扱われるようになっていく。同級生たちは私を恐れ、遠ざけ、廊下を歩くと、視線は一瞬だけ私に注がれ、次の瞬間には逸らされる。その視線には畏怖と嫉妬が混ざり合い、まるで私が触れるものすべてを変えてしまうかのような距離感が感じられた。
けれども、私はこの状況を受け入れていた。学院での生活が冷たく静かなものへと変わっていく中、私は静かに苦笑することもあった。もはや変えられぬ運命のように、自らの選択を、冷静に見つめ直す日々を送っていたのだ。そして次第に、「孤独」という感覚が私の胸の奥に、じわじわと沁み入っていくのを感じるようになっていった。
それでもなお、私は学院の図書館に通い続ける。この場所だけが私にとって心の平穏を与えてくれる隠れ家であり、他者の目を避けることのできる唯一の静寂の中に身を置ける空間だった。薄暗い本棚の間に一人座り、古書の頁をめくるときの感触に浸り、無数の知識と物語に触れ、時を忘れるひととき――私にとって、何者にも代えがたい時間だった。
ある日、ふと意識を他所に向けた瞬間、視線の先に不思議な光が揺らめいているのが見えた。異様に浮かぶその光は、まるで私だけに語りかけるように、ひっそりと本棚の隙間から洩れ出している。淡い輝きに包まれたその光景に、私は不思議な感覚を覚え、胸がざわつくのを感じた。その光の中心には、一冊の手帳が斜めに飛び出している。周りの生徒たちがその存在に気づく様子はなく、その輝きがあたかも私だけに向けられているように感じられた。
「いったい…どういうこと…?」
抑えきれない好奇心とわずかな恐れが胸をよぎり、私はゆっくりとその光の元へ歩み寄った。手帳は、まるで私を誘うかのようにかすかな輝きを放ち続けている。私は指先をその表紙にそっと触れると、光が指先から全身にしっとりと広がっていくのを感じた。それは、長い時を経て今この瞬間、私だけに語りかける何かのようだった。
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