儚い金魚たち(千夏)
19
人間の脳は失恋の痛みを体の痛みと同じように感じてしまうらしい。
頭が痛くなったら頭痛薬、胃が痛くなれば胃痛薬。
そうやって色々な鎮静剤があるのに、どうして失恋に効く痛み止めはどこにも売ってないんだろう?
「ちょっと、千夏っ! ソファで寝転んでるだけなら勉強でもしなさい。あんた一応受験生でしょうが!」
なんにも予定が入っていない日曜日。リビングでごろごろしていたら、お母さんに怒られた。私はその声を無視して、スマホの画面をスクロールさせる。友達が投稿したインスタをひたすらチェックしていると、痺れを切らしたように、お母さんからスマホを取り上げられた。
「ちょっと、なにすんの!」
「あんたね、いい加減にしなさいよ。進路のこともあるんだし、もう少しちゃんとしなさい」
「ちゃんとしてるじゃん」
「してないでしょう。志望校だってなかなか決めないし、一体どうするつもりなのよ。ちいちゃんはもう受験したい高校のオープンスクールに行ったって言ってたわよ」
こういう時に必ず名前が挙がる従姉妹のちいちゃん。私と同い年で、アッキーと並ぶくらいに頭がいい。
「なんで、いちいち比べるの? 私だって進路のことぐらい考えてるから」
「じゃあ、高校はどこを受験する気なのよ?」
「私は冬樹が決めたところにいくから」
迷わずに答えると、お母さんは腰に手を当てながら大きなため息をついた。
「冬樹くんじゃなくて、自分で決めなさい」
「だーかーら! 冬樹と同じ高校にいくって私が決めたの!」
「そんなふうに決められても、冬樹くんは迷惑でしょう?」
「冬樹はそんなこと思わないよ」
「小さい頃とは違うのよ。それに冬樹くんには彼女がいるじゃない。千夏は良くても、冬樹くんに甘えすぎちゃダメよ」
「は? 冬樹に彼女なんていないよ。前にも言ったでしょ?」
少し前にお母さんから冬樹が女の子と自転車に乗っていたという報告をされた。仕事帰りに目撃して、それそれは仲睦まじい様子だったらしい。
その相手が遥香ちゃんだということは、わざわざ本人に聞かなくたって分かるし、お母さんにもふたりが付き合っていないことはしっかり説明したはずなのに。
「でも、一昨日くらいにも同じ子と一緒にいるところを見たわよ。付き合ってるって、あんたが知らされてないだけなんじゃないの?」
「……う、さい」
「え?」
「うるさい、ババア!」
「ババア!?」
私はお母さんを押し退けて、自分の部屋に籠った。やり取りを居間で聞いていたおばあちゃんが心配してドアを叩いてくれたけれど、「今はほっといて!」と、八つ当たりをしてしまった。
お母さんのせいだ。私は悪くない。悪くなんてない。
その時、タイミング悪く冬樹からラインが届いた。
【来月の大会の応援、秋人と遥香も行くって】
そんなメッセージに、思わずスマホを投げそうになった。たしかに冬樹はみんなでって言っていた。でもそれは話の流れで言ったことであって、約束したのは私なんだから、冬樹がひとりで来ればいいじゃん!
……と、高速で返事を打ったけれど、結局全文を消した。
大会の応援なんだから、ひとりよりもみんなで行ったほうがいいと思うのは当たり前だ。それでアッキーにも声をかけたということは、必然的に遥香ちゃんにも話はいく。なんにも不自然なことはない。
薄暗い部屋の片隅には、青みがかった水槽が置かれている。その中で優雅に泳いでいる四匹の金魚たち。ちょうど私たちのように、メスとオスの二匹ずつ。
魚は共食いをする。金魚も稀にするらしいが、うちの金魚は狭い水槽の中でも傷つけ合ったりしないで、仲良くしている。でも、私たちはきっと、そうもいかない。
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