3-7 なるほどと思いはしたものの

 路地はとても静かだった。

 何処か冴えた感じのするお昼の日差しは季節のわりに強烈で、じりじりと黒いアスファルトの路面を焦がしていた。スマホが使えないので時間が今ひとつ分らない。

 でも太陽は結構な高さなので正午くらいなのかも知れなかった。


 猫はてくてくと律儀に道を歩いている。側溝のぎりぎり際の部分を歩くのは、猫特有の習性なのか。それとも何か崇高な理由があるのか。


 人間の僕には分らないし特に分りたいとも思わないけれど、屋根や塀の上にぴょんと飛び乗って、思わぬ方向に進むような真似をしないのは助かると思った。しかも時折ちゃんとついて来ているのかどうか、確かめるように振り返るのがご丁寧というか何というか。


「しかし僕も酔狂だよな」


 いい年した成年男子が猫に案内されて道を行く。この姿というのは端から見たらどんな風に映るのだろう。何だかなぁと思わなくもないが、辺りには誰も人通りがないのだから気にしないことにした。


 迷子慣れたなどという言葉は使いたくはないけれど、それでもこれだけ立て続けに迷い続け、珍妙な体験を重ねればそれなりに順応してしまったりもする。歓迎して良いコトじゃないのかも知れない。

 でも焦った所で状況は好転しないのだから、性が無いじゃないかと思うのだ。


 それにしても町の中に人の気配がまるで無かった。


 そもそも昼間の町には、「うわん」と耳の奥に籠もる感じのぼんやりとした音じゃない音が在るものだ。それはきっと遠くを走る幾つものクルマの音や様々な町の喧噪が幾重も折り重なり、不鮮明な空気の震えとなって聞えて来るものなのだろうけれど、ここではそれがてんで感じられなかった。


 町中を走るクルマが居ないか、もしくはとてもまばらなのか。


 日常の中では正月の早朝や、散歩道を外れた山の中がコレに近い感じだろうか。だが町の中にはあまりに不釣り合いで、いまは本当に昼間なのかと疑いたくなるほどだった。


 静かすぎて不安だった。


 先日もその前も辺りは暗かったからそれほど違和感は無かったが、こうも明るい昼日中、晴天の路地で人っ子ひとり居ない路地というのは、ただそれだけで丸きり見知らぬ異世界に迷い込んだような錯覚があった。


 いや、間違いなく此処は自分の見知った町ではないのだから別の世界には違いない。でも何というかこう、入ってはいけない場所に踏み込んだ、そんな落ち着かなさが在った。


「僕はこんな所で何やってんだろ」


 休日にスマホの予備のバッテリーを買いに出かけたら道に迷って、ブリキ細工のロボットに跳び蹴りされ、とらしまの猫に道案内してもらっている。

 何なんだろうなコレ。大学卒業後ろくに連絡もとれないが、親しかったあの友人ならば「ナイス体験」とサムズアップして喜んでくれるに違いない。


 だが会社の上司や先輩はどうだろう。呆れられるか相手にもされないか。蔵本さん辺りなら「暇すぎで脳が沸いてるのか」などと鼻で笑われそうだ。


 もっともこんな素っ頓狂な体験談、誰かに話すというという訳でもないのだけれども。


 ぐうと腹が鳴って、そういえば昼飯時かと思った。腹の音でニケが振り返ったのが気恥ずかしかった。慌てて「仕方がないだろ」と言い訳をした。そして僕は猫に何を言っているのかと更に微妙な気分になった。


 三叉路を左に曲がって直ぐさま右の枝道に入った。人ひとりがやっと通れるほどの細い道だ。

 ブロック塀の明かり取り穴からはみ出した小枝が顔に当たりそうになって、ちょっとだけ腰を屈めた。道端にはみ出している名前も知らない黄色い花のついたプランターをひょいと跨ぐと、急に小走りになったニケを追いかけた。


「おい、そんなに急ぐな」


 言葉が通じるとは思えないけれど思わず声を掛けた。こんな枝道で迷ったらそれこそ途方に暮れる。緩い坂道を登って降りて、とらしまの猫はちょうど枝道から出た四つ角のところに立つ人影にぴょんと飛び付いた。


「あら。こんにちは、先日ぶりです」


 猫を抱いた人影は見知ったのっぺらぼうで、いつものように白い歯を見せると、にっと笑った。彼女の挨拶に慌てて会釈で返し、声を出す前にまたぐうと腹が鳴ったのは少なからぬ失態だった。

 我ながら躾の行き届いてない腹の虫が腹立たしい。


「恥ずかしながらまた迷ってしまいました」


「よろず屋さんには連絡を入れなかったのですか」


「あのロボットの店ですね。実はソコで地図を撮影したまでは良かったんですけれど、またスマホの電源が切れてしまって。そのまま読めず終いです」


「そうでしたか。屋根の上にあるうずまきには気がつかれました?ああ、そうですか。また回っていましたか。懲りない方ですね」


 そう言って彼女は、やれやれといった風情で軽く肩を竦めるのだ。そして昼時だし一緒に食事でもどうかと誘われて、ご相伴することになった。


 歩きながらキリエさんは、色々とあのロボットのことを話してくれた。彼も口を滑らせていたがやはりあのうずまきは、スマホの電源だけをピンポイントで吸い上げるシロモノらしい。曰く、心血注いだ苦心の作だとか何とか。

 悪魔の発明だなと思った。


「彼は元々、発電所の管理機械として開発されました。座敷に真空管の付いた機械が置いてありませんでしたか。アレが彼の本体です。リモコンで実務端末であるあの箱形のロボットを動かしています。

 当時としては画期的だったのですが、電子演算器の急速な発達と共に職を追われ引退となりました」


 それでこの町にやって来て、よろず屋を始めたのだとかなんとか。


「え、ちょっと待って下さい。それじゃあのロボットは誰かが動かしていた訳じゃあなくって、ホントに自分で考えて動いていたってコトなんですか?」


「そうですよ」


「それってスゴイ技術じゃないですか」


「そうですか?狐や狸だって人に化けるのです。古くから使っていた道具に心が宿る、付喪神という言葉すらあります。

 現代ではそれに機械が加わっただけの事でしょう。ヒト為らざるモノが人の真似をするのはよくある話ではないですか。驚くには値しないと思います」


 そ、そうかなぁ。全然違うような気がするんだけれど。


「彼も現役時代には相応に有能だったのですが、引退後に自分で作った便利道具やアイデアが、日の目を見る間も無く次々とスマホのアプリや機能に代替わりされてしまい、一時期相当荒れていました。

 再出発の為に注力した事業がことごとく時代遅れで、まるで商売にならなかったのです。用意した資金や退職金もあっという間に溶けてしまいました。

 気持ちは分る気もします。スマホどころか携帯電話の一般的な普及ですら、それ以前には予想だに出来なかった現象なのですから。

 でも他人ひと様に迷惑をかけるのは良くないですね」


 なるほどと思いはしたものの、何処か話が噛み合わない気がした。

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