2-2 「スイマセン」
僕が務めている工場は「新工場」という通称で呼ばれているが、正式名称は大花田林越谷泉上総町工場という。
単純に工場が建てられた土地に「大花田」を付けただけなのだが、長すぎて憶えにくく誰もその名で呼ばなかった。大花田木工所の中で新工場と言えば此処以外には無いので、それで良しといった感じだ。
入社式のときも社長は「新工場」としか言ってなかったし、此処の工場長が自分の工場を正式名称で呼んだところを見た事も聞いた事もなかった。もしかすると僕が知らないうちに、新工場という名前で正式に改称されているのかもしれない。
此処では原材から建材やDIY用の集積材に再加工するのが主な業務だ。
最初は専門の職人を雇って本格的な家具工房にする予定だったらしい。だが時代の趨勢で現在の方式に切り替えたのだとか。
今どき工房で一から設計して質の高い原木から製材し、職人が一台一台手作りで仕上げる高級家具など殆ど実入りがないのだそうだ。
楽器製造部門も似たような流れで立ち消えになったみたいだけれど、今は相談役に降りた創始者が楽器部門を最後まで残そうとしていて、そのお陰で赤字が膨らんだというようなコトも聞かされた。
最後の数年は新規の販売はなく、以前楽器を買ってもらった顧客へのアフターサービスに従事するだけの日々であったらしい。
それを聞かされたときには何とも言えない気持ちになった。
果たして、あと少し早く就職していたら僕はその部門で働いていたのだろうか。そうしたらほんの少しの期間でも、音楽に携われた日々に充実を感じたろうか。
それともやはり此処に就職するのではなかったと途方に暮れていたのだろうか。
ダメ元でもハードルの高い、有名な楽器メーカーに挑戦した挙げ句の果てならば、些かなりとも諦めがついたのか。
いずれにしてももう意味のない繰り言だった。愚痴こぼしたところで何かが変わる筈もなく、今はもう只ひたすらに目の前に突き付けられた仕事に従事するしかない。
化粧板を貼り付けられ切断された集積材を寸法別に選別し、指定箇所を穿孔し、家具キット用の部品を同梱して商品へと仕上げてゆく。
手順は幾つもあるが、馴れてしまえばただの流れ作業だ。一緒に仕事をしているパートのおばさん達は手際も良く、様々な加工板が見る見る内に整えられて次々に製品へと変わってゆく様は、見慣れた今でも惚れ惚れする光景だった。
そして僕の仕事は製品梱包と最終検査と、出荷先の仕分け及び完成品検査だった。コレが組み立て家具のキットではなく、楽器の材料となる部材だったのならもう少し吹っ切れて仕事が出来て居たのだろうか。
いやいやコレもまた意味の無い妄想、在り得ない未来像を思い描いても空しいダケだ。
いまの僕はいったい何なのだろう。
何をしようとしているのだろう。
何をどうすれば、自分に納得出来る毎日を送ることが出来る?
時折途方に暮れるのだ。
課長から直々に呼び出しを喰らったのは、その次の日のことだった。
「コレはお前の検印だよな」
課長の机の前に立ち目の前に突き出されたのは、製品の出荷検査票だった。組み立て家具一セットに必ず一枚入っている紙切れで、「光島」と検印が押されてあった。
「J番系七段本棚用のキットに右側の縦板だけ二枚入っていて、左側が入っていないというクレームがあった。
なので場内をくまなく捜させたのだが、余った部材やダブった縦板は見つからなかったと報告があった。という事は、出荷した製品のどれかに左側だけ二枚入っている可能性がある」
顔から血の気が引くのが自分でも分った。
押されている検印はデータ印で日付は先月のものだった。
ということは梱包違いを起こした製品は、もう間違いなく工場内には無い。小売店の店頭に並んでいるか、或いは在庫として出荷先の倉庫の片隅にストックされているかの何れだろう。
一般のお客さまの手に渡っていたら直ぐにクレームとして上がってくるだろうし。
「どうすれば良い?」と課長は問うた。僕はからからに乾いた喉に固唾を呑み込んだ後、かなり掠れた声で返答した。
「梱包ロットと日付と出荷履歴を遡って客先を割り出し、開梱して全品検査する必要があります」
「その通りだ。よく分っているじゃないか。
そこまで分っていながら何故こんな手抜きをする。お前の仕事はこの検査票にハンコを押すことじゃないぞ。製品が現品票通りに揃っているか、揃えられた部品に間違いが無いか確認することが仕事だ。
その部所がこんな間違い起こしてどうする。仕事ナメてんのか」
僕はすみませんと謝ることしか出来なかった。そして今すぐ該当の客先を訪ねて全品検査して来い、とリスト表と突き付けられた。
「いまから、ですか」
「当たり前だ。村瀬には俺から連絡しておく。A班の人員が足りなくなるがヤツなら何とかするだろ。後で皆には謝っておけよ。渡邉さんにはもう子細指示を出しているから彼に従うように」
「渡邉さんと一緒ですか」
「お前一人で全部出来るのか」
「出来ません」
「だったらいちいち訊き返すな。自分の部屋に戻って支度整えたら直ぐに出発。旅費は後日精算、手持ちが無ければ事務課から前借りしてこい。日報は付け忘れるなよ」
そしてグズグズするな、該当品を見つけるまで帰ってくるなと会社を叩き出され、思わぬ出張に出かける羽目になったのである。
「まぁ出荷検査やっていれば、こういうコトもありますよ」
特急列車の座席に身を沈めた渡邉さんは、そう言って静かに笑っていた。「あまり気にしないことです」と、真っ白な頭をなで上げて笑う口元には何本もの銀歯が光っていた。
昨年に六〇歳で定年退職したのだが、大花田はそれ以降を年極契約社員という形で再就職が可能だ。渡邉さんはその制度で事務職に残って居る職員だった。
だからだろうか。何というか、事務所に居る他の役職の者と比べてピリピリとした感触がなかった。
「一度こういう痛い目を見ると、二度とすまいと思うでしょう?それが大事です」
「スイマセン」
「まぁ、あの本棚の縦板は左右判別つきづらいですからね。見間違うのもむべなるかな。ボクも以前間違えそうになったコトがあって、いっそ左右同じ部品にしたらどうかと提案したことはあったのですよ」
「それって、ダメだったんですか?」
「あの本棚は数が出ない上に、左右同形状にすると逆に工数が一つ増えてしまいます。元々左右非対称のデザインですからね。それで却下されてしまいました。
ボクとしては、加工工程よりも選別工程が無くなる方がメリット多いと思ったのですが、管理職としては加工時間短縮と余剰工程排除を重視しますから」
考え方の違いですよねと言われて、僕はそういうモノの見方もあるのかと妙な感心の仕方をした。確かに現場としては、ミスが出にくくてやり易い方法の方が嬉しいのだけれども。
「今回は該当品の出荷先も全て分っていますし、客先にも連絡済みです。二、三百ほどの開梱と再梱包でケリが付くでしょう。まだ楽な方です」
千単位の製品を全数調査したときには骨が折れました、などと軽く笑っているが、僕は三百という数を聞いた時点で、かなり陰鬱な気分になっていた。
重たい溜息が足元に澱み、まるで鉛のようだ。
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