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思春期というのは、男子よりも女子のほうが早いと聞いたことがある。
親に干渉されずに、なんでもひとりでやってみたい。先生の目を盗んで悪いことをしてみたい。バカ騒ぎをしている同級生を見てガキっぽいと大人目線をしてみたり。カッコいい男子がいたら急に意識して身だしなみを整えてみたりと、私の周りにいる女子たちは小学生の頃からませていた。
そういう意味では私も早くから大人みたいな考えを持っていたし、好きな人だって物心ついた時からいた。
その相手は、十四年間一緒にいる冬樹だ。だけど、彼はまったくといっていいほど、私の気持ちには気づいていない。
「ねえ、千夏ちゃん。もしよかったら連絡先を教えてくれないかな……?」
「うん、もちろんいいよ。あ、でも、遥香ちゃんはラインやってないんだよね?」
「ううん、やってるよ。さっきのは嘘なの。知らない人に連絡先を聞かれたら、お兄ちゃんがそう言えって」
「……アッキーって、シスコンなのかな」
「シスコンって?」
「あーううん! なんでもない!」
私は一人っ子だから、兄妹の関係性がどういうものなのかはわからない。だけど、遥香ちゃんはなんとなく雰囲気からしてふわふわしてるから、過度に心配したくなる気持ちは理解できる気がした。
うちの家族は四人。私とお父さんとお母さんとおばあちゃん。あと五匹の金魚を飼っている。
お父さんとはあまり喋らないけれど、お母さんとはよく買い物に行くし、おばあちゃんはひたすら私に甘いから大好きだ。
「お母さん。牛乳切れてるから今から買ってきてあげようか?」
その日の夜。お母さんとおばあちゃんがリビングで仲良くテレビを見ている中、私は冷蔵庫を漁っていた。ちなみにお父さんは、まだ仕事から帰ってきていない。
「牛乳? 明日スーパーに行くから、その時に買ってくるわよ」
「でも、明日の朝ごはんの時に牛乳がなかったら困るでしょ?」
「べつに使う予定はないし、あんたも牛乳飲まないじゃないの」
「じゃあ、おばあちゃん! 私、ヤクルト買ってきてあげる。ヤクルト好きだもんね!」
「千夏、お小遣いがほしいのかい?」
「ほし……いや、おばあちゃん違う違う! 私はただコンビニに行く口実がほしいだけで……あ」
つい口を滑らせてしまった。結局私は無理やり用事を作って出かけた。コンビニで牛乳とヤクルトと自分のぶんのチューインガムを買った。商品が入っているエコバッグを揺らして、次に向かったのは公園だ。
こぢんまりしている公園にはふたりがけのベンチが置いてあるけれど、私はいつものようにブランコに腰かけた。そして、スマホをタップして時間を確認する。……もう少しかな?
先ほど買ったチューインガムを膨らませながら、しきりに入口のほうを気にした。ベンチではなく、ここに座っているのは、こうして入口が見えるからだ。
冬樹は、必ず公園の前を通る。なぜなら、その道が冬樹のランニングコースになっているから。でも、毎回公園にいると怪しまれると思い、今日はちゃんとコンビニに寄った帰りという証拠を用意した。なのに冬樹は一向に姿を見せない。
……いつもだったら、とっくに公園の前を通る時間なのに、どうしたんだろう?
今日は走りにいかなかったんだろうか。それとも途中でなにかあったとか?
