次の日、学校は朝から転校生の話で持ちきりだった。どうやらものすごく可愛いらしく、ひとりが見に行ってみようと言い出すと、男女問わず一斉に教室を飛び出していった。


 転校生なんて見にいって、なにが面白いんだ?


 わざわざ行かなくてもいずれ校舎で見かけることもあるだろうに、こぞって確認しにいく心理がいまいち理解できなかった。 すると、おもむろに秋人が立ち上がる。


「え、まさか秋人も行く気かよ」


「ちょっと、様子を見に行くだけ」


 なんの様子だよ、と突っ込む暇もなく、秋人は本当に一年生に向かっていった。他のやつらがお祭り気分で見にいくのはわかるけど、あの秋人が? ……マジか。


 わりとミーハーな部分があったりすんのかなって思っていたら、三組の前を千夏が通りかかった。


「冬樹、おはー」


 千夏は朝練終わりのようで、まだジャージ姿だった。


「てか、三組誰もいないじゃん。なんで?」


「なんか例の転校生を見にいった」


「ああ、そっか。転校生だ!」


「自分で昨日言ったんだろ。お前ってその場の気分で喋るところあるよな。だからすぐに忘れるんだよ」


「てへ。転校生のことなら私も見たい!」


「いってらっしゃい」


「冬樹も一緒に行こうよ! はい、強制連行~」


「は、なんで、お、おいっ」


 俺は本当に連行に近い形で、無理やり手を引っ張られた。


          *****


 一年三組に着くと、教室の前には大勢の生徒が教室を覗き込むようにして集まっている。なんだか既視感がある光景。ああ、アレだ、アレ。少し前に懐かし映像っていう動画を見た時に流れていた上野公園のパンダの人だかりだ。


 千夏は人の間を縫って進むのが上手いから、あっという間に先頭にたどり着いた。もちろん手を引かれたままの俺もだ。そこには秋人の姿もあった。


 転校生は、すぐに見つかった。その子は教室の外だけではなく、机の周りも囲まれていたからだ。


遥香はるかちゃんは、どこに住んでたの?」

「スマホ持ってたらライン交換しようよ」

「わからないことがあれば、なんでも聞いてね!」


 興味と親切が混ざり合った会話が飛び交っているが、肝心な容姿は人の壁によって隠れていた。


「あーん、もう、マジで見えない  名前、遥香ちゃんでいいのかな。おーい、遥香ちゃーん!」


「バカ、やめろって」


 俺は、千夏のことを止めた。呼びかけに気づいたのか、転校生が立ち上がって廊下のほうに顔を向ける。

  ……ざわ……っ。


 見物に来ていた生徒のどよめきを肌で感じた。


 透き通るような白い肌と、艶やかな髪の毛。たまご型の顔の中に大きな瞳と、形がいい鼻。そして、ぷっくりとした薄紅色の唇がそれぞれバランスよく配置されていた。


 みんなが、騒ぎたてるのも頷ける。俺もこんなに可愛い人は見たことがない。


 彼女はなにかを見つけたように、満面の笑顔になった。その愛らしさに、周りがまた沸く。そのままこっちに歩いてくる様子が、まるで俺にはスローモーションのように見えていた。

 

 ストレートの長い髪が揺れている。次第に高鳴っていく胸の鼓動。なんだこれ、なんだこれ……?


 目が離せない。いや、俺は完全に心も瞳も奪われかけていた。


「――お兄ちゃん!」


 彼女は弾んだ声を出す。視線を追ってみると、それは俺の隣。そこには秋人がいた。


「え、お兄ちゃん……!?」


 気づくと俺は、誰よりもでかい声を出していた。


 秋人と友達になってから、数回程度、家に遊びに行ったことがある。一軒家で秋人の部屋は二階。他にもいくつか空き部屋があるほど広い家で、俺は秋人の親にも会ったことがあった。


 「うちの秋人がお世話になってます」なんてこんな俺にも丁寧に挨拶をしてくれるくらい品があるお母さんとお父さんだった。他に家族がいるような気配はなかったので、勝手に秋人んちは三人家族だと思っていた。

 

 ……妹がいるなんて、初耳ですけど。


          *****


「ちょっと、アッキー。どういうことなの?」


 それから授業が始まって休み時間。千夏が、乗り込むようにして、うちのクラスまでやってきた。


「そのあだ名はやめてくれないかな」


「じゃあ、武ぴょん」


「どっちも嫌なんだけど……」


 去年、千夏も同じクラスだったから秋人とは友人関係だ。いや、千夏が一方的に秋人のことを友達と思っていると言ったほうがいいかもしれない。


「アッキーにあんなに可愛い妹がいるなんて、私たち聞いてないんだけど。ね、冬樹?」


「え、ま、まあ……」


「聞かれなかったから言わなかっただけで、別に隠してたわけじゃない」


 秋人は自分のことをペラペラと話すタイプじゃない。かくいう俺も自分のことを聞かれるのが苦手だから相手にも聞かないが、今は千夏が来てくれてよかったと思っている。


「遥香とは事情があって別々で暮らしてたんだけど、この春から一緒にいられるようになったんだ」


 ……事情とは?

