12

「秋人、おはよう」


 翌日、教室に入るやいなや、冬樹が声をかけてきた。くじ引きで決まった席は窓際の前から二番目。昔から窓際とは縁があり、二年連続で同じクラスになった冬樹とも不思議な縁を感じる。


「ああ、おはよう」


 冬樹の髪には寝癖がついていた。しっかり者とは程遠いが、ムードメーカーというほど愛嬌に溢れているわけでもない。でも俺の数少ない出会いの中で、群を抜いていいやつだということは確かだ。


 ――『なあ、武井って頭いいんだろ? 宿題見せてくんやい?』


 一年生の時、冬樹はまるで昔馴染みのような言い方で声をかけてきた。


 その図々しさに最初はなんだこいつって思ったが、宿題を見せてやると『マジで助かる!』と心底嬉しそうな顔をした。


 その姿が憎めなくて、それ以来自然と友達になり、冬樹の幼なじみである豊永とも話すようになったけれど、彼女に関してはやっぱりまだ友人関係と呼べるのかどうかは曖昧だ。


 豊永は冬樹に好意を持っている。当の本人はまったくわかってないみたいだけど、俺は早い段階から豊永の気持ちに気づいていた。


 冬樹は自分のことを陰キャだと言うけれど、俺から見ればむしろ陽キャ寄りだと思っている。去年の体育祭のリレーの時、最下位からごぼう抜きで一位になった冬樹は、一躍ヒーロー扱いだった。


 誰よりも速い足を持っていながら、冬樹は陸上部をあっさり辞めた。


 事情は聞くな、誰も心に入ってくるなっていう雰囲気は、まるでエレベーターの閉じるボタンを連打する人のような焦りを感じさせた。


 分厚い扉の向こうに〝走る〟ということを置き去りにした冬樹は、別のことを見つけるために果たしてエレベーターを昇ったのか、降りたのか。


 それともどの階にも行かずに、同じ場所に留まったままなのかは知らない。


 来週から夏休みが始まることもあって、今日は先日行われた期末テストの結果が返ってきた。テストは国語、社会、数学、理科、英語、音楽、美術、体育の八科目が対象で、それぞれの点数に基づいて順位が付けられ、結果表として薄い紙で配られる。


 自分の結果表はほとんど満点で、科目別の学年順位はオール一位。もちろん八科目総合の欄にも百五十人中、一位という印刷がされていた。


「武井はさすがだな」


 鼻高々に担任から褒められた。いい結果が出るのは嬉しいが、大人は過度に期待を寄せてくる。


 高校はどこを受験するのか。大学進学まで見据えて考えたほうがいいのではないか。教育上では個人の尊厳を尊重するなんて言うくせに、教師は俺にあれこれとアドバイスをしたがる。


「もう、私マジで夏休みは本気出すから!」


 休み時間。三組に入ってきた豊永は、冬樹と自分の結果表を見比べていた。わざわざ覗いたりはしないが、どうやら冬樹に成績で負けたらしい。


「まあ、今回は珍しくテスト勉強したからな。帰宅部になって時間もあったし」


「はあ、本当に悔しい! 本気を出すためにノートも全部新しいものにする! てことで今日一緒に買いに行こうよ!」


「だから、お前は部活だろ?」


「この前みたいに、待っててよ」


「お前、俺のことなんだと思ってる?」


 ふたりは本当に仲がいい。でも仲の良さと恋愛は別物だ。過ごしてきた時間が長くても、同じ気持ちが育っていくとは限らない。俺はそれをよく知っている。


「秋人くーん、ちょっといい?」


 俺を呼んでいたのは、見知らぬ上級生だった。廊下から呼びかけられ、クラスメイトたちの注目を浴びると、「ちょっと、やだ〜。みんな見てるんだけど!」なんて、一緒に引き連れてきた友達と爆笑していた。


 正直言って、俺にも人並みの好みがある。周りの迷惑を考えないタイプは最も苦手だが、こういう女子が大人しく帰らないことはわかっていた。


「あのね、この子が秋人くんのこと好きなんだって」


 俺は、しぶしぶ呼び出しに応じた。連れて来られたのは、人気のない階段下。告白しにきてくれたであろう本人はなにも言わずに、俺を大声で呼んだ人が代わりに伝えてきた。


「秋人くんって彼女いないんでしょ? もうすぐ夏休みだし、この子と付き合ってあげてよ」


「夏休みとなんの関係が?」


「えー中二男子の夏といえば、一番彼女がほしい時じゃん! この子可愛いし、一途だし、友達の私から見ても超おすすめ! だからお試しでもいいからどう?」


 なぜ本人が言わないのか。なぜ断れないような圧力をかけてくるのか。たかが一つ上というだけで偉そうに物を言う権利を得られると勘違いしている人が多すぎる。


「すみません。俺は誰とも付き合う気はないので」


「なんで? それってものすごく不健康だよ!」


「不健康、ですか?」


「そうだよ! 彼女いらないなんて中二男子じゃありえないって!」


「そう……ですかね」


「もしかして秋人くんって、男の子のほうがいい系?」


「はい?」


「あーべつにそれならそれでいいんだよ。こっちもそのほうが納得いくっていうか、ほら、この子も失恋したわけじゃなくてそもそもの恋愛観が違ったんだって思ったほうが傷は浅いっていうかさ。ね?」


 よくわからない説得に、周りの女子たちの頭も縦に揺れていた。同じ言語を喋っているはずなのに、根本的に通じ合わないと思ってしまった。この場にいるのも、会話を続けるのも、面倒くさい。


「どうぞ好きなように思ってくれて結構ですよ」


 俺はそれだけを言い残して、足早に立ち去った。

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