第三話 デンキ様

3-1 見知らぬ町を歩くドキドキ

 目覚ましが鳴って身じろぎしながら起きて、またしても出勤なのかと鬱な気分になった。でも重ったるい身体を起こしたところで初めて、ああそう言えば今日は休みだったなと気付くのは悪くない朝の迎え方だと思う。


 確かに、何故休日の朝まで仕事に悩まされなければならないのか、と思わなくもない。だが電池切れの目覚ましが役目を放棄し、何だか今朝はノンビリ目覚めたなと高を括ってテレビを点けてみたら、実はとうに出勤時間を越え、始業寸前の時間だったと知った時のショック。

 それに比べれば正に天国のような安堵感があった。


 そもそも、スマホの充電切れやアラーム設定忘れ対策に目覚ましを用意しているというのに、目覚ましの方が先にご就寝あそばされるというのはどういうコトなのか。


 大体そういう時に限って、スマホまで主人を見限って知らんぷりしているものだから始末に負えない。お陰で朝から聞きたくもないお小言と、「お前は最近たるみきっているな」などと嫌みを言われるはめになった。


 いずれにしても自分の不注意が原因なので、「すいません」と頭を垂れて唇を噛むしかなかった。

 失態を取り繕った出張明けのポカということもあって印象は更に悪かろう。しかも全社をあげて、指を飛ばした重傷災害の再発防止に取り組んでいる真っ最中だ。管理職が普段以上にピリピリしているというのも間が悪かった。


 良くない事は重なるもの。禍福はあざなえる縄のごとしなどと言うけれど、それで気分が晴れる筈もない。


 そんな訳で昨日は散々な週末だったのである。


 不本意な失敗の補填という訳でもないが、僕は本日予備の単三電池とスマホ用の予備のバッテリーを買いに来ていた。


 この程度の買い物でネット通販を利用するまでも無い。そう思ったのだが何と言うことか。目的のディスカウント店は本日休業だった。

 そう言えば店内の商品入れ替えで、一週間ほど閉店するという告知を見たような気がする。それを思い出したのは店の前に来たときだった。


 仕方がないので隣の総合スーパーに向った。本命の店ではないし、家電製品の専門店ではないから品揃えも高が知れているけれど、それでも自分の希望するものくらいは手に入るだろう。そう考えたのだ。


「申し訳ございません。当店ではお客様ご要望の品はご用意しておりません」


 マニュアルどおりに対応する店員に「そうですか」と落胆込みの返事をし、乾電池だけを買って店を後にした。


 なんてこった。スマホのバッテリーなんて、コンビニですら手に入るご時世だというのに。これは一体どういうことか。予備のバッテリーどころか自分が使っているスマホ対応のケーブルすら置いてない。

 業務怠慢、こんな貧相な店頭在庫でよく商売になるなと思った。


 だがよく考えてみれば、こんな食料品専門店に毛が生えた程度の店に来る客なんて、この界隈に住むご老人か専業主婦くらいなものだろう。

 隣に家電製品専用売り場をもつ大型店があるから尚更だ。この世にはばかる全ての店舗に、至れり尽くせりコンビニエンス的なものを求めた僕の方が間違っているんだろう・・・・たぶん。


 これもまた限りなく満ち足りて豊かな国、日本という国に住む人民全てを甘やかすが如き、だるっだるのぬるま湯な現実社会。飢えるという現象すら忘れ去った若者に芽生える、絶対的かつ必然的な脆弱性だろう。

 現状を不服とするよりもそれを憂えるべきだ。


 全国津々浦々、様々な地域で均一のクオリティを保った商品を享受出来る。現物が無ければメール一本、僅かな日数で玄関先にまで配達される。夢のような流通とサービスとに支えられたこの現状だ。それを至極当然と考える事こそ恐れなければならない。


 我慢という行為どころか、その言葉すら希薄になった日本人共通の根本的欠陥であろう。故にこの辛抱というものは、いま現時点において己を見つめ直し鍛え直す為の、必要不可欠な精神修養と云うべきものなのだ。


「・・・・」


 まぁ、欲しいモノが手に入らなかったのは単純に悔しいのだけれどもね。


 そもそもこの界隈で少し気の利いたものが欲しい時には、自分のクルマで郊外に出て、幹線道路沿いにある専門店に向うはずだ。半時間も走れば目的のものは手に入るだろうから、わざわざこんなしょぼくれた店を訪れる必要も無かった。