 俺と同じように千夏も思っただろうけれど、さすがに不躾に尋ねたりはしなかった。


「それなら、今度遥香ちゃんのことを紹介してよ。アッキーの妹なら友達になりたいし」


「友達になるかどうかは相手の気持ちにもよるだろ」


「えー私が友達じゃダメ?」


「少なくともうるせえ先輩だなって思われると思うよ」


「じゃあ、なるべく静かにする! だってアッキーの妹なんだから一緒に給食とか食べたりして、仲良くしたいもん」


「学年が違うのにどうやって給食を一緒に食うんだよ、アホか」


 学校ではわりと物静かで通っているのに、千夏の前だと身内すぎて素が出てしまう。


「ふっ、あはは!」


 すると、俺たちのやり取りを聞いていた秋人が堪えられなくなったみたいに笑い出した。秋人もクールなやつだから、こんなふうに笑っている顔を見たのは初めてだ。


「悪い、悪い。夫婦めおと漫才みたいだなって思って」


 漫才は置いておくにしても、俺たちはそういう関係に見られることが多々ある。十四年間姉弟みたいに過ごしてきたのだから距離が近いのは当たり前なのに、学校ではそれが通じない。


 付き合っていると勘違いされるだけならまだしも『豊永とどこまでいってんの?』なんて、下世話な質問をしてくるやつもいたりする。


 俺は正直うんざりしていたが『いくところまで♡』と、千夏が答えているのを見て、なるほどなと感心したことがあった。


 千夏は昔から、そうやってうまく対応する方法を知っている。見習いたいと思う一方で、絶対に俺には真似できないことだとも思う。


「今度改めて遥香のことを紹介するよ。豊永と冬樹なら俺も遥香の友達になってほしいし」


「本当に? さすがお兄ちゃん!」


 秋人に妹がいたことを知ると、ますます大人っぽく見えてくる。だから俺に対しての面倒見がいいんだなと、妙に納得もしていた。


「あ、ウワサをすれば遥香ちゃん発見!」


 千夏が窓の外に目をやると、中庭に秋人の妹がいた。校舎の案内をしてもらってるようで、クラスメイトであろう女子たちと一緒にいる。


 二階から下を見ると、地面には生徒たちの足跡が無数に付いている。当然、秋人の妹の後ろにも歩いてきた足跡が残っていた。


 ……ちいせー足。二十二センチくらいか。


 日常的に足跡ばかりを見すぎていて、形だけで大体のサイズもわかるようになってしまった。


「うわ、きみが転校生の遥香ちゃん? 噂どおりの美少女じゃん!」


 その時、複数の男子が近寄ってきた。肩を切って歩いてきた生徒は三年生で、可愛い子を見つけるたびに声をかけているという噂もある人たちだ。


「俺らと連絡先交換してよ」


「す、すみません。むやみに連絡先は教えちゃいけないって言われてるんです……」


「えー誰に? 親? そんなの無視無視。俺たち遊べる場所とかいっぱい知ってるから教えてあげるよ」


「えっと……」


 秋人の妹は、三年生の押しの強さに負けていた。それを見ていた千夏が「なにあれ。ちょっと、しつこすぎない?」と、窓から身を乗り出す勢いで文句を言っている。


「私、助けにいって――」


「いや、俺がいく」


 千夏よりも先に動いたのは、秋人だった。ここから中庭までは五分くらいかかるが、秋人はわずか三分足らずで出てきた。昇降口からではなく通用口を使ったのか、靴ではなく上履きのままだった。


「妹はこういうのに慣れてないので、やめてください」


 秋人が間に入ったことで面倒だと思ったのか、三年生はすぐにどこかに行ってしまった。


「遥香、大丈夫か?」


「うん、ありがとう。お兄ちゃん」


 妹の頭を優しく撫でる秋人の様子を、俺たちは上から見ていた。


「アッキーって堅苦しいイメージがあったけど、妹思いのめっちゃいいお兄ちゃんじゃん!」


 俺の横で、千夏が感心していた。たしかに今日は秋人の新しい一面を見た気がする。秋人は妹のことを友達に任せて、校舎の中へと入った。


 さっきまで不安そうにしていた妹は、すっかり笑顔に戻っている。うちの学校にも顔がいい生徒はいるけれど、彼女は別次元というか、纏っている空気までもが透き通って見えるほどだ。

 

 その時、ふと、彼女の視線が俺たちのほうに向いた。目が合いそうになって、思わず窓から離れてしまった。そんな俺を見て千夏は不思議そうにしながらも、彼女に手を振っていた。


 なんで俺は、隠れたんだ?


 そのうちに秋人が教室に戻ってくる。もし俺だったら、ここから中庭まで何分かかるだろうか。秋人よりも早く、彼女のことを助けられたかもしれない、なんて、やりもしないことを思った。


 また横目で中庭を見たけれど、彼女の姿はなく、残されていたのは、二十二センチの小さな足跡だけだった。

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