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「千夏、本当にありがとう! やっぱり来てもらってよかった。千夏がいてくれたら、なんとかなると思ってたんだ!」


「たまたまだよ」


 私が仲介役になって騒ぎを収めたことは、教室でも話題になった。「千夏ってば、本当にすごかったんだよ! 円香先輩と仲良しでさ~」と、りっちゃんが少々大袈裟な報告をみんなに言って回っているからかもしれない。


「やっぱり千夏は頼りになるよね!」

「困ったことがあったら、私もすぐ千夏に相談しよっと!」

「うん、私も! だって千夏だったら許してもらえるもんね!」


 あれ、なんか話が変な方向にいってない……?


 悪い予感は的中してしまい、どういうわけか色々な人から頼まれ事をされるようになった。


 「千夏がやってくれたほうが安心だから」「千夏にしかお願いできないことなの」「ねえ、千夏。ねえねえ、千夏」あちこち呼ばれる名前に対応していたところ、こんなことを頼まれた。


「あのね、千夏。ふざけてたらロッカーの扉が壊れちゃったの。だから、私じゃなくて、千夏がやったってことにしてくれない?」


「え……」


「千夏なら大丈夫だよ。だって、千夏は先生からも好かれてるじゃん。千夏だったら絶対に許してもらえるはずだから!」


 ――千夏なら許してもらえる。今日は何度その言葉を言われただろうか。まるで呪文みたいだ。

 

 みんな都合がいいように言っているけれど、結局は自分で動きたくないだけだ。自分が怒られるのが嫌なだけ。誰かに押し付けたほうが楽なだけ。


 私なら大丈夫って、なにが?


 なにを根拠にそんなことを言ってるの?


 だけど、私は笑顔を作った。だって、べつに〝なりたい自分〟なんてないし、周りから求められる〝私〟でいるほうが、やっぱり楽だから。


「もう、しょうがないな! 次からは気をつけなよ」


「さっすが! 千夏なら絶対にそう言ってくれると思ったんだ!」


 ほら、こっちが正解だった。面倒くさいという気持ちはある。なんで私がやんなきゃいけないのっていう不満も。


 だけど、私は誰に対しても柔軟に対応できる。相手の懐に入って、こいつならいっかって思わせられる方法も、なんとなくだけどわかっている。


 私には〝自分〟というものがないから、誰とでも合わせられるし、どんな形にでもなれる。例えるなら、粘土だ。多少、理不尽だと思うことがあっても平気。だって粘土はぺちゃんこになっても元に戻るから。


 友達の代わりに職員室に行った。ロッカーのことを担任に謝ったら、「次からは気をつけなさい」と言われるだけで怒られることはなかった。


 きっと、私じゃなくても許される。だけど、私だから許されたって、周りはまた過度に盛り上がるだろう。


 はあ……と、深いため息をついたら、廊下に冬樹がいた。彼は、窓から外を見ている。私も同じように視線を送ると、そこにはちょうど体育終わりの一年生がいた。その女子集団の中には、遥香ちゃんの姿もある。


「ふーゆき♪︎」


「わっ……!」


 その視線を外させるようにして、私は勢いよく冬樹の背中に飛びついた。


「おい、バカ。学校でそういうことすんなよ」


「べつにいいじゃん。遥香ちゃんのこと見てたんでしょ?」


「や、見てたっていうか、いつも体育見学なんだよ。だから、なんでだろうって思ってただけ」


 それを見てるって言うんだよ、バカ冬樹。


「そんなことより、今日一緒に帰ろうよ!」


「お前、部活だろ」


「だから、終わるまで待っててよ」


「なんで、やだよ」


「帰ろうよ、お願い、お願い、お願い!」


「駄々っ子か」


 私はみんなからお願いされる側だけど、冬樹の前だったらお願いする側になれる。私にとって彼は、心の拠り所でもあった。


 冬樹がいるから、友達から利用されていると感じても明るさは失わないでいられるんだ。


          *****


 放課後、森川先輩は部活に来なかった。わりと、こうやって無断で休むことはよくある。自分の用事に関しては積極的なのに、それ以外の報告は平気で怠ったりする。


 また不満が沸いてきたけれど、私は黙々とひとりで走高跳びの練習をした。高跳びの練習場所は、野球部の隣。グラウンドの隅っこを借りる形でやっているため、陸上部の顧問もほとんど見に来ない。


 短距離や長距離のトラック競技には力を入れているくせに、走高跳びは人数が少ないからなのか、ほぼ自主練というわかりやすい指導格差。みんなみんな、本当に自分勝手すぎる。


 ――ガシャン!


