「え、は……?」


 自分の目がおかしくなったと思い、瞼を強く擦ったが、どんなに確認してもやっぱり足跡が発光している。


 それは、まるで蛍光灯のような明るさで、今まで足跡が光るなんていう現象は見たことがない。どうして光っているのかわからないが、俺は吸い寄せられるように足跡を辿った。


 足跡の終わりは、スクラップ置き場の一番奥。誰の目にも触れないような場所で、ひとりの女の子が膝に顔を埋めて座っていた。


「あの……」


 声をかけると、その肩がビクッと震えた。顔を上げたのは、やっぱり秋人の妹だった。ひとりで泣いていたのか、目の周りが痛々しく腫れている。


「だ、誰ですか?」


「秋人の友達です」


「お兄ちゃんの?」


「秋人が心配してるよ。もうすぐ暗くなるし帰ったほうがいいと思う」


「…………」


「とりあえず、妹が見つかったって秋人に連絡――」


「や、ダメ!」


 スマホを取り出そうとしたら、慌てて止められた。ぎゅっとされた手は、すぐに振り払えるほど弱々しく、驚くほど柔らかかった。

 

「お願い。お兄ちゃんにはまだ連絡しないでください」


 潤んだ瞳でお願いされて、心臓の音が自然と速くなった。そんな顔で頼むなんてズルくないか?


 大抵の人なら、今ので落ちるだろうけれど、目の前にいるのは学校の後輩ではなく、秋人の妹だ。友達を裏切るわけにはいかないと、おかしな邪念を必死に打ち消した。


「でも、秋人には伝えるべきだと思うよ。今もきみのことを必死に捜してる」


「わかってます。でも、もう少しだけ待ってください……」


 秋人に会いたくない理由でも、あるんだろうか。もしくは、家に連れ戻されることを嫌がっている可能性もある。


 秋人に知られたくないなら、せめて千夏に迎えに来てもらうことも考えたが、それだと秋人を除け者にしているみたいで逆に角が立つ。


「……はあ、わかったよ。あともう少しだけね」


「すみません、ありがとうございます。えっと、名前を聞いてもいいですか?」


「中島冬樹」


「冬樹先輩」


「いやいや、先輩はいらない。あと敬語も使わなくていいよ」


「それなら、私も遥香で大丈夫」


「いや、さすがにそれは」


「妹って呼ばれるの、苦手だから」


 なんとなく勝手に大人しいイメージがあったが、話してみるとおどおどしている様子はなく、しっかり自分の気持ちを言える印象を持った。


「わかった。じゃあ、遥香って呼ぶ」


 女子の名前を呼び捨てにすることに抵抗はなかった。小さい頃から千夏のことを呼び捨てにしているからかもしれない。


「冬樹くんはどうして私の居場所がわかったの?」


「それは足あ――」


「あしあ?」


「た、ただの勘! 俺もこの場所を秘密基地にしてたことがあったから」


 彼女が〈思春期病〉のことを知っているかはわからないけれど、足跡を辿ったなんて言えば、普通に引かれるに決まってる。


「親と喧嘩でもしたの?」


 気づくと俺は、遥香の隣に腰を下ろしていた。


          *****


 俺たちの後ろには幾重にも縛られた鉄パイプの壁があり、近くにはコンテナが引っくり返っている。まさにガラクタの不法ヤード。その中で膝を抱えてる遥香がアンバランスすぎて、俺が連れてきたわけじゃないのに悪いことをしている気分になった。


