2-9 「一般通行人を除く」
「それではこれで」
軽く会釈をしてキリエさんが去ろうとしたので僕は慌てて呼び止めた。
「あの、すいません。その、恥ずかしい話ですが僕はまた道に迷ったようで。出来れば元の町に戻る道順を教えてもらえませんか」
そして僕の身に何が起こっているのか知りませんか、もしも思い当たることがあったら教えてくださいと頼んだ。
何しろ三年間この町で暮して来て、こんな不可解な町や道筋に出会ったことは無かった。猫の給仕や猫の客が集う店なんて、どう考えたって普通じゃない。僕の馴染んだ日常とはほど遠い、迷子になるにも程がある。
「何故わたしが、啓介さんの知らない何かを知っていると思うのですか」
「その、何となくというか。僕よりも色々と御存知のように見えるので」
僕は自分でも気付かぬ内に、ナニかやっては為らないコトをやらかして居るのではないか。そのせいで、知らず知らずの内に怪しい何か巻き込まれてしまって居るのではないか。手がかりが在るのなら知っておきたかった。こんな事はもう、これっきりにしておきたかった。
おまけに彼女に会うのはコレで二度目で、しかも似たような意味不明のシチュエーション。偶然と言うには無理がある。
或いは、もしかすると・・・・
「道に迷うのはわたしに原因があると、そうお考えですか」
「あ、いえ、そんなつもりは全然」
見透かされ、慌てて否定した。ひょっとしてうっかり独り言が漏れ出していたのだろうか。前にも似たようなコトをやらかして冷や汗をかいたことがある。
満腹の胃袋がきゅっと縮む感触があった。
「難しく考え過ぎでしょう。わたしはこの町に住む普通の町民です。啓介さんは、ただふとした弾みに普段は通らない路地に入り込んでしまった、それダケの話ですよ」
「え、で、でも・・・・」
その姿で普通と言い切られても、納得できないというか何というか。
返事に窮していると「でも、聞きたいのはそういう返事ではないのですよね」と言い、また、にっと白い歯を見せて笑うのだ。
「そこの角を右に曲がるとよいです。見知った道に出るでしょう」
彼女が指し示したのは一方通行の標識がある四つ角だった。そしてポケットから小さな手帳を取り出すと、何かを走り書きして一枚破り、それを僕に手渡した。
「疑問もたくさんあるかと思います。また帰り道を見失って途方に暮れることがあるかもしれません。似たような場面に出会して困るようなことがあったらソコに連絡してみてください。その時々に応じた助言をもらえるでしょう」
「あの、これは何処の番号ですか」
「電話のサービス案内ですよ」
しかし書かれた数字の羅列はやたら長くて電話番号とは思えない。ネット情報サービスのアプリコードかナニかだろうか。
「通話料金はかかるのでご注意を」
「高いのですか」
「三分で一〇円といったところでしょうか。厳密に言えば八・八円です」
随分安いな。昨今の通信し放題サービスでも、あれは基本料金を支払う前提で結ばれる契約なのだし。
あるいは、接続した途端入会金が発生するタイプのサービスなのかも知れない。どうしようもないときなら兎も角、利用は控えた方がよさそうだ。
今度は独り言が洩れないように口元を押さえての思惑だったのだが、「純粋に通話料だけですよ」と補足されて微妙な気分になった。
どうやら僕は自分でも思っている以上に分り易いタイプの人間らしい。
「電話音声での天気予報案内と似たようなサービスです。気軽に使えます」
「アプリじゃなくて?」
わざわざ電話をかけて天気予報を聞くんですか。僕はそんなサービスがあったこと自体知りませんでした。
「知らなくても無理はありません。ネットや専門のアプリケーションが普及した昨今ではマニアックな情報ソースですね。
でもわたしは好きなのです。固定電話ならそのまま。スマホなら市外局番の後に一七七と入力してかければオーケイです。一部の地域には専用の番号があったりもしますが、大抵はこれでかかります」
彼女はまた、にっと笑って白い歯を見せた。剥き出しの犬歯が妙に印象的で、それが瞼に焼き付いた。
「ちなみに時報のサービスもありますよ。一一七に掛ければ何時でも何処でも好きなときに時報を知ることが出来ます」
「そうですか」
それ以外に返答のしようがなかった。そんな地味な豆知識を教えてもらったところで、実生活で使うチャンスがあるとは思えない。
「ありがとうございます」
それでも一応お礼は言った。
「どういたしまして」
ペコリと頭を下げると「おやすみなさい」と言われた。
「よい夜を」
付け加えられた一言が妙に耳に残ったが、僕はそのままもう一度会釈をして踵を返した彼女の後ろ姿を見送ると、そのまま四つ角に入った。
歩きがてら見上げた交通標識には一方通行の丸い円盤の下に四角い副標識があって、そこには「一般通行人を
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