3-2 「ごめんください」
まだ陽が高いという安堵感もあって僕はアチコチの路地を巡り、そしてそこかしこの路地を覗き込んだ。見て回る町並みはどれも何処かで見たような、やはり見慣れない家や道筋ばかりで、自分が住んでいる見知った町とは全てが違っていた。
そして何よりも奇妙なのは、人通りがまるで無いということだった。
先日やその前に道に迷った時には辺りはとうに暗く、出歩く人が居なくても不思議ではなかった。
でもこのよく晴れた昼下がりの路上で、一時間以上歩き回っても誰一人として出会さない。このよく晴れた昼日中、すれ違ったり見かけたりする者がまるで居ないというのは何とも言えない落ち着かなさがあった。
まるで古い日本家屋だけが建ち並ぶゴーストタウンのようだ。
でも朽ちた廃墟という訳じゃない。ただ人の姿が見当たらないというだけだ。
時折玄関の前の道路には打ち水がされているし、側溝の周りは丁寧に雑草が取り除かれてゴミなんて一つも見当たらなかった。とある家の傍らには壁に立てかけられた竹箒があった。まるで今し方まで使われて、ほんの少しの間ちょい置きしたかのような生々しさがあった。
なのに、どこもかしこも人の気配なんててんで無いのである。
「昔テレビで似たようなものを見たな」
確か、「世界の未だ解明されない謎」みたいな題名だった気がする。
幾つもの事例がピックアップされていて、その中の一つが行方不明になっていた船を見つけた話だ。
漂流しているそれに乗り込んでみたら、乗員が誰一人居なかった。テーブルの上には皿に載った人数分の料理が並べられ、コーヒーカップからは湯気まで出ていたのだとかなんとか。
争った形跡も無ければ壊れた箇所も無い。船の内や外は極めて正常そのもの。ただ無人なだけ。乗員は果たして何処に消えたのか、という話である。
その事件が起きたのは何処だと言っていたっけ。ナントカ・トライアングル?
その辺りの記憶はあやふやだった。スマホで検索してみようかなと思ったのだが、別に今でなくても良いだろうと思いとどまって散策を続けることにした。しょうもない事でバッテリーを消費しても意味がない。
そこでふと気付いたのだ。
あれ。そういえば昨日の夜、充電したっけ。
どう思い返しても充電器をスマホにつないだ記憶が無い。急に不安になってスマホの電源を入れた。一瞬だけ画面が点き、そして「バッテリー残量がありません。充電してください」とコメントが出て真っ暗になった。
ヤバイと焦ってもう一度ボタンを押すのだが、今度はウンともスンとも言わなくなった。今の画面でバッテリーの残量が尽きたらしい。
なんてこったと愕然とする一方、最近のスマホはこんなにもバッテリーの寿命が短いのかと腹が立ってきた。ホントに肝心の時に役に立たない文明の利器である。
つい先日も同じように憤慨したような気もするが、腹が立つものは立つのだ。
学習能力に欠ける、危機管理能力に乏しいなどと言われそうだけど、誰だってうっかりミスはある。確かに最近この手のポカが多いことは認めるけれど、いまソレを言ったところで始まらないじゃないか。
大事なのはいま現在をどうするか。ソコだろう。
「とは言うものの、どうしたもんだろう」
予備のバッテリーが欲しくて買いに出た先で充電切れを起こし難儀するなんて、どんな星巡りの悪さだと思った。
運不運は交互にやって来るんじゃないのか。ここのところ間の悪いことばかりだったろう。そろそろ幸運の星が僕の頭上に瞬いても良い頃合いなのではなかろうか。
何処か手近な喫茶店でもないか。そこで充電器とコンセントを貸してもらおうと思った。たとい、どちらも有料ですと言われたとしても背に腹は代えられない。むしろその程度の対価なら安いモノだ。
きょろきょろと辺りを見回すと、先程は気付かなかった看板を見つけた。戸口の上から道筋へ突き出された鉄棒にぶら下がったもので、木板に筆字で何か書いてある。「スマホの充電ありマス」と読めた。
「なんだこりゃ」
なんて狙い澄ました看板だろうと思った。
そして何なのだろうこのタイミングの良さは、と思った。まるで僕の事情を見透かしているかのようだ。仮にもしそうだとしたら、何をどうやればそんなことが出来るのだろう。さっぱり分らない。
でもここ立て続けに二回も訳の分らないことに出会して、一つ分ったことがあった。世の中考えても答えの出ない出来事はある。なので「まぁそういうコトもあるんじゃないかな」と思うことにした。
目の前に在ることは素直に受け容れた方が無難。
その方が物事はスムースに進むらしい。
しかし目の前の
ラッキーと喜べばよいのか、胡散臭いと
しかも瓦葺きの屋根の上には、歪な太い針金で造られたアンテナと思しき物がぎこちなく回っているのが見えた。渦巻き状に巻かれたそれは時折引っ掛かったように震えて止まり、そしてまた動き始めるのである。何時止まってもおかしくない危なっかしさがあった。
なんのオブジェだろ。
よもやアレで本物のアンテナとして使っているんじゃあるまいな。まあどうでもいいかとも思うその一方、あの看板を出している店はどんな店なのだとも思った。
木板の看板が風に揺れて、きいと鳴っている。耳を澄ませば何処からともなくテレビの音声と思しきものが聞こえていて、それはちょうどあの看板のある家屋から聞えてくるようだった。
わーとか、きゃーとか大勢が騒ぐような声には笑い声が交じっているが、ぎりぎりと歯車が軋るような音が聞える度にぶつりぶつりと音声は途絶え、その都度に改めて再び様々な歓声が聞えてくるのである。
こんな声、さっきまで聞えてなかったよな。
聞こえて居たならもっと早く気付いた筈だ。
まるで僕が看板を見つけた途端スイッチを入れたかのようなタイミングの良さだ。何と言えばよいか、あまりお近づきになりたくない珍妙なオーラがあった。だからどうしようかとちょっと悩んだ。
あの看板を素直に信じれば、僕のスマホは復活することが出来る。そうすればこの、ビックリするほどに広くて入り組んだ路地から抜け出せる手段(あくまで希望的観測ってヤツだけど)が手に入る。
先日から続いた迷子の有様を思えば、このまま路地を徘徊しても出口が見つかる可能性は低そうだった。素直にキリコさんの助言に頼るのが一番よい解決方法に思えたのだ。
ちょっとした旅行気分でうろついていたのも、どうしようもなくなったら最後の手段があるさ、という安心材料があったからで、その頼みの綱がただのガラス板に成り果てた現在では途方に暮れるしかなかった。
うろつく内にまた彼女と出会す可能性は無きにしも非ずだけれども、アテの無い偶然に頼るのは危険だし、幸運をすでに使い果たしている可能性だってある。
あの日あの夜彼女に出会わなかったら、僕は今も路地の何処かを放浪していたのだろうか。そんな姿を想像していやな気分になった。思わず自分の肩を抱いて身震いをする。
縁起でもない。
そして僕は意を決すると看板の真下にまで歩み寄り、「ごめんください」と言って硝子張りの引き戸を開けた。
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