6-2 奢ってやる

 なんて口の軽いオバさんなんだ。あの人は信頼できるし事務方のボス的な人だけど、噂話に目がなくてイケナイ。横漏れ厳禁だと言い添えて置いたのに。


「彼女なんて居ないです。シングルのチケット欲しかったのに、ペアとファミリーしか取り扱っていないと言われたからですよ。それ以上じゃないです」


 うん、嘘は言っていない。間違いなく買った時には自分一人分だけ欲しかったのだ。


「本当か?言いふらしはしないから正直に言え。もっとも山形さんは色々と妄想膨らまして居るみたいだが」


「ホントですか!」


「拡散がイヤなら口止めはしといた方がいいな。効果があるかどうか分らんが」


「最初にしましたよ」


「ああぁ、じゃあ諦めた方がいいな。それに何かやましい事やっている訳でもないだろう。『それがどうした』程度に泰然としておけ。そもそも、お前に彼女が居て何が悪い」


「何も悪くはないですけど」


「むしろ俺はほっとしたよ。うちの会社みたくドンガラな仕事やってると、婚期逃すヤツって結構多いからな。チャンスは目の前に在るときにしか掴む事が出来ないんだ。逃して後悔なんかするなよ」


「気が急きすぎですよ。そんなんじゃないです」


「なに呑気なこと言ってんだ。そもそも女ってヤツはなぁ」


 鼻息荒く意気込む那須山さんは既に二杯目のジョッキも干して居て、もう赤ら顔に為っていた。そして口調も大仰になり、徐々に声のヴォリュームも大きく為りつつあった。

 どうも妙なスイッチを入れてしまったらしい。


 それから延々二時間近く、かなり偏った価値観の女談義で杯を重ねることに為ってしまった。まったく勘弁してくれと言うほかなかった。




 会計を済ませて那須山さんと別れると、酔い覚ましも兼ねてトボトボと徒歩で帰路に着いた。思ったよりも飲んでしまった。彼の御仁の熱い講釈を適当に相づち打つのにも疲れ、気付けば普段の倍は杯を空けてしまっている。


 気心の知れた連中と飲むのは楽しいが、アルコールは決して強い方じゃない。そして変に気遣う会社の先輩や上司と飲むのはハッキリ言って骨が折れた。あの人は決して悪い人ではないのだが、気の使い方が自分基準なものだから相手をするのが疲れるのだ。


 或いは、未だ僕が皆に上手く合せられていないだけなのかも知れないけれど。


 そしてこうやって広い田んぼの真ん中に一本伸びる広域農道を歩いていると、初めてキリエさんに出会った時の事を思い出す。と言うか、今このシチュエーションなんて正にあの夜の再現である。那須山さんに誘われて酒を飲み、酔い覚ましがてら同じ道を帰っているのだ。


 あの時と違うのはもう迷っても右往左往などせず、ドンと構える心構え位のものではなかろうか。キリエさんにもそんな事言われたし。


 度胸が付いたとかそんな大層なものじゃない。為るように為れと開き直っているダケだ。一晩中あの古い町並みを彷徨うのは御免被りたいが、まぁ何とか為るだろうという仄かで根拠の無い、期待めいたものが在った。


 そう言えば、あのブリキ細工のロボットから買った地図はいま持っていなかった。なのでまた迷ったら少し困ったコトに為るかな、と思った。


 そして其処で初めて僕は、リサイタル当日、キリエさんと待ち合わせの場所を決めていなかったコトに気付いたのである。




 会いたいと思う時には、全然全く出会えない。よく聞く話だ。


 個人的な用事は勿論、仕事をやっている時でもそう感じるのはよく在って、そういう時に限って会いたくもない相手と顔を合せるというのもまた、よく聞く話だった。


 休日に為って、どうすればキリエさんと連絡が取れるのだろうかと、町中を当て所なく彷徨っている時のこと。思わぬ二人組に出会した。蔵本さんと村瀬だった。

 なんでこの二人が連れ立っているのだろうと思うのと同時に、それぞれがそれぞれに積極的に関わり合いには為りたくない人物でもあった。


 何でダブルなんだよ。


 仕事ならば何も問題はない。自分達の職分に従って、互いに相応の対応をすれば済む話だ。だが休日まで、この二人とつまらないやり取りなんかしたくは無かった。


 僕が噛み合わない相手と思って居るように、この二人も同じように感じているようで、会った刹那「嗚呼やれやれ」といったニュアンスの表情が垣間見れた。

 きっと僕も同じような表情を浮かべたんだと思う。互いに相手の腹の底が一瞬透けた、と感じる妙な連帯感があった。


 こんな分かり合い方、全然まったく嬉しくない。けれどやはりむこうもまた同じように感じているんだろうという、直感めいた確信はあって、ソレが更にげんなり感を割り増しにするのだ。

 とは言え、全てを明け透けにするほど僕らも子供じゃない。うわべを取り繕う程度のスキルなら身に付けている。社会人の嗜みというヤツだ。


 当人の本意不本意はさておいて。


「どうしたんです。珍しいですね、二人揃ってだなんて」


「別に珍しくは無いっすよ。蔵本さんとは休みによく出掛けてます。今日は部屋探しに付き合ってもらってるんすよ」


 それは意外というか何と言うか。しかしよく考えてみれば似たもの同士だなと、些か失敬な納得も出来た。


「光島はどうした、手持ち無沙汰だな。噂の彼女とデートとかじゃないのか?それとも振られたか」


 したり顔で笑う蔵本さんにやっぱりヤレヤレだと思う。だから疲れるんだよ、この人と話すと。

 あれから山形さんへ追加の口止めをしたけれど、やはり既に手遅れだったなと溜息とついた。この分ではもう工場中の人間が知っているに違いない。


「ご想像にお任せします。じゃあ僕は用事が在りますのでこれで」


 軽く会釈をして通り過ぎようとした。この二人だって馬の合わない相手とは、とっとと別れたいに違いない。髪の毛一筋分の疑念もなくそう思い込んで居たものだから、「ちょっと待てよ」と呼び止められたのは少し驚いた。

 それどころか、


「少し小腹が空いていないか?奢ってやるからお茶にでもしようぜ」


 そんな具合に誘われたものだから二度びっくりする羽目になった。

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