1-6 しょぼくれた街灯ばかり

 やがて目的の信号の真下、丁字路まで辿り着いた。


 けれど僕は途方に暮れていた。

 出た場所がまるで見慣れぬ場所だったからだ。


 右を見ても左を見ても、自分が見知った道では無い。本来なら此処は眩い位の街灯がずらりと立ち並ぶ、割と広い二車線の道路の筈だ。


 なのに今目の前に拡がっている光景はまるで違う。電柱のオマケみたいな暗い路地灯と、古い日本家屋が建ち並ぶ微妙にうねった路地だけだった。

 何処をどう見ても見慣れたあの道じゃなかった。こんなせせこましい、クルマが通り抜けるにも苦労するような道なんかじゃない。


 夜だから何処かで曲がる道を間違えた?


 いやいやそんな莫迦な。ただの一本道をただ真っ直ぐ歩いてきただけだ。それに目印にしていた信号機だってただ一つだったのだし、見間違えようもない。

 可能性があるとすれば、ずっと歩いてきた道そのものを、最初から勘違いしていたというコトくらいだろうか。


 スマホを取り出して現在地を確かめようとしたのだが、どういう訳だが充電切れをおこしていた。

 昼休みにフル充電して、しかも午後は殆ど使ってなかったというのに。


 ひょっとしてバッテリーが弱ってるのだろうか。それとも接触の方かな。これ、まだ買ってから一年も経っていないのだけれども。


 何にせよ、いま役に立たなければ同じだった。


 真上を見上げて信号機の下に書かれた地名に目を凝らした。しかし暗がりのせいで今ひとつハッキリ見えなかった。


 此処はいったい何処なんだ?


 焦れて不安な気持ちとは裏腹に、信号機はまるきり素知らぬ顔で、赤だの青だのと定期的に点灯を繰り返している。ちょっとだけ腹が立った。


 それにここの地名が分ったからと言って、あまり助けに為りそうにもなかった。単純にコレは目印にしていたダケの信号機だったのだから。確かに三年も此処に住んでは居るけれど、全ての町の名前や交差点を把握している訳じゃなかった。


 道に迷ったら来た道を引き返し、自分が知っている場所まで戻る。確かにそれが基本なんだろう。


 でも今まで一時間かけて歩いて来た道を戻り、再び一時間かけて正しい道順を辿るというのも気が引けた。後戻りを選べば、あと丸々二時間はこの夜の田んぼを徘徊する事になる。気が短い方では無いけれど流石にそれは面白くなかった。

 だから僕は取敢えずこのまま道を行くことにした。


 通い慣れた道のりでも、ふとした弾みで曲がり角や道順を間違えるなんて事はよくあることだ。夜ならば尚更のこと。この界隈は問答無用なまでにただっ広いけれど、決して入り組んだ町じゃない。歩いて行けばその内何とかなるんじゃなかろうか。


 そう高を括って路地に踏み込んだ。だがそれは相当に甘い見通しだったらしい。

 いくら歩いても見知った風景や道筋には出会さなかった。


 平屋の民家や農家と思しき家の脇を通り、ぽつりぽつりと思い出したように立っている電信柱の横を抜けた。

 たぶん、大通りに続くであろうと思しき道順を選んでいる。そのつもりなのにどんなに曲がり角を覗き込んでも、出来る限り大きな道を選んで進んでみても、記憶にある風景には出会さなかった。


 小さな川にかかった石橋を越え、古びた駐車禁止の標識を通り過ぎ、くねくねと曲がりくねった道は幾つもの枝道とつながっていた。暗さのせいだろうか。それとも家が肩を寄せて建ち並んでいるせいだろうか。

 視界が遮られてまるで遠くを見渡せない。先程までの田んぼの中の一本道とはまるで違う。


 これはいったいどういうコトなんだろう。


 だいたいこの辺りに、こんな密集した住宅地があったかな。


 記憶が正しければ団地用に宅地化の進んだ以外の土地は、田畑の中に一軒家が点在するだけのまばらな風景ではなかったか。


 確かに昼と夜とでは町の表情はガラリと違う。けれどもいま僕が迷い込んでいる、この、古い日本家屋がズラリと軒を連ねるような場所など、全く以て記憶になかった。まるで古い映画で見る昭和の町並にでも迷い込んだような錯覚があった。


 どうやら本格的に迷ったらしい。


 ジワリと焦りが滲んだ。そして意地を張り、タクシーを呼ぼうとした那須山さんを振り切って店を出たことを後悔し始めてもいた。


 もうアルコールもすっかり抜けてしまって正直挫けそうだった。何が悲しくて食事を奢ってもらったその帰りに、こんな遭難じみた目に遭っているのか。

 そもそも自分の住んでいる町で帰り道を見失うだなんて、いったいコレはどういうコトなんだろう。不甲斐ないというか、無駄な意地を張る莫迦さ加減に腹が立つというか。自分の不器用さに溜息が出てくる。


 ヤツならもっと上手くやるのだろうな。


 不意に先程の村瀬の顔が思い浮かんで思わず歯噛みした。

 そもそもヤツのコミュ力なら、きっとこんな失態まず在り得ないに違いない。那須山さんとも上手く話を合せ、食事会も難なく終わらせたろう。ひょっとするともうタクシーにでも乗って自分の部屋に帰り着き、TVでも見ながらくつろいで居たりするのかも知れない。


 今この状況は僕だからこそ呼び込んだ、正に身から出たサビというヤツに違いなかった。


 とはいえ、どうしたもんだろう。


 このままどうしようも無くなったら、見知らぬ家のドアを叩いてその住民に道を聞くしかなかった。まったく昔話に出てくる道に迷った旅人じゃあるまいし。そんな事にでもなったらホントに恥さらしも良いところだ。

 そもそも此処は本当に現代の日本なんだろうか。真っ当な灯りどころか通りすがるクルマすら無いなんて。


 何処かに自分の見知った目印は見当たらないものかと、微かな希望にすがりつつ足を進めた。でも見えるのは、曲がり角を越える都度に出現する電信柱と、それにしがみつくしょぼくれた街灯ばかりだった。

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