15歳 Q恋ってなに?

放課後かくれんぼ(冬樹)

16

 思春期の恋は、単なる憧れに過ぎないという説がある。


 自分が理想とする人物像を相手に投影し、自己満足を追求する傾向があるかららしい。


 だからクラス替えや進路の違いで距離ができると、その恋は呆気なく終わりやすい。


 思春期の恋愛が自分本位というなら、自己犠牲を厭わず相手の幸せだけを考えるのが大人の恋愛なんだろうか。


 じゃあ、片思いの場合は?


 自分本位ではない片思いの仕方なんて、俺たちはどこで学んだらいいんだ?



 麗らかな春。中学三年生に進級した。学年がひとつ上がっただけで自分自身はとくになにも変わってないが、周りの環境は目まぐるしく変化していく。


 今日は担任から進路希望調査票が配られた。いよいよ進路についても他人事ではいられない時期になってしまった。


 第一希望から第三希望までの枠内には、進学、就職、その他の欄。進学なら学校名と学科を書き込む場所も用意されていて、【卒業後の進路をなるべく具体的に記入してください】なんていう文言も記されている。


 俺は調査票を他のプリントと同じように、カバンの中に突っ込んだ。


「ねえ、冬樹は高校どこにするのー?」


 中三になって秋人とはクラスが分かれ、代わりに千夏と同じクラスになった。千夏はファミレスのメニューを決める時と同じような軽い調子で、進路のことも聞いてくる。


「まだ決めてない」


「なんかこの紙ってあと三回も配られるらしいよ。最初は未定でいっか」


 俺たちのようにまだなにも決めていない生徒もいれば、希望する進路に向けて動き出している生徒もいる。


 進路希望調査票が配られたことで、廊下にも高校案内のパンフレットが並ぶようになった。表紙はどれも似たり寄ったりで、白い歯を見せて笑う学生たちが映っている。


 未来、希望、青春、夢。キャッチコピーはどれも俺にとっては眩しすぎる。生徒たちが積極的にパンフレットを手に取っている中、前から長身のイケメンが歩いてきた。


「よう」


 目が合って、自分から声をかけた。中三になってますます大人びた秋人は、相変わらず女子たちの視線を引き寄せている。


「秋人のクラスも調査票配られた?」


「うん」


「やっぱり開応行くのか?」


「そのつもり。冬樹は?」


「まだなんにも決めてない」


「そっか」


 会話が途切れて、沈黙になった。「……じゃあ、俺はそろそろ」という秋人のことを、俺はぎこちなく見送る。


 ――『俺と遥香は血が繋がってないんだよ』


 秋人から告げられた衝撃的な告白。そして、誤魔化すことなく教えてくれた妹への想い。あの日以降も、俺たちは友達だ。秋人が誰のことを好きでも友達はやめないし、これからだってやめる気はない。


 だけど、俺と秋人の関係は、少しだけ変わった。あの夏に話したことにはお互い一切触れず、俺たちは今でも距離があるまま過ごしている。


【冬樹くん。今日も一緒に帰りませんか?】


 ポケットの中のスマホが震えた。ラインのトーク画面には、遥香のアイコンが表示されている。


 俺は秋人の気持ちを知っている。


 秋人も……俺の気持ちに勘づいている。


 だからこそ、秋人は俺に全部を打ち明けた。


 警告ではなく、遥香と友達以上の関係にはならないでほしいという願いだったように思う。


 迎えた放課後。待ち合わせ場所である昇降口でしばらく遥香のことを待っていたが、一向に現れない。HRが終わってないのかもしれないと思ったけれど、さすがに三十分以上も長引くことはないだろう。


 なにかあったのかもしれないと心配になり、俺は彼女のクラスである二年三組に向かった。それは、去年俺が使っていた教室でもある。そっと中を覗いてみると、女子生徒が机に顔を伏せて寝ていた。


 ……まさか?


 おそるおそる確認してみると、予想どおり眠っていたのは遥香だった。名前を呼びながら肩を叩くと、彼女は慌てたように飛び起きた。


「え、わっ、冬樹くん、なんでうちのクラスに……って、ひょっとして私、寝ちゃってた?」


「うん。もしかして体調悪い?」


「う、ううん、全然元気だよ! ちょっとだけうたた寝しちゃっただけ。ごめんね、私から帰ろうって誘ったのに……」


「そんなの気にしなくていいよ」


 中学二年生になった遥香の髪は、胸辺りまで伸びた。本人いわく身長も一センチだけ高くなったらしい。


 転校してきたばかりの頃も、遥香は俺より目線が低かったが、今ではずいぶんと身長差がついた。一センチだけ伸びた彼女と比べて、俺の背が去年から十センチも伸びたからだ。


 声変わりが遅かったぶん、成長期も遅れてやってきた。おかげで成長痛もひどく毎晩苦しんでいたけれど、最近になってようやく落ち着いた。


「今日もこのままあの場所に行く?」


「この前、見つかりそうになっただろ」


「はは、あの時は焦ったよね!」


 俺たちは今でもスクラップ置き場をふたりだけの秘密の場所として使っていた。


 遥香が待ち合わせ場所に自転車でやってきて、合流したら俺が運転を代わって、ふたり乗りでスクラップ置き場に向かう。


 なにをするわけでもなく、他愛ないことを話して、ただただ楽しい時間を過ごすことがお互いの癒しになっていた。


 でも先日、誰も出入りしていないと思っていたスクラップ置き場で、作業服を着た大人たちに遭遇した。ふたりして慌てて逃げたけれど、それもまた俺たちにとっては楽しい笑い話だ。


