1-8 ただひたすら真っ直ぐ

「どうしました。まるでバケモノでも見るかのようなお顔で」


 言われて初めて我に返り、「スイマセン」と慌てて視線を逸らした。呆気にとられてしばらく硬直していたらしい。


 彼女は黒髪の女性だった。うなじの辺りから刈り上げ気味に短く揃えたショートのボブカットで、小ぶりな唇が妙に艶めかしかった。


「わたしの顔に何か付いていますか」


 静かな声が耳の奥をくすぐって思わず半歩退いた。

 落ち着いて心地よい物言いだけどやっぱりちょっと近すぎる。それに何と言うか、ちょっと怖い。


「いや、あの・・・・付いているというか、何も付いてないというか」


「付いていない?具体的には」


「目鼻、その、目と鼻が見当たらなくて。口元しか見えなくて。あの、失礼ですがメイクか何かでしょうか」


 最初は顔にパックでもしているのかと思った。


 その次は季節外れな肝試しか何かのイベント帰りで、こんな扮装をしているのではなかろうかと思い直した。

 ちょっと前に件の総合スーパーが、納涼セールだとか何とか適当な名目で、オバケのキャラクターを印刷した商品を安売りしていたからだ。


 女性の容姿を詮索する趣味は無い。けれどコレだけあからさまなら逆に訊かない方が不自然はなかろうか。それに驚かされた手前の取り繕いというか、少なからぬ照れ隠しの意味もあった。


「あら、あなたにはわたしの顔が見えるのですね」


「はい・・・・その、見えるというか、見えないというか」


「そう、見えてしまうのですね。でも此処に迷い込んでしまうくらいだから仕方がないのかもしれません」


 何だかよく分からない事をおっしゃる女性ひとだ。


「は、あの、失礼な事を聞いてしまいましたか」


「いえいえ。まぁどうでも良いことです、お気になさらず。帰り道をご所望なのでしょう?あなたはどの辺りにお住まいなのですか」


 戸惑いながらも自分の住所を告げると、ならばこの道を真っ直ぐ抜けなさい、と言われた。彼女の人差し指が指し示す先は路地の更に奥だった。


「交差点を二つほど抜ければ信号機のある丁字路に突き当たります。其処を右に行くと良いでしょう。そうすれば県道四三号に出ます」


「そ、そうですか。ありがとうございます」


「どういたしまして。老婆心ながら一言ご忠告を。人は心に迷いがあれば道にも迷います。必ず家に帰るのだと、そうご自身に言い聞かせて歩むのがよろしいでしょう」


 彼女は、にっと歯を見せて笑うとペコリとお辞儀をし、僕も慌てて頭を下げ再び礼を言って別れた。

 笑ったときに見えた犬歯がやたらと立派で、それが妙に印象深かった。


 いや、目鼻が無い方が余程に強烈なインパクトではあるのだけれど。


 もう一度礼を言いそのままその女性と別れた。そして二つ目の交差点を通り抜けるまで、背中にはずっと見られているという感触があった。


 彼女が教えてくれた通り、ドン突きの丁字路に辿り着くと何処かで見たような風景と信号機とが見えた。目が暗闇に馴れたせいなのか、今度は何とか信号機の下にある交差点名が読めた。「今生交差点」と在った。


 右手を眺めれば夜目にも見慣れた道のりがあった。ほっと安堵の吐息が漏れた。

 やれやれこれでようやく家に辿り着くことが出来そうだ。


 でもしかし、この交差点は最初に目指した丁字路ではなかったか。


 いったい僕は何処で道を間違えたのだろう。とんだ夜中の大冒険だ。

 安心すると同時に情けなくもなった。取敢えず道筋を憶えておこうと思い軽い気持ちで振り返った。もう二度とこんな迷子になりたくはないからだ。


 しかし・・・・


「えっ」


 思わず声を漏らし、目を疑った。


 目の前には深夜の広い広い田んぼが拡がってた。たったいま通り抜けて来たばかりの民家など影も形もなかった。


 真っ黒でただっ広い田んぼのど真ん中を、ただひたすら真っ直ぐ伸びる広域農道が貫いていた。

 その向こう側遙か遠くには、思い出したかのようか間隔で暗闇の中を横切るクルマのサーチライトが見て取れた。

 間違いなくアレは数時間前に横切った幹線道路だろう。


 どうひいき目に見てもこの風景は路地なんかじゃない。


 そんな莫迦な。


 絶句して慌てて周囲を見回した。もう一度信号機を見上げ、再び辺りを確かめた。


 だがやはり何も変わらなかった。目の前にはただただ平坦で、殺風景な闇夜が広がっているだけだった。路地どころか民家すらろくに無く、ひたすら見晴らしのよい田んぼの平地が広がっているだけだった。


 どういうコトだ、今さっき歩いて来た路地や交差点は何処にいった。古い民家が立ち並ぶ路地の中で僕は迷っていたのではなかったか。

 決してこんな見晴らしのよい道を歩いてなど居なかった。断言してもいい。


 僕はもう一度呼吸を整えて頭を左右に振った。


 取敢えず疑問は脇に置いといて、自分の部屋を目指して歩き始めた。街灯も無いこの真っ暗闇だ。酔っ払った挙げ句に思い違いをして、妙な脇道に入ったダケのこと。

 そう、それだけのコトだ。


 それにあの妙な女性も云っていたじゃないか。心が迷えば道にも迷うと。帰るぞ、帰るぞ、僕はこのまま自分の部屋に帰るんだ。自分に何度も言い聞かせながら、見知った道を足早に進んだ。


 そう言えば昔話で似たような話を読んだ記憶があるな。

 山に入った者が道に迷い、見知らぬ立派な家に出会った。掃除や手入れも行き届いていて、庭には打ち水までされていたのに人っ子ひとり居らず、日が暮れれば食事の用意までされていたとか何とか。

 あの話の結末はどうだったっけ?


 そしてもう一つ思い出したのは、この辺りには狐や狸を時折見かけるという話だった。


 もう一度頭を強く振った。


 止め止め、もう夜の迷子はこりごりだ。


 もう何も考えず、ただひたすら真っ直ぐ部屋に帰る。そしてシャワーを浴びたらそのまま寝ようと心に決めた。

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