「……喧嘩ってわけじゃなくて、いつも家族に迷惑ばかりかける私がいけないの」


「そんなふうには見えないけど……」


「私ね、途中までしか小学校に通ってないんだ。あ、不登校とかじゃなくて、ちょっと身体的な理由があってね」


「…………」


「私が普通じゃないせいで家族の負担になってることも多くて。だから、たまにこうしてひとりになれる場所を探したくなっちゃうんだ」


 どんなことを抱えているのかはわからないけれど、きっと今回もひとりで泣ける場所を求めてここにたどり着いたんだろう。


「なんで初対面の俺に教えてくれたの?」


「うーん。なんでかな。冬樹くんには話してもいいって思ったから」


「じゃあ、この街に来る前もこうやってひとりでいることがあったの?」


「うん。私ね、昔から〝かくれんぼの天才〟って言われてるんだ。だから隠れるのは得意なはずだったんだけど、冬樹くんには負けちゃった」


 しんみりした空気を変えるように、遥香は明るく言った。


 もしも俺が見つけなかったら、遥香はずっとひとりでここにいたんだろうか。転校初日から大勢の人に囲まれて、彼女と友達になりたい人なんて数えきれないほどいるはずなのに、誰かに頼れない理由があったりするのかもしれない。


「遥香は……思春期病って知ってる?」


「え?」


「最近テレビでもちょくちょく取り上げられてたりもするんだけど」


「ごめん。私、テレビとか全然見ないから」


「全然信じなくてもいいんだけど、思春期病にかかった人は、自分以外の足跡が見えるんだ」


 誰にも言わないと決めていたこと。だけど、遥香は俺に言いづらいことを話してくれた。


 彼女が抱えているものに寄り添うことはできなくても、自分だけが〝普通〟じゃないとは思わないでほしかった。


「俺は、足跡が見える思春期病にかかってる。だから遥香のことも見つけられたんだよ」


 気づけば俺も、遥香に本当のことを話していた。見た目ではわかりづらい〈思春期病〉は、伝わりにくい病とも言われている。


 驚かれるか、それとも引かれるか。どんな反応をされるのか緊張していたが、彼女は俺の想像を超えてきた。


「足跡が見えるなんてすごいね! え、じゃあ、どこに隠れても足跡でバレちゃうってことだよね? わーそれって無敵だよ! 冬樹くんこそ、かくれんぼの天才だったんだ!」


 遥香は疑うどころか、瞳を輝かせて興奮していた。打ち明けたのは自分なのに、返ってきた反応があまりに予想外だったから、俺のほうが驚いてしまった。


「足跡が見えるって、気持ち悪くない?」


「なんで? 超能力みたいでカッコいいよ!」


「で、でも足跡が見えるのってあんまりいいことじゃないみたいで、思春期の揺れっていうか、そういう不安定な心の問題が関わってるらしいんだ」


「そうなの? あ、ごめんね。私ってば、なんか無神経にはしゃいじゃって……」


「いやいや、そうやって明るく受け止めてくれたほうが助かるよ。思春期病って心が弱い人がなるものっていう偏見を持っている人も一定数いるみたいだし、俺もどっちかっていうと自分のことをそうやって思ってるから」


「じゃあ、足跡が見える力は、神様からのプレゼントだね」


「え?」


「だって足跡を辿れば、必ず誰かに会えるってことでしょ? それってひとりじゃないんだよって意味かもしれないし、冬樹くんが迷わずに進むためのプレゼントなんだと思う」


 ――足跡が見える力は、神様からのプレゼント。


 そんなの、考えもしなかった。


 足跡が見えるのは進む道がわからなくなった自分への戒め。


 ずっとそう思っていたのに、遥香は簡単に真逆のことを言ってみせた。


「ふ、ははっ!」


「え、どうして笑うの?」


「いや、足跡が見えてよかったって、初めて思ったから」


 寂れたスクラップ置き場に夕焼けが差している。

ガラクタだらけのはずなのに、まるで宝物置き場に変わったように見えるのはなぜなんだろうか。なにもかもが、今は輝いて見える。

 

「俺が自転車を押すから、そろそろゆっくり歩いて帰ろう」


「うん」


 エスコートするように立ち上がらせた遥香の手は、やっぱり柔らかかった。


 地面に、また小さな足跡が付く。彼女の足跡だったら、いくらでも見えていいし、いつまでも消えないでほしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る