 些細な日常必需品ですら、この一帯はまずクルマ在りきの生活環境。それを改めて思い知らされた。


「だいたい自転車を二〇分漕いでも、コンビニが見当たらないという時点で詰んでいるよな」


 つぶさに捜せば一軒くらいは見つかるかも知れない。だが、そんな問題じゃないだろう。


 歩く度にポケットに入れた単三電池が揺れていて、何だか侘しい気分になった。

 都会に住みたいという願望がある訳ではないが、それでももう少し拓けた町に住みたかった。せめて歩いて行ける距離にコンビニが欲しい。

 それは決して非常識な願いじゃないと思う。


 百年くらい前の人たちにそんな愚痴をこぼしたら、大仰に呆れられるか鼻で笑われたりするのかもしれない。いや、僕の父親の世代でも同じような反応だろうか?


 或いは、本気で自動車免許を取ることを考えた方が良いのかも。クルマに乗れば何処にでも行ける、そんなコトを会社の誰かが話していたことを思い出した。確かドアが二枚しか付いていない、ぺったんこのクルマに乗る先輩だったような気がしたが、定かではなかった。


 見慣れた四つ角をひょいと曲がった。そしてクルマ一台がやっと通れる程度のガードを潜り、しまったと思った。またしても見慣れぬ路地に入り込んだと知ったからだ。




「いったい僕はナニをどう間違ってしまったのかなぁ」


 誰も居ない路上で独り独白し、また溜息をついた。


 二度あることは三度あるというけれど、それでもこんなに引っきりなしっていうのはどうなんだろう。ホントに勘弁して欲しかった。


 本来この四つ角を曲がった先にあるのは、片沿いを真新しいフェンスで仕切られた新興の工場とその従業員が停める駐車場、そしてその差し向かいに拡がる田んぼの筈だった。


 だがいま目の前に拡がる風景はまるで違う。


 年期の入った古い日本家屋が軒を連ねてズラリと道の奥まで続いていた。木製の電信柱が黒い地肌で青空に伸び、太い電線が見上げる狭い空に張り巡らされていた。

 人気はまるで無いけれど、立ち並ぶ家の玄関脇には鉢植えの花だの信楽焼の狸だのが鎮座して、呆然と立ち尽くす僕が通るのを待ちわびていた。


 三年という時間は決して長年と言えるほどではないけれど、それでも相応にこの町に住んでいるという自負はある。雨の日だろうと風の日だろうと、日用品や食事を求めて数え切れないほど行き来した通り道だ。この通い慣れた道で道順を間違えるなんて在り得ない。

 しかし目の前の現実はコレなのだ。


 流石に三度目となれば取り乱したりはしないけれど、でもなんかこう釈然としなかった。これも超常現象というのか。あなたの知らない世界とか、ミステリーゾーンとかそういった類いの迷惑千万な出来事なのだろうか。


 いったい何度、自分の見知った町の中で迷子になればいいんだろう。呆然とするのを通り越して、引きつった苦笑いすら込み上げてくるのだ。


 大きく溜息を吐き出して、再び辺りを見回した。やはり風景は変わらない。何度前や後ろを振り返ってみても、同じような日本家屋の立ち並ぶ路地が続いているだけだ。ものは試しとダメ元で、来た道を一〇数メートルほど歩いて戻ってみた。だけどやっぱり同じだった。

 ほんのついさっき、くぐり抜けた筈のガードなど影も形も無かった。


「どうしたものかな」


 ポケットからスマホを取り出してじっと見つめた。


 先日、キリエと名乗るあの顔の無い女性から受け取ったメモは、取敢えず電話帳に登録してある。

 怪しくて仕方がないが彼女は親切でこの電話番号を手渡してくれたのだし、仮に何かいかがわしい某かを企んでいたのだとしても、こんな手の込んだことをする必要はない。そのチャンスはいくらでもあった。信用しても良いのではないかと思う。


 だが、踏み出すにはやはり勇気が必要だった。


 少し辺りを調べてみてからにしよう。


 電話を掛けるのは、散策が全て空振りだったその後でも遅くはないのではないか。ひょっとすると何かの拍子に元の道に戻れるかも知れない。彼女が教えてくれた帰り道は、いつも散々徘徊した道筋のすぐ近くだったじゃないか。

 三度目の正直という言葉だって有るのだし。


 そう決めると、僕は来た道を戻るように路地を進み始めた。何だか更なる深みに入って行くような気分だったが、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。今回は彼女から教えてもらった保険もある。


 でもそれと同時に、見知らぬ町を歩くドキドキ感があった。

 旅行なんてもう何年もしていなかったからだ。

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