 助走をつけて踏み込むと、一四〇センチに合わせたバーが地面に落ちた。調子が上がらない。やる気も出ない。自己ベストは一五〇センチ。大会に出ても入賞すらしないけれど、出場する部員がいないから必ず選手にはなれる。


 誰も見てないし、期待もされてないのに、なんで私は高跳びなんてやってるんだろうか?


 色んなことをそつなくこなせているように見えても、突き抜けて目立ったことはない。

 

 今まで賞状をもらったこともなければ、表彰だってされたことはない。なんでもできるふうに装って頼りにされることも多いが、私は誰よりも平凡だし、中身はスカスカ。まるで空洞だらけのシュークリームみたい。


 結局、一本も飛べないまま部活の終了時刻になった。野球部員たちがぞろぞろと部室棟に向かっていく。私も帰ろう。でも、バーの後片付けが面倒くさい。


 大きなマットに大の字になって体を沈める。今日は一日なにもいいことがなかった。


「おい、約束しておいてずいぶんのんびりしてんな」


 そんな声がして、慌てて起き上がる。そこにいたのは、呆れた顔で立っている冬樹だった。


「え、うそ、待っててくれたの?」


「お願いしてきたのはお前だろ」


「そうだけど……」


 冗談半分だったのに、まさか本当に残ってくれているとは思わなかった。彼の顔を見たら、落ち込んでいた心が一気に回復した。私って、単純だ。


「森センに見つかったら面倒だから、さっさと片すぞ。マットは金曜まで出しっぱなしだっけ」


「うん。マットは大丈夫」


「それなら、お前はバーを運べよ。俺はこのスタンドみたいなやつを……」


「あ、ま、待って。あと一回だけ跳んでみていい?」


 私は小走りで自分の助走位置についた。大きく息をはいた後、バーの向こう側にいる冬樹をめがけて走る。踏み切りは左足。ジャンプして体を反らした。音もなく体がマットに着地する。バーを見ると、一切揺れずに支柱に残っていた。


 やっぱり跳べた。今なら跳べる気がしていた。


「相変わらず綺麗に跳ぶよな」


 今日の練習が散々だったことを知らない冬樹が感心しながら褒めてくれた。


「そのセリフ、小学校の時も言ってくれたの覚えてる?」


「そうだっけ?」


 体育の授業で走高跳びをやった時、みんながはさみ跳びをしている中、私だけ背面跳びをした。たまたまテレビで見た飛び方を見よう見まねでしたところ、見事に成功。


『すげえ綺麗に跳ぶじゃん』


 得意げな顔で順番待ちの列に戻ったら、冬樹が真っ先にそう言ってくれた。


 嬉しくて、嬉しくて、舞い上がった。それから冬樹が陸上クラブに入ることを知り、私も追うように陸上を始めた。


 私の世界の中心にいるのは冬樹だ。


 じゃあ、冬樹の世界の中心にいるのは誰?


「ねえ、冬樹。昨日夜のランニングに行った?」


「あー……行かなかった」


「なんで?」


「……電話してた」


「誰と?」


「誰でもいいだろ」


「遥香ちゃん?」


 彼のまばたきの回数が多くなる。嘘をつく時だけじゃなくて、誤魔化したいことがあると、こうして冬樹はわかりやすい反応をする。


「いつ連絡先、交換したの? もしかして遥香ちゃんがいなくなった時?」


「…………」


「黙らなくてもいいでしょ。冬樹も案外抜け目ないよね。電話でなに話したか教えてよー!」


 わざと明るく振る舞って、冬樹の腕を指で突っついたら「やめろよ」って、うざがられた。それでも私は引き下がらない。だって、どんな話をしたのか気になるじゃん。


「遥香は転校生してきたばっかりだから、来月この街で夏祭りがあることとかを教えてあげただけだよ」


 『遥香』とちゃっかり呼び捨てにしている冬樹は、すでに何回も呼んでいるみたいに慣れていた。


「じゃあ、夏祭りは一緒に行くってこと?」


「まだそういう話はしてないけど」


 〝けど〟のあとになにか続きがありそうな言い方だ。『まだそういう話はしてないけど、今度その話になったら誘ってみる』私の頭の中にある予測変換機能が勝手に文章を作り始める。


 遥香ちゃんの自転車を押しながら、ふたり並んで河川敷に戻ってきた時から、嫌な予感はしていた。


 アッキーが遥香ちゃんを叱っている時も。二階の廊下から一年生を見ている時も、冬樹の視線はずっと遥香ちゃんに向いていた。


 それは私を見る視線とは全然違うもので、私が欲しいと思い続けてきた視線でもある。


 冬樹が遥香ちゃんを好きだとは限らない。学校の先輩として、親切にしてあげたいだけの可能性だってある。それでも気持ちばかりが焦って落ち着かない。


「冬樹。一緒に帰るっていうお願いの他にもうひとつ頼みたいことがあるんだけどいい?」

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