第二話 道順を教えてもらえませんか
2-1 性格の問題だと思う
何時ものように始業の三〇分前に出社して、更衣室で着替えていると村瀬がやって来た。
「もうタイムカードは押したのか」と訊いてくる。当然、と答えたら着替える時間は仕事じゃないから就業と認められない。指定されていない時間での打刻は違反だと言われた。
「始業時間ぎりぎりにやって来たら、仕事を始めるのが遅くなるじゃないか。着替えだけじゃない、今日の製品段取りを整えて前準備もしなきゃならない。切断機が動き出してからじゃ間に合わないし同じ班員に迷惑がかかる。村瀬だってそれはイヤだろう」
「タイムカードを押す時間をギリでやれば良いじゃないっすか。着替えた後に打刻する、みんなそれでやってます。光島さんが早過ぎるだけっすよ」
そんな事を宣うのだ。
「それに前々から言おうと思ってたんすけど、集塵機が止まったらソコで作業は終了です。その後の清掃は実績には数えられないんすから、掃除はタイムカード打った後にやって下さい。
今朝のオレなんて一時間前から出て来て、タイムカードも押さずにみんなの作業日報まとめてるんすよ。うちの班だけ残業時間が多いと、課長からも嫌み言われてますんでたのんます」
言いたいコトだけ云って村瀬は更衣室から出て行った。要はみんながやっている始業前終業後のサービス残業をお前もやれ、一人だけ抜け駆けは許さんとそういうコトらしい。確かに責任者になれば上からのしわ寄せもあるのだろう。
だが釈然としないことに変わりは無かった。
そして、きっとこういうのを同調圧力というのだろうなと思った。
工場稼働前の準備を定刻から始めれば問題は無いのだろうけど、出来る限り切断機の止まる時間を短くしたい。
操業実績は上げたいが残業時間は増やしたくないと、そんな姑息な打算が課長の頭の中にあって、敢えてサービス残業を見て見ぬ振りをしているのだ。
明言せず嫌みで済ますのも、言質を取られたくないからに違いない。そしてそれが皆の当たり前になっている。
仕方がない。本日の終業から言われた通りにするか。なに高の知れた残業だ、大したロスじゃあない。ソレよりも、周囲から得も知れぬプレッシャーをかけられる方が余程にイヤだ。
僕はやれやれと溜息をついた。
そして現場で本日の製木予定を確認して、即時加工材の員数の確認や搬送機の設定と始業前点検を済ませ、会議室で朝礼に出た。そのミーティングの最中、先週末集塵サイクロンの清掃をやったのは誰なのか、という話が出た。
「始業前にサイクロンのダストボックスを確認したら満杯のままだった、とB班から連絡があった。先週はA班が当番だったな。班長はお前だろ、村瀬。今一度班員に周知徹底させろ」
課長の苦言に村瀬は「すんません」と頭を垂れ、ヤツはジロリと僕を睨んだ。しまった、と内心臍を噛んだがもう後の祭りだった。
「光島さん、カンベンして下さいよ。なんで決められたコトを守れないんすか」
ミーティングが終了した直後、村瀬は僕に詰め寄っていた。
「オレ、言いましたよね。サイクロンは任せたって。分ったって返事したじゃないですか。なにサボってんです」
「先週末に吉原作業長から、ダストボックスの清掃は週明けでいいって言われたからだよ」
「だったら何で朝礼前に片付けておかなかったんすか。時間あったでしょ」
「それは、ゴメン。うっかりしてた。でも忘れていた訳じゃないんだ。会社の門をくぐる辺りまでは憶えていて」
「やってなきゃ一緒でしょ。吉原さんが休みだからって、デタラメ言ってんじゃないでしょうね」
僕にダストの回収は週明けでよいと言った当人は、貯まりに貯まった有給消化の為に一週間の家族旅行に出かけている。出社してくるのは来週明けだと聞いていた。
「仕事ナメてんすか。班長の仕事がチョロいとでも思ってんすか。それとも年下のオレに顎で使われるのがイヤで、嫌がらせでもやってんですか」
「んな訳ないよ。何でそんな被害妄想逞しいんだよ。ゴメンって謝ったじゃないか」
「ゴメンで済めば警察要らないんすよ。言われたコト守れない人間がなにイキってんすか。何様のつもりっすか」
「誰がイキってるよ、そりゃ村瀬の方だろ。たかだかダスト捨て忘れたダケで、何でそんな噛み付かれなきゃならないんだよ。
それとも何か、僕がここで土下座でもしたら満足なのか。それでスカっとしてふんぞり返って、ザマミロとでも言うつもりなのか」
「なに逆ギレしてんすか。元はと言えば光島さんが」
「まぁまぁ待て待て。二人とも落ち着け」
見るに見かねて割って入ったのは那須山さんで、週明け早々ケンカでもないだろと仲裁された。
「誰にだってついうっかりってコトはある。村瀬は注意した。光島は謝った。それでこの件は終了だ。それで何か問題があるのか」
元より僕に文句なんてない。ただ村瀬が無意味に食ってかかるものだから、それに反発しただけの話だ。
村瀬はまだ何か言いたげだったが、あからさまに僕とは視線を外し、チラリと那須山さんを見やったダケで現場に向って行ってしまった。憤懣やるかたない様を隠す素振りすらなかった。
「光島。おまえも面白くないだろうが堪えてやってくれ。あの通りアイツは若くて思ったことがすぐ口や態度に出る。
それに課長も課長だ。相変わらずというか何というか、皆の前で叱る必要もあるまいに。あれじゃあ村瀬も立つ瀬がない。あの二人、先週も事務所で何度かやり合ってんだ。
アイツも人の上に立ったことがなくて、まだ色々と判ってないんだろう。だからまず、俺ら年長者が引いてやらんとな」
そしてあんまり気にするな、と軽く肩を叩かれた。
言われているコトは分る。だけれども、現職で一〇年以上の経験がある那須山さんと同年代の如く語られるのは釈然としなかった。
確かに僕の方が村瀬よりも歳上だ。でも同期同輩の若造同士で、仕事どころか社会経験も大して変わらないというのに。
それに年齢と言うよりも、性格の問題だと思うんだけれどもなぁ。
しかしそれを言っても詮ないことで、またやれやれと溜息をついた。
そんな面白くない出だしではあったものの週初めはそんな具合に始まって、僕はいつものようにいつもの持ち場でいつもの仕事に取りかかったのである。
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