不安になってラインを開いたけれど、ランニングのことを聞けば、公園で待ち伏せていたのがバレてしまうと思った。
【今なにしてんのー?】
あえてランニングのことは聞かずに、普通の内容を送った。既読はすぐについたものの、返事はこない。あと五分ここで待ってみよう。いや、あと十分だけ……と、結果的に三十分はいたけれど、冬樹はやっぱり来なかった。
口実のためのエコバッグを持って、静かにブランコから腰を上げる。みんな〈思春期病〉のことをネガティブに捉えるけれど、私は羨ましいって思う。
だって、足跡が見えれば、冬樹のことを簡単に辿れる。そうすれば、誰もいない公園で虚しく待つこともないのに。
*****
翌日、私はいつものように朝練に向かった。走高跳びで使うマットは、かなりの大きさと重さがあり、簡単に運べないため、月曜日に用具室から出して金曜日に片付けるという流れになっている。
出しっぱなしのマットの近くでは、早速森川先輩が助走距離の足合わせをしていた。
「ねえ、千夏。武井くんに私のことを聞いてくれた~?」
一瞬なんのことだかわからなかったが、一拍置いてアッキーとの仲を取り持ってとお願いされていたことを思い出した。
「あー……ちょっと忙しくてまだ」
「もう、早めにお願いね」
森川先輩のことは部活の先輩として尊敬しているけれど、こういうところはちょっと面倒くさいなって思う。そんなに仲良くなりたいなら自分でアッキーに声をかけたらいいのに。
朝練が終わって自分のクラスに入ると、なぜか不穏な空気が流れていた。「あ、千夏がやっと来た!」と、友達に腕を掴まれて、そのままグイグイと引っ張られる。
窓際には、友達のひとりであるりっちゃんという女の子が泣いていて、彼女のことを囲むようにしてみんなが慰めていた。
「ど、どうしたの……?」
「うう、千夏~っ」
詳しく聞くと、どうやらりっちゃんが彼女持ちの人とは知らずに、三年生の先輩に声をかけてしまったらしい。そのことが彼女にバレてしまい、なんとその人から呼び出されているんだとか。
「りっちゃんは、その先輩にラインとか聞いちゃったの?」
「聞いてないよ! 普通にこんにちはって声をかけて、来月の夏祭りは行きますか?って質問しただけで……」
彼女からの呼び出しが相当怖いようで、りっちゃんの手が震えていた。連絡先を聞いたわけでもないのに、なんでそこまで怒るんだろうって思ったけれど、周りの反応は違った。
「それは、さすがにまずいよ」
「うん、うん。夏祭りに誘ったって思われてもおかしくないもん」
「うちが彼女だったら、挨拶されただけでも嫌かも」
「私も。なんか馴れ馴れしいって思うよね」
慰めたいのか、追い詰めたいのか、よくわからないけれど、りっちゃんのことを呼び出したという
美人だけど、高飛車な性格をしていて、よく後輩にも厳しくしたり、偉そうにしているのを見かけたりする。きっと、みんな円香先輩のことが怖いから、変にりっちゃんの味方をして巻き込まれたくないと思っているのかもしれない。
「ねえ、千夏って円香先輩と知り合いだよね?」
りっちゃんから、縋るような目で見られた。
たしかに円香先輩とは同小出身で、よく児童館で一緒になっていた。隣同士で宿題をしたり、遊んだこともあったけれど、それはもうずいぶん昔の話だ。
あの頃と今の円香先輩は、まったくと言っていいほど雰囲気が違うし、顔見知りではあるけれど、私にとっても近寄りがたい存在だ。
「私、本当に円香先輩のことが怖いの。だから、千夏も一緒に来て」
「え、でも、私だって今は全然関わりないよ」
「それでも一緒に来てほしい。ねえ、お願い!」
なぜか周りの人たちにも「千夏が付き添ってあげたほうがいいよ」なんて、無責任なことを言われてしまい、結局、私はりっちゃんの頼みを受け入れた。いや、断れる空気じゃなかったといったほうが正しい。
朝のHRが終わった後、円香先輩から呼び出されたという体育館裏に向かうと、すでに三年生の女子が数人待ち構えていた。
「ちょっとちょっと、後輩のくせに遅くない?」
「普通は呼び出されたほうが先に来るだろ」
円香先輩のことを取り巻いている女子たちが、早速、難癖をつけてきた。怯えているりっちゃんは、私の後ろに隠れている。そんな中で、円香先輩と目が合った。
「あれ、千夏じゃん」
「こ、こんにちは」
「えーなんか久しぶりだね。校舎で全然会わないけど、学校来てる?」
「来てますよ。私は、円香先輩のことをたまに見かけますよ」
「そうなの? だったら声かけてくれたらいいのに」
円香先輩は予想に反して、すごく気さくだった。私たちの親しげな様子を見て、取り巻きの人たちも睨むことをやめた。りっちゃんを助けるには今しかないと思い、私は事情を説明する。
「あの、りっちゃんのことを許してあげてくれませんか? りっちゃんは、円香先輩は彼氏だって知らずに声をかけちゃったみたいで……」
「この子、千夏の友達なの?」
「はい」
「うーん、そっか。じゃあ、今回だけはいいよ。ただし次やったら千夏が間に入っても許さないからね」
「ありがとうございます」
円香先輩たちが、引いていく姿を見てホッと胸を撫で下ろした。よかった。緊張した……。
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