「じゃあ、せっかく冬樹くんが教室に来てくれたから、今日は〝アレ〟をしようよ」


「どうせ負けるのに?」


「今日は勝つかもよ?」


 遥香はやる気満々という感じで、腕まくりをしてみせた。〝アレ〟だけでなにを指しているかわかるほど、俺たちには秘密の場所以外に秘密の遊びがある。


「では、範囲は校舎全部。冬樹くんは六十秒数えたら見つけに来てね!」


「いーち、にー」


「わわ、数えるの早いって……!」


 遥香は面白いほどに右往左往しながら、廊下を駆けていく。秘密の遊びとは、ふたりだけのかくれんぼのことだ。スクラップ置き場で何回もやっていて、俺がすぐに見つけると彼女はムキになって必ず『もう一回!』と言ってくる。


 自称、かくれんぼの天才同士。隠れる側と探す側。俺のほうが圧倒的に有利なのに、遥香はこの遊びが好きらしい。


 教室の窓から差し込んでいる夕日が、床や机に長い影を落としている。他の生徒がいなくても、足元には色んな人の足跡が重なっていた。


 これが見えるようになって約一年。煩わしいことに違いないが、ひとつだけ良いこともある。それは、辿りたい相手の足跡だけが光って見えるということだ。


 俺も最初は知らなかった。でも、遥香の足跡が光って見えたことがあってから、そういう仕組みがあることを知った。


 廊下に残っている無数の足跡の先――光っている足跡は音楽室へと続いていた。


 足跡を辿って、音楽室の扉を開ける。誰もいない部屋の隅には、いくつものオルガンが並べられていた。俺は迷わず三番目のオルガンに近づく。


 光る足跡はオルガンの下、つまり椅子を収納する空間へと続いていた。小柄な遥香なら余裕で隠れられる場所だ。わざとらしい咳払いをした後、オルガンの下を覗き込んだ。


「みーつけた……って、あれ?」


 絶対にいると思っていた遥香がいない。すると、我慢できなかったように、クスクスと笑い声が漏れてきた。


 その笑い声は、オリーブ色のカーテンの向こう側から聞こえた。ヒダのついたカーテンは床まで垂れているが、中に入ると窓からの光でシルエットが映ってしまう。


 ……本当にかくれんぼの天才なのか?


 俺のほうが笑いそうになりながら、カーテンを勢いよく開けた。


「はい、また俺の勝ち」


「でも、一回は引っ掛かったでしょ?」


 遥香は負けたにもかかわらず、どこか満足そうな顔をしていた。


 彼女の足跡を辿るだけのかくれんぼ。俺たちはこの遊びをすでに何回もやっている。


 見つけられてしまうという緊張感がいいのか、遥香は負けても嬉しそうにしていて、俺も探すのが楽しい。


 ――『お前に遥香は渡せない。頼むから遥香とはこのままずっと友達でいてくれ』


 また、あの言葉が頭を過る。


 俺が秋人との友情を手放すつもりがないように、きっとあいつも同じことを思ってくれている。


 だからこそ、遥香と特別な関係にはならないでくれと、頼んできた。そうなってしまえば、俺たちはもう友達ではいられなくなってしまうからだ。

 

 秋人は本気で遥香のことを想っている。きっと、色んな覚悟もしているだろう。だけど、あいつの気持ちを遥香は知らない。


 彼女は秋人の話をよくするし、兄として尊敬していることも会話の端々から感じ取れる。


 もしも。もしも、秋人の気持ちを知ってしまったら、遥香はどうするんだろうか?


 きっと苦しむだろうし、こんなふうに無邪気に笑えなくなるかもしれない。


「ねえ、冬樹くん。もう一回やろ?」


 俺の腕を、遥香が笑って引っ張る。慕ってくれている後輩。仲良くしている友達のひとり。または友達の妹。俺たちの関係を表す名前はいくつかある。


 遥香のことは、可愛いと思っている。触られると、心臓だって一丁前に跳ねる。


 それが恋なのかどうかはわからない。だけど、遥香のことを考えるたびに、やっぱり秋人の顔がちらつく。


 どういう選択をすればいいのか、俺の足りない頭ではまだ答えは出せそうにない。


 だけど、秋人の気持ちを知っている以上は、一線を越えてはいけない。遥香とは友達でいるべきなのだと、必死に言い聞かせている自分がいた。

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