4-6 デ、デート?
キリエさんに案内されて訪れたのは、随分と年期の入った屋台だった。
「屋台ラーメン」と赤地に黒い文字が書かれたのぼりが微かな風にはためいていて、ごま油の香しい匂いが周囲に漂っていた。腹の虫がまたぐうと鳴る。つくづく夜の屋台というのは反則だよな、と思った。
屋台に立つのもまたヒト為らざる某なのかなと身構えていたが、何のコトはない。「いらっしゃい」と営業スマイルで出迎えたのは普通の中年のおじさんだった。ほっとしたような肩すかしを食ったような。
それと同時にはっとして、キリエさんの姿に驚いたり騒いだりするのではと身構えたのだが、「久しぶりだね」と彼女に満面の笑みを返している。成る程、此処は彼女行きつけの屋台らしい。何事も無くてホッとしたものの、「何故」と思いもした。
どういう経緯で顔見知りなのか、なぜ平然と出来るのか。余程に訊いて見たかったが流石に初対面の相手には不躾だ。ましてやキリエさんが横に居るのにソレを口にするのは憚られる。
なので、ぐっと我慢した。
「別に我慢せずとも宜しいですよ」
囁き声で彼女からそんな耳打ちされたのだが、敢えて聞こえなかったふりをした。
屋台の前に並べられた丸椅子に座りながら、何が美味しいですかと訊いたら、うちのメニューで不味いものはないと言い切られてしまった。なので穏当に味噌スープのもやしラーメンを頼んだ。定番と言えばこれだろう。
「違います、定番ならチャーシューの醤油スープでしょう」
珍しくキリエさんが力説する。
「あ、その、僕の定番ですのでお気になさらず」
「いえ、啓介さんは知らなければなりません。屋台の定番を、夜鳴きそばならぬ夜鳴きラーメンの真髄というものを」
大将、と彼女が屋台の親父さんに声を掛けたら、コクリと頷き返してラッパを口にした。
ちゃらりーらり、ちゃらりらりらー
愛嬌がありながらも、何処か哀愁漂う耳に馴染んだこのメロディ。しかしコレはチャルメラであってラーメンとは微妙に違うんじゃないかな。基本、中華そばのことなんだろうし。
「それは違います、啓介さん。チャルメラというのはこのラッパ状の楽器のことであって、音色や屋台で扱う特定の食品を指している訳ではないのです」
「そうだったんですか。っていうか、相変わらず僕の考えてるコトは丸わかりなんですね」
「分かり易いものですから。
それは兎も角、チャルメラの音階の最初のチャーはチャーシューのチャーなのです。本当かどうか?それは問題ではありません。わたしの魂にそう語りかけてくるのです。だからそうなのです。なのでこの音階を耳にしたらチャーシュー麺を食べたくなるのが世の常、人の常というものなのです」
そう言い切るとキリエさんは親父さんからラッパ、いやチャルメラか。それを受け取って高らかにソレを鳴らした。夜気の中に先刻の音階が響いて溶けていった。そして「どうですか」と僕に問うのだ。
「正にチャーシューという感じがしませんか」
「あ、まぁ、そうかもしれませんね」
僕とキリエさんの掛け合いを尻目に、親父さんはさっさと調理に取りかかっていた。口元は笑んでいたが我関せずといった感じだ。
もしかすると気軽にチャルメラを手渡したのも、キリエさんに絡まれないようにする為の投げ餌だったのかも知れない。
お陰で僕は一人で彼女の相手をする羽目になっている。
「吹いてみるとよく分ります。さあ、啓介さんもどうぞ」
渋々受け取って手にしてみるとそれは普通に管楽器だった。しかも吹き口はオーボエと同じダブルリードだった。何というか、思わぬ出会いに驚いた。
でもこのまま吹いたら間接キスになるけれど、キリエさんは気にしないのかな。
更にその前、親父さんが吹いていたということは考えないことにする。
独特のリードに戸惑ったけれど、一小節分の音階ならば苦労はない。吹けば夜空に音色が染みていった。久しぶりに吹く楽器だった。そして何かつっかえていたモノが、ちょっとだけ解れていく感じがあった。
「お兄さん上手いねぇ。普通、一発じゃそんな綺麗に鳴らせないよ」
親父さんが食いついてきて「何かやっているのかい」と言われた。「オーボエを吹いています」と返事をしたが、「悪い、その楽器は知らないなぁ」と苦笑された。
確かに一般的な楽器とは云えず、知っている人間は音楽に携わった者くらいじゃなかろうか。
とあるクラッシック音楽のマンガで一部のファンに知られるようになったけれど、それは例外中の例外だ。逆にキリエさんは興味津々といった感じで、「どんな楽器なのですか」と訊いてくるものだから「クラリネットの親戚」と答えた。
「でも厳密に言えばチャルメラの方が近いのかも知れない」
同じダブルリードの楽器だし、クラリネットの方はシングルリードだ。
「なんという奇縁でしょう。啓介さんはチャルメラに導かれし者だったのですね」
い、いやぁそれはどうかな。
小首を傾げていたら「へい、お待ち」とチャーシュー麺が突き出されてキリエさんが受け取り、少しの間を置いて僕ももやしラーメンを受け取った。
「この馥郁たる香りとスープに浮かぶチャーシューの色合い。正に至高です。チャルメラの音色に乾杯といった心持ちです」
「感じ入るのも良いですが、冷めないうちに食べましょうよ」
やたらテンション高めだけれど、食べている間くらいは大人しいのではなかろうか。だがその考えは甘かった。麺をすすりながらでも彼女のご高説は止まらない。
スープの香りから麺の味と風味に始まり、滔々と定番の何たるかを語り始めたその口調は随分と熱かった。麺を咀嚼しレンゲでスープ口にしながらキリエさんの講釈は続き、ついでに餃子二人前も平らげてからようやく結論へと至り、会計と相成った。
「お分かり頂けたでしょうか」
彼女は満足げな顔だった。相変わらず口元しか分らなかったが、醸し出す雰囲気は言うべきことは全て言い切った、という達成感を感じとれた。
「キリエさんのラーメンを思う気持ちはよく分りました」
僕は財布をジーンズの尻ポケットに押し込みながら、納得した風の返事をした。
そろそろ自分の部屋に戻った方が良い。このままなし崩しに付き合っていると、本当に夜が明けてしまいそうだ。
チラリとスマホで確かめてみれば、それもあながち誇張じゃないと知った。あと一、二時間で東の空は白み始める頃合いだろう。
「お話出来て楽しかったです。次はどのお店でデートしますか。ご希望があれば出来る限り応えたいと思います」
「え、デ、デート?」
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