3-8 「普通のレストラン」
携帯どころかスマホが普及してからも結構な月日が流れている。
彼女は電子演算器と言っていたけれど、それは間違いなくコンピュータの事だろうし、それが普及して職を追われたと言うのなら、それは相当昔の話なんじゃなかろうか。
僕が生まれた時にはもう携帯やネットは当たり前の時代だったのだし。真空管なんて親父が子供の頃に見たという話を聞いたくらいだ。実物なんて見たのも今日が初めてだった。
ロボットの引退とスマホとの確執は、途中の世代が一つか二つ分跳んでいるような印象があった。あからさまに時代錯誤で現代に現われた浦島太郎というか何というか。
「あのキリエさん。ちょっとお訊きしたいんですけど、あのロボットが今の店を始めたのはつい最近なのではありませんか」
「よくお分かりですね。
二年ほど前、知人が蔵の整理をしていたとき、もの凄く奥の方から見つけたのが彼の本体で、掃除と配線の修理と真空管のリペアをして復活を果たしました。
そうしたらもう張り切ってしまって」
ああ成る程。それで時代に取り残されたまま、トンチンカンな物を造り上げてしまった、と。それは商売にはならないだろうな。
しかし、遠くからスマホの電源だけ吸い取るなんて驚きの技術を持っているのなら、もっと建設的なものに使えばいいものを。
良いものを持っているくせに、使いどころを間違えている連中は何処にでも居るというコトらしい。
ひねくれて意固地になっても、自分も周囲もお互い不幸になるだけだ。
「テレビ見るだけでも全然違うって判っただろうに」
「熱心に見入ってましたよ。今もそうです。市場の傾向を知るためだとか何とか。
でも何故か彼のテレビは電波が四、五〇年遅れて到着しているようで、映る番組もことごとく当時の番組ばかりです。
もしかすると電波が片道二〇年くらいかかる宇宙とかに受信器があって、ソコで地球の電波を拾い、そこから更に彼のテレビへ発信されているのかもしれません。
そうすると往復四〇年の時間差があるので、放映されている内容が古い説明がつきます」
「ご家庭のテレビ電波受信器が、電波の到着に二〇年かかる宇宙に浮いてるの?」
「あくまでわたしの予想ですけれども」
テレビの電波ってそこまで遠くに届いただろうか。いやその前に宇宙に浮かんでいる送受信機っていったい何よ?
「それなら商売始める前に、誰かに相談すれば良かったのに」
「電気釜や洗濯機には話し掛けていましたね」
「・・・・」
返事が出来ない相手に相談しても、何の意味もないと思う。
例えば友人や顔見知り、近所に住む主婦やJKだっていい。自分の住む周囲や現状を知るだけでも得るものはあった筈だ。例えばスマホとか。あるいはスマホとか。ひょっとするとスマホとか。ともかく色々だ。
「話し相手って大切だなぁ」
「そうですね」
そのままふと会話が途切れてしまった。
太陽は真上にあるがそれほど暑くはない。適度に風が吹いていたからだ。彼女の腕に抱かれた猫が大欠伸をし、そのまま目を瞑って眠ってしまった。もうピクリともしない。規則正しく背中が上下しているだけだ。
「この子はあなたの猫ですか」と訊いた。
「知人の猫です。さも虎家塔のニケというのです」
え、何だって?
「さも虎という家があって、そこには塔が建っています。そこに住んでいる猫です。よく町のあちこちを巡回しています。今日はあなたを見かけたので、散歩ついでにここまで案内してくれたのでしょう」
お陰で大層助かりました。
「わたしとも仲良くしてくれるので、その友人にも親切のお裾分けといったところではないでしょうか」
そう言って彼女は軽く振り返るとにっこりと笑んだ。
僕にキリエさんの匂いを嗅ぎつけたということなのだろうか。でも毎日風呂には入っているし、あれから日数も経っている。移り香が残って居たとはちょっと考えづらかった。
ともあれ、煮干しとかでお礼を考えておいた方が良いかも知れない。
あ、いや、順番からいえばキリエさんからだな。
そんな思惑に耽っていると「着きました」と言われた。こぢんまりとした店構えで頑丈そうな木製のドアが僕達を出迎えていた。ドアに掲げられた緑色の木板には、白文字で営業中と書かれている。
足元の木製三脚に立て掛けられた看板を見たら、「普通のレストラン」とあった。
「・・・・」
この町の何処かには、
ふとそんな思いが掠めたのは一瞬で、そのままキリエさんの手でドアは開かれてチリンチリンと来客鈴が鳴った。彼女に続いて店内に入った。
また猫の店員が出てきたらどうしよう、と密かな不安があった。
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