4-5 失敗をやり直せるのなら
「確かにあれは啓介さんですね」
すぐ隣から、一緒にフェンス越しに荷役場を覗き込んでいたキリエさんの呟く声が聞えた。
「ぼ、僕のにせもの?」
「どちらも本物ですよ」
二の句を返すことが出来なかった。スマホで動画を撮られたときに、自分の姿は他人からこんな風に見えるのかと妙な感慨を持ったことがある。その時と全く同じ気分だったからだ。
駐輪場は何処ですか、と促されて行ってみたら、何故か僕の自転車がソコにあった。唐突な雨のお陰で結局使わず終いの雨合羽も、自転車のカゴに突っ込まれたままだった。傘をさす余裕すらなかったのだ。合羽に着替える暇なんてある筈もない。
間違いなくコレはあの日あの朝の状態のままだった。
「ほう、あったかね。なら何よりだな」
魚巡査は成る程といった風情で納得していたが、僕は全然納得がいかなかった。「紛失物は見つかったのだよね」と言われて頷き返事もしたが、やっぱり釈然としなかった。
「コレってどーゆーこと?」
「眠っている間に時間が少し巻き戻ったダケでしょう。よくある事です」
キリエさん、あなたは何をおっしゃっているのですか。こんな奇天烈な事がよくある事で片付けられてたまりませんよ。
「お巡りさん。どうやら啓介さんは時間迷子だったダケのようです」
「そうか。まぁ盗難でなくて良かった。ではわたしは用済みだね」
「はい。ご足労おかけしました」
キリエさんはペコリとお辞儀をし、そして魚巡査は何故か「一件落着」みたいな顔していた。いやいや、ダケって何よ。そもそも時間迷子ってどーゆー意味ですか。
姿形が素っ頓狂なら道理と常識もまた同様だ。どう考えてもオカシイ、ヘンだ、普通じゃない。
いや魚の巡査が居るというこの時点で真っ当とは言えないけれど、それでも当事者本人を置いてきぼりにして、二人勝手に納得するのは止めて欲しい。
ちょっと待ってくださいくわしい説明を、と言いかけた刹那、魚巡査は「気を付けて帰りたまえ」と言い残すと、ぴょん、と跳んで空中に浮いた。そしてそのまますいすいと暗い夜空を飛んで泳いですぐに見えなくなってしまった。
何という達者な泳ぎっぷり。普通の魚の泳ぎ方ではなくて平泳ぎだったのも唖然とした。たといクロールでも同様だったろう。
ハッキリ言って開いた口が塞がらなかった。
「・・・・なんで空中を泳いで行けるんですか」
「お魚は泳ぐのが得意ですからね。夜は地面も空も水面も、全てが同じような色合いに染まっていて境界があやふやです。なので、その辺りを旨く誤魔化せば然程難しいことではありません」
そんな不合理な説明は断固受け容れられない。「異議あり」である。その談でいけば夜なら僕ら人間も、水面や空中を歩けるという理屈になるじゃあないか。でもそんな現象は見たこともなければ聞いた事もない。
いやそれより何より問題なのは、今日の僕の目の前に昨日の僕が居るというこの現実だ。と言うより、いまの僕が昨晩に戻ったと言う方が正しいのか。
だとしてもだいたい何だよ時間が巻き戻るって。そもそもそこから理屈に合わないでしょう。
そんな疑問をぶつけたのだが、「些細なことですよ」などとコロコロと楽しげに笑われてしまった。
そして世の中は常識よりも非常識の方が圧倒的多数を占めています、多数決の原理です、非常識だと思っている事の方が実はより一般的な現実ですよ、などと反論された。
屁理屈だと思った。
「体験したことは、在るがままに受け容れた方がストレスないです。こう考えては如何ですか。眠っていた時間を遡って眠る直前に戻ってきたのです。
素直に『睡眠時間が儲かった、ラッキー』と、その程度に考えておいた方がお得だと思いませんか」
しかしそれは目の前の現実に馴染めるかどうかの話であって、何故どうしてという疑問にはまったく答えていないのではありませんか。
「生憎僕はそんなに非現実への順応力高くないんです。きちんと筋が通ってないと安心できないんです」
「では啓介さんの日常は全てにおいて筋が通り、納得づくの日々なのですか?」
そんな具合に問い返されて思わず言葉に詰まった。
「むしろ納得出来るコトも出来ないコトも、全部呑み込んで毎日を送っていませんか」
確かに彼女の言うとおり、世の中は筋の通ることばかりじゃない。この会社に就職する以前は勿論、たかだかここ一週間の出来事ですら、いろいろな不条理で塗り固められた毎日だった。
だからズルイと思った。詭弁だとも思った。
でも言い返すことが出来なかった。
「意地悪な物言いになってしまいましたね。別に困らせるつもりで言ったのではありません。ただ埒外のことが起きたとしても、全てを理解する必要は無いのではありませんかと、そう言いたかったのです。
実害が無いのでしたら『ソレはソレ。コレはコレ』と軽く流しておくのが吉かと」
言っている事は理解出来るけれど、はいそうですかと受け止められる訳じゃあない。肚の座わらぬ小心者なのである。何か思わぬ出来事に出会す度に、慌てふためき混乱し、自分の不甲斐なさを思い知って溜息をつくのが関の山なのである。
「そこまで達観出来るほど僕は強くないんです」
「そうでしょうか」
「そうですよ」
「気の持ち方ひとつなのでは?
確かに世の中ままなりません。思い通りにならない事の方が圧倒的です。理解出来ないことも沢山あるでしょう。納得出来ないことはもっとかも。
でしたら、面白くない事や受けた不条理の分だけ楽しい事を増やして行けば良いのです」
「そんな簡単なモノじゃあないと思います」
「わりと簡単なモノかもしれませんよ」
「・・・・」
そしてふと思い出したのは以前このヒトが言っていた言葉だった。「求めよ、されば与えられん」だったろうか?いやそれとも望んだから門が開くんだったかな。
どちらにしても何処かで聞いた風な台詞だ。もしもソレが本当ならばここ最近の納得できない非日常は、僕が求めたその結果という話になる。でもこんなけったいな日常なんて望んではいない。
そう、望んでいないのだ。だから与えられる筈はないのだ。だというのにコレはいったいどういうコトなのだろう。
そもそも誰が何の為にそんなコトをやらかすというのか。何のメリットもないじゃないか。意味が無いだろう。こんな理屈に合わない不条理現象は願い下げ。異議申し立てクーリングオフを要求する。
「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ。クーリングオフなんて無用です。基本、害にはなりません」
「あの、何度も言いますけれど、僕の頭の中を勝手に読むのは止めてください」
「分かり易いものですから。それよりもお腹が空いていませんか。深夜に食べるラーメンというのも悪くはないですよ」
「何だかこのところキリエさんと会う度に何か食べてますよね」
「ラーメンはお嫌いですか」
「・・・・いえ、いただきます」
実は先程から密かに腹の虫が鳴いていた。仕方がないじゃないか。何しろ半日前におにぎりを二個食べたきりなのである。これもまた、僕が求めたからこそ与えられたものなのだろうか。
そしてふと思うのだ。時間が巻き戻って失敗をやり直せるのなら、僕は何を望むのだろう。ここ最近の失敗だろうか。この会社に入った事だろうか。
それとも、高校生だったあの頃の事だろうか。
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